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人に対する興味と氣持ちがなくなる時。


先日ぺーたーず主催の大島旅行から帰ってきて以来、ずっともぬけの殻のような毎日を過ごしている。どうやら氣持ちの糸が切れてしまったらしい。

きっと疲れもあるだろう。ハイパーリバ邸に引っ越してきてから一度も予定がない日がなかったし、名古屋・三重・千葉・茨城といろんな場所へ行っては、いろんな人にも会って人疲れもしているんだろう。

一度こうなってしまうと、そりゃもう普段の自分とは考えられないほどに怠け者になって何もやる氣が起きなくなるし、食うことと寝ることしかしなくなる。

こういう時は、願わくばそーっとしておいてほしいとすら思う。いわゆる充電期間のようなもので、次にぐぁ〜っと活動していくためにエネルギーを補充している時間なのだと思う。


少し話は変わるけど、たまに自分の氣分以外の「氣持ち」が途切れる瞬間がある。

◆誰かを好きな氣持ち
◆誰かを応援したいという氣持ち
◆誰かと一緒にいたいという氣持ち

たまにこれらの氣持ちも”ぷつん”と切れてしまうことがある。それまでめちゃくちゃ好きだったり、めちゃくちゃ応援してたり、できればずっと一緒にいたいと思っていた氣持ちが急にどうでもよくなる瞬間がある。

わかりやすく言うと、熱しやすく冷めやすいみたいなものだろう。興味を持ったり、好奇心がある内の勢いはすさまじいが、それが落ち着くとまるでそれまでの勢いが嘘だったかのように失墜していく。

「何かをやりたい!」とか
「これみたい!」とか
「書きたい!」とか
「弾きたい!」とか

そういった氣持ちもそう。その瞬間に向き合ってあげないと、いつの間にかどうでもいいことになってたりする。後回しにしてしまったが最後、その高揚感や勢いは落ち着いてしまう。

とかく、最近は人に対するそれが多い。

クソ失礼な言い方をするのであれば「興味が湧かなくなった途端に飽きる」ような現象が起きている。まるで使い古しの道具のように、興味が湧いている内にひたすらコミュニケーションをとっては、飽きてそっけなくなる。

きっと相手からしたらたまったもんじゃないはず。

多分これは無意識の内に、自分に対して損か得かを考えてしまっているんだろうな。


・この人からはいろんなことを学べる
・この人と一緒にいる時間は心地いい
・この人は自分を脅かすことのない無害な人だ

っていい側面を自分の中で定義付けているらしい。


・この人からはもう学ぶことはない
・この人と一緒にいても楽しくない
・この人は自分の安全を脅かす人だ

って悪い側面も勝手に決めつけては、距離をとっている自分もいる。


改めて、なんて自分勝手なんだろうと。少なからず何かを得られるという勝手な期待に沿わないと、途端に興味をなくす。それは自分にそうだからなのかもしれない。

常に興味を持ってもらえるような存在でありたいと願うあまりに、それを人にも押し付けてしまっているのではないだろうかと考えると、少しゾッとする。

涼しげな顔をして、笑ってはいるけど、付き合うヒトを選んでる。きっとそれは雰囲氣に出してないだけど、これでもかってぐらいに。


でも、もしかしたらこれでいいのかもしれない。世間体とか。常識とか、ヒトの目を氣にして生きていた頃と比べれば、今は何事も引くほど自分本位に考えてるし、捉えてる。

メリットがないとわかった途端に氣持ちが冷めてるのかな。それとも何かしらの見返りを求めてるのかな。まだまだ自分がわからないことがたくさんあるなぁ。


また少し話が変わるけど、氣持ちが成就するというか、満たされて解放されるみたいなこともあって。

たとえば、氣になる人への氣持ちは、ある程度の一緒の時間を過ごしたり、何かを共有したり、氣になるってことを伝えてしまうことで落ち着く瞬間がある。

それこそ熱狂的なファン状態だったのが、手が届く範囲のものに変わった瞬間に途端にスピードが落ちる。悪く捉えれば、それまでのものだったと言わざるを得ない。

ただ、良く捉えれば、そこから氣持ちの変化があるかどうかで、長続きする氣持ちなのかどうかがわかってくるなと。


・ただ単に好きなだけなのか
・もっと違う関係性を育みたくなるのか


そんな基準があるようにも感じる。

そう思うと、興味がなくなる瞬間ってのは新しい何かがはじまるスタートなのかもしれないとすら思う。いうて、そんな綺麗事ばっかじゃないか。笑 

自分の横に、これを書き上げている様をリアルタイムで見れる別の人に自分がいたら「こいつめんどくせぇなぁ」って思うんだろうな。笑

支離滅裂。

まとまらない思いの丈を綴ってみた8月の終わりでした。

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