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接客の極意

先日、職場でちょっとしたトラブルがあった。
現金で支払いをしたお客様が、随分時間が経ってから、お釣りを受け取った覚えがないと言ってレジに来られたのである。

その時レジに入っていたのは同僚のMさんであった。その場にいれば証言出来たのだが、私は生憎丁度その時接客中で、当該やり取りを見ていなかった。
Mさんはレジ係7年目のベテランである。大抵色んな目に会ってきており、いつも動じない頼もしい人であるが、この時ばかりは困惑の色を隠せないようだった。

Mさんに限って、お釣りを渡し忘れるなんて事はあり得ない。
それにレジのシステム上、前の釣り銭が残ったまま次の会計は出来ない。機械が止まるのだ。釣り銭を全て取り去るまで、ピーピーやかましく音がなる。誰でも気づく。
残る可能性は『Mさんが自分のポケットに入れてしまった』かどうか、という事になるが、これはもっとあり得ない。

お客様は言いに来られた当初、頑なに『もらっていない』と仰って、かなり怒ってMさんに疑惑の目を向けておられた。
勿論そんな事はしていないが、Mさんも流石にうろたえていた。そこにインカムでMさんの窮地を知った社員のAさんが駆け付けてきた。

Aさんは先ず、杖をついていらしたお客様を椅子に誘導した。
そしてお客様の話を相槌を打ちながら、真摯に聞いていた。
その後、
・レジには鮮明な画像の残る防犯カメラがあり、やり取りは硬貨一つまで写っている事
・終業時刻にはレジを締める為、渡せていないお金があればちゃんと売上の合計と現金の在高が合わないようになっているので、その時判明する事
・従業員は持ち物チェックを受けてからでないと、売り場に出入り出来ない事
をお客様に丁寧に説明した。
そして
「防犯カメラをチェックして、ちゃんと渡せているかを確認します。確認出来なければ終業時刻に違算が出ないか確認し、結果をお客様にお伝えする事にさせて頂こうと思いますが、それでよろしいでしょうか?」
とにこやかに提案した。
お客様は
「そこまでしてくれるなら」
と納得して、笑顔で自宅の電話番号を渡してお帰りになった。
Mさんはホッとした顔になった。

Aさんはお客様を見送った後、そんなMさんを軽く労ってから、直ぐに防犯カメラのチェックに向かった。
勿論、Mさんがちゃんとお釣りを渡す様子が、バッチリ写っていたのは言うまでもない。

ところがしばらくして、お客様がレジに再びやってきた。
「ちゃんともらっていたわ。ごめんなさい」
そう言って、Mさんに謝った。
インカムで呼ばれてAさんも急いでやってきた。そして防犯カメラにお釣りのやり取りが写っていた事を、お客様に告げた。
お客様はAさんにも詫びて、こう言った。
「貴女に話しているうちにね、ホントに貰ってないかなあ?って思えてきてね。帰って、家で財布の中数えてみたの。合ってたわ。お手数かけてごめんなさい」
Aさんはいえいえ、ご納得頂けて良かったです、わざわざご足労頂きましてありがとうございます、と最後まで丁寧だった。

「私、『この人何言いがかりつけてるの?絶対渡してるに決まってるのに』って思いながらお客様の話聞いてました。顔に出てたんですね、きっと」
というのがMさんの反省の弁である。

そこで反省出来るMさんも凄いと思うが、最初怒っていたお客様を笑顔で帰したAさんの接客姿勢には舌を巻いた。
自分の言い分を疑いをさし挟まず、キチンと聞いてもらった結果、お客様は冷静に自分の行動を振り返る気持ちになり、過ちに気付いたのである。

『お客様目線』と言うが、Aさんのそれは徹底しているのだと思う。
自分を必要以上に下げて、無理にお客様の下に入ろうとするのではない。こちらの心の中がどうであれ、適当に持ち上げておけば客なんて機嫌良くなるんだ、という不遜な姿勢とは程遠い。
『お客様を"自分と同じ人間"として考える』と言うことが自然にできている。

Aさんに入社当初言われた。
「"自分がされたら嫌だな"って思う事はお客様に絶対しちゃダメだよ。小さな事でもね」
わかっているつもりで、なかなか実践するのが難しい事である。
これがAさんの接客の極意、なのかも知れない。

その気になれば、学びの機会はあちこちに転がっているんだなあ、と改めて思った出来事だった。








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