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サボタージュは悪か

 季節は移ろい、涼しげとは言い難い初夏を迎えているが、6月というのはなんともやる気が起きない月である。コロナ禍のもと就職してから早2ヶ月と少しが過ぎようとしている。好きなこと以外全くやる気が起きない僕としては、リモートとはいえこの2ヶ月会社を辞めずに過ごしたことを誰か褒めて欲しい。僕は褒められて伸びるタイプなのだ。
 それでも仕事をサボりたくなってきてしまう、これはもうしょうがないことだろう。全人類、共通してこのサボるという行為に対しての欲求があると僕は考えている。ない人間はおそらく宇宙人かAIか、はたまた新人類である。そのような人種が増えた場合は全面戦争は避けられないだろう。のちの第三次労働戦争である。


サボるという語彙について

 日本語は外来語の名詞に接尾辞をつけて動詞化することが度々ある。タピオカを飲むことを「タピる」と言うし、ハーモニーを生み出すことを「ハモる」と言う。その中で、日本人が無意識に日本語として活用している言葉として「サボる」という単語がある。

 「サボる」の語源はフランス語 "sabotage"である。元々は破壊活動を意味する単語だが、労働争議において労働者が雇用者に対して抗議活動を行う際に、労働者が故意に著しく能率を下げたり、仕事を完全に放棄することによって仕事場での破壊活動に繋がるという意味も含まれている。
 日本語の「サボる」という単語には、このような破壊活動的な意味合いは含まれていないが、仕事を放棄したり、能率を下げたりするという単に怠業的な意味として確立されている。


サボることは果たして悪か

 「今日仕事サボっちゃってさ〜」と言っている人を見て、人は一体なにを感じるだろうか。おそらく、多くの人はネガティブな印象を抱くのではないだろうか。

 確かに、やらなければならない仕事をせずに、誰かに迷惑をかけているならば、それは社会的には許される行為ではない。罪悪感を感じるべきだし、迷惑をかけてしまった相手には潔く謝罪をするべきである。多くの人が想像するサボるという行為はこのような内容だろう。

 しかし、サボると一概に言っても、他者に迷惑をかけないパターンも存在すると僕は考える。自分に課せられたタスクを、最小限の仕事量でこなし、そのほかの時間をサボるというやり方である。やることだけやっていれば、他人に迷惑はかからない。もちろん、社会的な大きな観点で見ると、間接的に会社に迷惑がかかっていたりするが、特定の個人が不幸になっていなければ、それでいいのではないだろうか。


コロナで見えたサボるという正義

 新型コロナウイルスの影響で、多くの人が出社を辞めてリモートワークに入った。毎朝満員電車に乗って会社に向かったり、フレックスにも関わらず先輩よりも早く出社しないといけないという理不尽な暗黙の了解的ルールに縛られたり、会社での鬱陶しい人間関係や飲み会に煩わしさを感じることもなくなった。

 この形こそ、究極のストレスフリーワークスタイルではなかろうか。仕事に対してストレスを抱えて自殺する人が多い日本だが、その「仕事におけるストレス」は本当に仕事そのものに対するストレスなのだろうか。おそらくその多くは、仕事内容ではなく、上記であげた労働環境や出勤方法、人間関係のストレスではないだろうか。

 さらにリモートワークでは、最も効率的な時間の使い方ができると思う。1日にこなさないといけない仕事量を10とした時に、実際に出社した場合はその10を9時間労働ならば9で割らないといけない。なぜなら、定時という概念のせいで10の仕事量を最初の1時間で終わらせたところで帰宅できないからである。日々残業に悩まされているあなたは、働きすぎだ。旅にでも出た方がいい。
 その点リモートワークでは監視されない限り、10の仕事量を最初の1時間で終わらせてしまえば、極論あとはなにをしても良い。川に散歩しに行ったり、コーヒー豆の焙煎をしたり、愉快な同居人と暑い日の中ビールを飲むのもいいだろう。

 こんなことを書くと、「仕事が終わっても労働時間なんだから、自ら新しいことを探して働くべき!」とか、「会社からお給料もらってるんだから、それはどうかと思う。」みたいな意見を寄せる人間が絶対数いる。そんなことはお見通しだ。しかし、そんなことはクソくらえである。課せられたタスクは一通りこなしているし、誰にも迷惑はかけていない。そもそも仕事自体が好きならば、夢中になって時間なんて気にせず働くし、みんながみんなワークホリックだったり労働に対する誠実さを持って働いていると思わないで欲しい。

 前述に最小限の仕事量でタスクをこなすとあるが、これは必ずしも最小限のコミットに抑えるという意味ではない。むしろ、短時間で10の仕事をこなすには、通常時よりも高い集中力を発揮しなければならない。そこから生み出されるものは、全てではないだろうが、通常時に時間をかけて作ったものよりも高品質なものさえ生み出されることがある。つまり、仕事の品質性の観点から見ても、この「生産的サボり」は評価されるべきである。


6月はとことんサボれよ

 季節は移ろい、緑は生い茂り初夏を迎えた。湯船に浸かって、屋根を強く叩きつける雨音を聞いていると、このまま沈んでしまいたい感情に駆られる。つまりは梅雨である。最悪である。

 当たり前だが、梅雨の時期は太陽がほとんど出ない。太陽が出なければ脳内でセロトニンも産出されない。このセロトニンが産出されないと、何事にも無気力になってしまうし、鬱々とした気分で過ごさなければならない。こんな時に仕事頑張れとか言われても困ってしまう。

 だからこそ、僕は6月はとことんサボることを決めた。しかしここでのサボるは、これまで僕が語ってきた生産的サボるである。人間ダメな時はダメなのだ。下がっている時に頑張るよりも、一旦下がるところまで下がってしまってから頑張って上がった方が生産的である。


これからサボろうとしているあなたへ

 ここまで読んでみて、よし私も6月はサボるぞ!と決めたそこのあなた。非常にいい決断だと僕は評価する。しかし、一つだけ留意してもらいたい。サボるときは、いくら「生産的サボり」だとしても絶対にバレないようにして欲しい。
 世の中には、未だ僕たちのような自由思想を理解しない頭の硬い大人がウジャウジャいる。彼らに一度見つかったら最後、今後永久に監視され非効率的な労働を強いられるだろう。 

 それではあなたも気をつけて、幸せなサボりライフを!


 


 


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