戸来村の由来はヘブライ語!?青森県に残るキリストの墓の真相とは?🌈
古来(大和朝廷時代以降)の日本の流れを紐解くには、まず『青森県』について知る必要があります。
青森県といえば、
「キリストの墓がある場所」
キリストの墓がある新郷村は、かつて『戸来村(へらいむら)』と呼ばれており、『へらい』は、古代イスラエル人の別名『ヘブライ』に由来していると言われています。
また、新郷村には、子どもを初めて野外に出す際、額に墨で十字を描く風習があります。
「キリストは日本に渡っていた」
青森県には、古代イスラエルの風習と思われるものが数多く存在するんです。
その代表的なものが『ナニャドヤラ』と呼ばれる民謡。
青森県の東側にあたる地域で、盆踊りの唄として親しまれてい民謡で、祭りの際は、女性が輪になって踊りながら、この唄を歌います。
ナニャドヤラの歌詞がこちら。
「ナーニャード・ヤラヨウ(汝の聖名を讃えん)/ナーナャード・ナアサアレ・ダハアデ・サーエ(汝は賊を討伐したまい)/ナーニャード・ヤラヨ(汝の聖名を讃えん)」
日本語で読むと意味が理解できませんが、ヘブライ語に訳すと意味が分かります。
このことからも、やはり『ヘブライ語』が日本へ渡った歴史があるのではないかと言われているんです。
キリストの墓には、このような文言が書かれています。
「キリスト(イエスキリスト)は21歳のとき、日本に渡り、12年もの間、神学について修行を重ねた。33歳のとき、ユダヤに帰り、神の教えについて伝道を行ったが、当時のユダヤ人たちは、キリストの教えを容れず、キリストを捕らえ、十字架に縛り付け、磔刑に処した」
さらに、
「しかし、イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなり、十字架の露と果てた。一方、十字架の磔刑から逃れたキリストは、艱難辛苦の旅を続け、再び日本の土を踏み、この戸来村に住居を定め、106歳の長寿を以て、この地に没した。この聖地には、右側の十来塚にイエスキリスト、左側の十代墓に弟イスキリを祀っている」
これは、イエスキリストの遺言書を引用したものと思われます。
もし、これが事実だとしたら、世界の歴史が覆されることになりますが、
「わざわざこんな分かりやすくお墓を建てる必要があったのか?」
「そもそも、なぜ、世界はこの事実を否定も肯定もしないのか?」
など、多くの疑問が残ります。
ちなみに、この墓には「キリスト信者の墓」という説もあります。
平安時代中期、青森県の北部に(現在の五所川原市)に『十三湊(とさみなと)』という港がありました。
アイヌ人と日本人の交易拠点として、主に利用されていた港で、ロシアとの貿易も盛んに行われていたと言われています。
この港にある日、遭難した一人のロシア人船夫が辿り着きます。
ロシア人船夫は、そのまま戸来村に住みつき、村の娘と結婚。彼が生涯を終えると、その娘が、キリスト教信者だったロシア人船夫を想い、この墓を建てたと言われています。
真相は、一体どちらなのでしょうか。それとも、どちらでもないのでしょうか。ほとんどの場合、説は、夢のあるほうへ流れるものです。
かつて戸来村のあった新郷村には、この墓を一目見ようと、今も多くの人が訪れています😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈