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坐禅日記2021.11.26

今日は坐禅をする前に、サティ(気づき)とサンパジャーナ(正知)を大切にするヴィパッサナー瞑想の実践法の本の一節を読んでから、深夜の坐禅となった。1時から24分間の坐禅。

アプリにて鐘の音が鳴って坐禅がスタート、身体の感覚、周囲の音などをあるがままに捉えようとするが、遠くでパトカーのサイレンが鳴って、すぐに連想する戯論が作動しはじめる。妄想。それに気づき、正知、あるがままを意識して、妄想を消す。パトカーのサイレンのみをじっと聞き、連想をやめる。音は段々と遠くなり、消える。無常。

今日は身体の感覚や心の妄想よりも、音が気になる。隣の人が門を開ける音がした。またしても妄想、連想がスタートすることに気づく。正知、あるがままを捉えようと軌道修正、やがて隣の人は家に入り、静かになる。無常。

周囲の音が気にならなくなり、あるがままを捉えようとしていると、今度は眠気に襲われそうになる。気づきが弱くなっている、お尻に接しているクッションの感覚、ハードディスクレコーダーのファンの音、加湿器のタンクが水を吸う音、すべてに戯論が発動するけれど、気づき、正知を意識、あるがままを捉えようと軌道修正。こうやって気づいていくと、すべてに対して戯論が発動していることに気づく。すべてにおいて、連想ゲームがスタートする。それをひとつひとつ因数分解して、正知を叩き込む。あるがままのみを捉えることの難しさ、常に戯論が発動するけれど、いちいち気づいて、あるがままをとらえると、心は楽になっていく。急に多幸感が押し寄せてきた。しかし、これもまた危ない。多幸感に執着することなく、あるがままを捉える。

最後は、睡魔との戦い。ただただ、感覚、心、すべてのセンサーのハイにして、気づき、あるがままを捉え続ける。

24分間の坐禅は終了。

1時半近くなる。10分間、坐禅日記を書いて、今日はおしまい。

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