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孤独

※これは以下の話の続編である。続編なんてあるのかと思うだろう。僕も続編があるなんて思ってもみなかった。


「日本全国で真夏日を記録し、危険な暑さとなるでしょう。熱中症に十分注意してください。」

茶碗に白米をよそい、昨晩作ったナスの煮浸しと味噌汁をテーブルに運んでいると、テレビからハキハキとした声が聞こえた。一人での食事は自分だけを満足させれば良いので気が楽だ。

そういえば今年は7月も終わるというのにセミの鳴き声を聞かない。連日の暑さでセミもへばっているのだろうか。毎年やかましいと思うのに、いざ聞かないと思うと寂しく感じてしまう。

オフィスに着くと、年季の入った冷房が低い音をたててぬるい風を送っていた。最近は当たり前のように18度に設定され、まるで老体にムチを打たれているかのようだった。

人も家電も似たようなものだな。暑い日も寒い日も動き続け、日々をこなすので精一杯だ。そうしていつの日か急に息を引き取るのだ。このクーラーもいずれは音を立てなくなる日が来るのだろう。それは彼にとって幸せな生涯と言えるのだろうか。

こんなことを考えてしまうほどに、僕の頭は沸々と茹っていたのかもしれない。そういえば今日はなんだか頭が重い。熱中症に十分注意できていなかったかもしれない。マラソンランナーとして恥じるべき水分管理だ。

どうにも暑さが和らがず、思考はどんどん遅くなっていくばかりなので、早めに帰宅し自宅の最新式クーラーに当たることにした。サーキュレーターも回すと、たちまち部屋は涼しくなり文明の力の偉大さを感じた。

リモートでのミーティングが終わると、19時を少し回っていた。普段は20時には夕飯を済ませているので、知り合いからもらった夏野菜を使ってカレーを作った。キッチンは風が通りにくく、額に汗が滲んだ。

熱帯夜に食べるカレーは、なぜだか夏休みの記憶を掘り起こす。夕飯後の好きなテレビを楽しみにしながら、茹でたてのとうもろこしとカレーを家族でよく食べたからだろう。あの頃は食事の中に会話が必ずあった。その日遊んだ友達の話や、家族旅行の行き先の話など、とにかく寂しさとは無縁の食事だった。

そんなことを思い出していると、食後のアイスが食べたくなった。夏休みはアイスとセットだ。冷蔵庫の下段を引き出し、昨日買っておいた棒アイスを手に取ると、どろっとした感触が伝わってきた。

その違和感の原因にたどり着くまで一秒とかからなかった。念のため冷蔵庫の扉も開けてみたが、廃れた街の街灯のように照らす光以外、僕の五感を刺激するものはなかった。冷蔵庫の中には昨日買ったばかりの野菜や肉が調理されるのを待っており、僕はそんな様子の食材たちが可哀想でならなかった。

彼は死んだのだ。コンプレッサーが動いている様子がなく、その事実は唐突に僕に突きつけられた。それからというもの、僕はすごく悲しい気持ちになり、喪失感に包まれた。

こんな時に誰かが一緒に笑ってくれたらどれだけ救われるだろうか。ドロドロの棒アイスの袋を手に持ったまま、僕は暗い廊下に立ち尽くしていた。

かつて独りの僕を迎えてくれた冷蔵庫のモーター音はもう聞こえなくなっていた。

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