高山辰三『天下泰平文壇与太物語』

 ゴシップというのは、普通、新聞や雑誌に匿名で書き飛ばされ、読み捨てられるもので、単行本になることはない。そんなものを実名で書いたり出版したりしたら、世間からまともな人間・会社ではないと敬遠されるからだ。しかし、そうした慣例をぶち破った書物がある。それが、同時代の文壇ゴシップを集めた、高山辰三の『天下泰平文壇与太物語』である。
 まずこの本の異常なところは、序文だけで37ページもあることだ。しかも、一人ではなく十人もの人間から序文を貰っているのである。この事情について、牧民社主人(発行者である大橋佐三)が本書の跋文のなかでこう明かしている。

脱稿されたのを見ると、果たしてヒドい。これぢやあ誰か権威のある人に、序文を頼まないといけないね。うむそうだ、誰に頼まう。誰でもいゝ、なるたけ大勢がいゝ。ぢやあずうつと百人ばかりに頼まうか。そうだ中に書いてある人物に、みんな頼んだら面白からう。ますます出でゝますますヨタだなあアッハッハヽヽ。こんな相談から兎も角も、評壇の十傑を選んで序文を頼んだ。けれども漸くにして集まつた序文を見ると、いづれも旨い逃げ口上ばかりで、その賢明なのに驚かされた。

 本書の企画は高山本人から牧民社に持ち込まれ、内容を聞いた大橋は無論尻込みしたが、高山の「怒りつぽい人間はぢきにまた醒める」、「賣り出し最中にうんと怒つて貰ふ事は、寧ろこつちの望む所だ。そうして大いに問題にして貰へば、お陰で本が餘計に売れやう」というセールストークや金がなくて困っているといった泣き落としに負け、出版を決めたという。
 そして、実際に原稿を読んだら、「ヒドい」ということになり、際物扱いを避けるためヤケクソ気味に著名人の序文集めに奔走することになったわけだが、もらってきた序文というのがこれまた輪をかけて「ヒドい」。何しろ、原稿をきちんと読んだ人間は皆無で、宣伝になるような文章は一つもなく、関わり合いになりたくないという思いだけが伝わってくる。相馬御風の序文に至っては、断りの手紙なのに、そのまま載せている。一番人を食った内容なのが、堺利彦のもので、「出版の戦略上、『諸名士』の一人若しくば水天序文書きの一人として選定され」たと自覚し、逆に自分の雑誌と会社のことを宣伝し逆襲している。
 他の人の序文も紹介すると、大熊信行は「このような仕事をしなければ本當に暮していけないといふ人があるなら僕はそれを聞いて泣くだらう」と書き、西村陽吉は「君も現代の病的な、イルラショナルな社會組織の生んだ一箇の畸形な産物だ」と書くなど、宣伝どころか説教・忠告が序文として掲載される前代未聞さ。この二人は高山と知り合いらしく、そのため高山の性格や、「かなり寂しい」生活に踏み込んだ内容となっている。
 このように、貰ってきた序文が序文だったので、高山は自序の中で「僕の生活はマジメである」と書き、大橋は跋文で高山のゴシップを暴露するという、苦しい自己防衛に務めざるを得なくなった。
 とにかく『天下泰平文壇与太物語』は序文だけでお腹いっぱいになりそうな本なのだが、中身を読むと、序文を書いた人たちが本書の評価を避けたのが賢明だったとわかる。全篇罵倒尽くしというわけではないが、嫌っている人に対しては全否定で、特に近松秋江(なめくじのやうな男)と尾島菊子(大したものも讀まず、頭のないくせに、半可をふりまわす)についてがひどい。一方、相馬泰三、豊島与志雄、高村光太郎なんかは褒めている。
 そんな内容の書物ではあるが、大正時代の作家の評判や言動を知ることができるのは確かで、その点貴重であることは間違いない。大熊らが危惧したように、高山という人は大成しなかったようだが、わずか1ヶ月で書いたというこの本一冊で文壇史にほんの少し名前を刻みつけることはできただろう。

高山辰三『天下泰平文壇与太物語』(牧民社)

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