文壇ゴシップニュース 第7号 アルベルト・モラヴィアの逆ポルノ小説『わたしとあいつ』

 千種堅『モラヴィア』を読んでいたら、モラヴィアに『わたしとあいつ』という問題作があることを知った。モラヴィアが64歳の時に発表した長編小説だ。モラヴィアはもともと性をテーマにしている作家と認識されていたが、『わたしとあいつ』は一線をはるかに越えているとして、モラヴィアにはポルノ作家のレッテルが貼られ、小説は発禁処分を受けたという。千種は『わたしとあいつ』の中身について次のように説明している。

 この作品がそれまでのものと決定的に違うのは、男性の性器に人格を与えたことである。それまでは普通の小説のなかで登場人物の性行為をつぶさに描くということで、セックスの自由化という風潮からすれば、別に目くじらを立てるまでもないことだったが、ペニスという”あいつ”を相手に主人公──それはまた、ペニスの主人でもある──が考え、語り、行動するというこの作品の設定は衝撃的だった。もちろん、ペニスも主人公と同じに考え、語り、行動するのである。

 今でも週3回オナニーしている俺はこれを読み、「ほう、ペニスが主人公の一人なのか、どれどれ」と興味をもち、実際に『わたしとあいつ』を読んでみた。結論から言うと、大したことなかった。『わたしとあいつ』が出版されたのは1971年だが、現在の感覚からすれば衝撃的といえる内容はまったくない。
 主人公はフェデリコという名のシナリオライターで、「あいつ」と呼ばれる巨大なペニスを持っている。フェデリコは妻帯者だが、この「あいつ」に翻弄され、手当り次第に女にちょっかいを出しては失敗する。また、フェデリコは、反資本主義組織を運営する若者マウリツィオと組み、反体制的な映画のシナリオを書いている。フェデリコはどうにかして監督も兼任しようと、マウリツィオの組織に大金を寄付したり、プロデューサーのプロッティに媚びたり、プロッティの年老いた妻に枕営業をしかけたりするが、どれも上手くいかない。
 フェデリコはフロイトの「昇華」という概念にこだわっており、自分の人生がぱっとしなかったり、他人から見くびられたりするのは、性欲をコントロールできていないからだと信じている(ペニスが大きいのものそのせいで、昇華者ほどペニスが小さくなるらしい)。だから、妻とも別居し、有り余る精力を芸術に向けようとするが、常に「あいつ」の邪魔が入ってしまう。「あいつ」が自分の意志と反し、勝手に射精した際には、「今しがた自分の指のあいだを流れた精液の中に、創造的、天才的な着想があるかもしれない」などと思ったりする。
 というような内容なのだが、小説全体が作り物めいていて、テーマである「性欲」が表面的にしか描けていない。フェデリコとペニスの掛け合いも、ひねったところが何一つとしてない退屈な代物で、わざわざペニスに人格を持たせた意味がまったく見いだせない。特に致命的なのは、モラヴィアがユーモアを狙って書いているところが、ことごとく面白くないことだ。
 モラヴィアがこの小説でポルノ作家のレッテルを貼られたということを先に紹介したが、中身を読むと、ポルノの逆をやろうとしていることが分かる。どういうことかといえば、美人にはふられ、ブスには迫られるということ。そして、モラヴィアはそれがユーモアだと思っているらしい。特にひどいのが、プロデューサーの妻と寝ようとするもペニスが立たず喧嘩になるシーンなのだが、モラヴィアの女に対するサディスティックな性質が現れているようで、陰惨としか言いようがない。
 この小説を読んでいて、モラヴィアという人は、もてる側の人間ではないかと思った。フェデリコという人物には、性欲はあっても、執着心がないからだ。だいたいもてない男というのは、一人の女に運命を感じてこだわるものだが、フェデリコはその点あっさりしている。実際、モラヴィアの童貞喪失は18歳とやや若く、相手はバーで出会った36歳のドイツ人、大人になってからは年下の女と三回も(法律上は二回)結婚するプレイボーイだ(一回目は5歳下のエルサ・モランテ、二回目は29歳下のダーチャ・マライーニ、三回目は46歳下のカルメン・リィエーラ)。
 むろん、妻だけで満足するはずはなく、モランテと結婚してから16年後、日本で開催された国際ペン大会に招待されたモラヴィアは、新宿のキャロットというクラブで接待を受け、ホステスとダンスをし、彼女をホテルに持ち帰ろうとした。しかし、これは上手くいかず、ハモニカ横丁の方へ、「日本の女」を探しにいくことになったという(巖谷大四『戦後・日本文壇史』)。
 ただ、アラン・エルカンがインタビュアーをつとめた『モラヴィア自伝』には違うことが書いてある。クラブに行ったことは同じだが、その後ホステスとラブホテルに入っている。そして、彼女から「そんなに深刻ではない」性病を移されたという。が、彼女が梅毒を持っているかもしれないと疑ったモラヴィアは、後日医者を連れてクラブに戻った。すると、彼女はまたホテルに行けると思い喜んだのだが、理由を聞いてがっくりした、というのがモラヴィアによるストーリーだ。巌谷によれば、ホステスとは通訳を挟んで会話したので意思疎通が大変だったとあり、それに比べると随分手際が良いので、眉唾ものではある。
 ちなみに、『モラヴィア自伝』では、同じく作家だったエルサ・モランテとの結婚生活についても聞かれていて、最初は慎重に言葉を選んでいたモラヴィアだが、インタビューが進むにつれ、いかにモランテが一緒に生活するには不適格だったかということを滔々と説明している。そして、遂には殺すことまで考え、その時の心境を『軽蔑』に書いたという(余談だが、『軽蔑』を映画化したゴダールは、「汽車の中で読む小説だ」といってモラヴィアの不興を買っている)。
 モラヴィアは母や姉とも不仲だったというし、性欲以外で女と付き合うのはまっぴらごめんというタイプだったのかもしれない。そんなことが、『わたしとあいつ』に反映されているような気がしてならない。

参考文献
千種堅『モラヴィア』
アルベルト・モラヴィア『わたしとあいつ』
巖谷大四『戦後・日本文壇史』
アルベルト・モラヴィア、アラン・エルカン『モラヴィア自伝』

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