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後日日誌 2022年11月18日(金)

朝は6時に母の起床で起きた。
母は着物の着付けがあるために7時半には式場に着かなければならない。
頭が痛いと母が言うので頭痛薬を勧めた。
眠くなっては困るというので、眠くなる成分入ってないから大丈夫、と聞かせ飲ませた。
母を送り出し私たちもコーヒーを飲んで、喪服に着替えて式場に向かった。故人と最後に一緒に食べるという“おとき”を食べ、家族は焼香の練習や段取りの説明があった。
座る順番など親族に伝え座り直してもらった。
そうこうしている間に沢山の父の友人たちが来ていただいていた。
本当に、葬式みたいだなって、どこか実感のない感じがあった。

式は滞りなく進み、最後に姉が父からみんなに内緒にしていてと、
式が終わる時と出棺時に前川清の「男のありがとう」を流して欲しい。
特に母に聞いて欲しい、と。
なんてキザなことをするひとなんだ。
ありがとうって直接言ってあげてよ。
涙が止まらなかった。
そういう人だったよね。

一緒に入れるものやお花を入れるために棺が開けられた。
これが父に触れられる最後だった。

棺には最後にみんなで集まった時の集合写真と、塊で食べれなかったラ・フランスを入れた。
毎晩父の枕元か胸ポケットに入れていた檜オイルを垂らしたティッシュを顔の近くに置いてあげた。

式が終わり、火葬場へ。
父と最後のお別れをした。
火葬を待っている間は父の友人からお話をたくさん聞いた。
良いお友達が沢山父の周りにはいたんだなって。

父が骨になって戻ってきた。
全骨収納したいので必死になって骨を拾った。
骨壺は私が持つ担当だった。
ホカホカして暖かかった。

全てが終わって父の遺骨とともに帰宅。
沢山の荷物を持ち帰り
とりあえず遺骨を置くスペースを作るために部屋を片した。
少し落ち着いて姉が叔母から聞いた父の幼少期の話をしてくれた。
知らない父の話。あまりベラベラ喋る人ではない。
聞いて今の父がなぜこうなのかの答え合わせが少しできた。

姉が帰った後、母と私のパートナーで久しぶりに日本酒で晩酌を。
結構飲んだ。そして母が思っていたこと、私が思っていたことの答えの無い答え合わせをした。
在宅介護が本当に良かったのか。
あのとき、あの判断で良かったのか。
母自身は病気になったらどうしたいのか。

母は父の最後は最悪だ、と言い放った。
ああならないようにしたかったと。
そう思わせてしまってごめん。
私の判断のせいだ。
姉たちが来るのを待っていたかったので
父を深く眠らせるという判断ができなかった。
姉たちは良かったかも知れないが
父はどうだったんだろうか。
もし眠らせる判断をしても
姉たちは、父はどうだっただろうか。
どちらが正解だったかなんて無いけれど
判断を任された私には
どちらを選んでも傷つき深い後悔が残っただろう。
父の最後の二日間は辛かったし怖かったし分からなかった。
必死だったけど
みんなには家族で看取れて良かったねと言うけれど
私にはこの二日間の事は一生自問自答しそうな気がする。

やっぱり在宅介護が良いのか入院の方が良いのか
私と母の介護する当事者にはどちらが良かったとは言い切れない。

これから在宅介護する方が増えてくると思う。
もっと医療のサポートやが家族のサポートが増えてくることを願う。

これにて日記は終了したい。
拝読してくれてありがとうございました。






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