話が上手い奴は致命傷を負わない。負けをいなせ。創造と失敗は表裏一体だから!!
このTED、何回目かですが本当に最高でした。人から「お前なんかにはどうせ無理。ふざけるなやめろ!」と言われ続けた植松さん。現実的になって悪どいことに手を染め、大金を稼いだこともありますが、その時は独りぼっちになってしまった。
「なんで人のものを奪ってしまったのか」
「自分では何も出来やしないって考えていた。だから、人のものを取るしかなかったんだ」。
「お前なんかに出来るはずがない」
絶望の教育。そこでは他人に目を奪われ、自分の人生を生きられなくする。
「できるわけがない」
この言葉は客観的に正しいのかもしれない。新しいものを創ることには何の成果保証もないからだ。既存の枠組みの中での競合を選んた方が、結果を予測しやすい。
だが「既にあるものだけしか見ない教育」は必然的に、「今あるものを奪う教育」へと転落せざるを得ない。
「新しいものを生み出す教育」
希望はその逆にある。新しいものを生み出すことだ。ここでは失敗を排斥したりしない。むしろ「失敗のいなし方」を伝えるものとなる。
創造と失敗とは表裏一体なのだから。
日本で初めて天下を統一し、魔王と恐れられた織田信長。彼は無敵だと思われがちだが、生涯90戦中、19回も敗戦している。21.1・・%負けているのだ。
しかし彼は恐るべき逃げ足の速さだった。致命傷になりそうだと悟った瞬間、全速力で逃げを打つ。良く言えば、一方的な思い込みで突貫するのではなく、戦と会話をした。
話が上手い奴は致命傷を負わない。「負けをいなす技」。希望の教育とは即ち会話の教育である。そしてわが師の言葉をもじり、世に警笛を放つならば、「会話できる奴などこの世に殆どいない」のだ。
5教科の教育。これは「既にあるもの(教科書の中)」しか見ない教育だ。既にあるものしか見えていないから、それ以外の行いを「お前なんかにできるはずがない」と決めつける。良かれと思いながら為されていた絶望の教育。会話が出来ず世界に孤独が蔓延するのも、この古い教育と無縁ではあるまい。
新しいものを創り出すこと。希望はそこに光り、だから会話が生まれる。
それでは会話を可能にするのはそれだけなのか、これから見ていこう。
つづきます(^^♪
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起業家研究所omiiko 代表 松井勇人
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