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独り言多めの読書感想文(京極夏彦さん『書楼弔堂 炎昼』)



善悪の判断基準の一つに、情報の届いた順番というのは関係するだろうか。「一旦先着の情報を良として飲み込んだ上で、新たな価値観に相対した」というものだ。この場合、後着を受容する事は「先着の情報を飲み込んだ自分」を否定することと同義。故に極力一途であろうとブレーキが発生し、ここに贔屓目が生まれる。加えて変化すること自体を受け入れられるか否かも重要で、加齢による変化への抵抗は「経験則」に切り替わる以上やむを得ないが、それでもいずれ変わらなければいけない事も来るのかもしれない。


相変わらず前置きが長い。前置きだけでツイートもできやしない。「いい加減腹くくれや」って崖から突き落とされるような経験はして来なかったので、ぬくぬく平和に育ちました。おとうさんおかあさんわたしはげんきです。


【以下『鬼滅の刃』ファンの方は、気分を害される可能性がありますので、ご注意下さい】

さて、今回書き残そうと思ったのは他でもない、本気で「ヤヴァイ」と思ったためです。うふふ語彙力まで逃げ出す焦燥。何がヤヴァイかって、今流行りの鬼滅の刃の思想が。なので本当は書くつもりのなかった小説引き合いに出して書きます。

鬼滅の刃、とりあえず22巻まで読んだけど、純粋に「これ日本戦争に向かってるな」って思ったの。瞬時にこの漫画読んでる人全員に、今すぐ書楼弔堂の「探書拾壱 無常」を読んで欲しいって思ったの。読むという人には本代補填したいくらい読んで欲しいって。今こそ読んで欲しいって。

だってこの鬼殺隊の考え方、赤穂浪士と一緒じゃん。「義に生き義に殉ず」思考じゃん。洗脳じゃん。当時義は「武家社会を維持するために必要だった」の。今、時代は令和。四民どころか男女平等、性差も日の目を見るような世の中なの。

「仲間のために」「他の人たちが頭を討ってくれる」「そのためにまだ死ねない」「まだ自分は何の手柄も立てていない」これをメディアがこぞって取り上げて、コラボして、芸能人がコスプレして、映画興行収入記録どうこうなんて、

要は「さぁ皆さん、日本もとうとう戦わなければいけない時が来ました。お国を守るために戦いましょう。手がもげ、足が焼けても、きっと仲間が仇をとってくれることでしょう。こと切れるその瞬間まで戦いましょう」ってことでしょ?「え、あなた鬼滅の刃好きなんですよね? 感動したんですよね? じゃあ炭治郎みたいになれるように頑張りましょう」ってことでしょ? え、これ正常? 偶然仕入れた情報が炎昼→鬼滅の刃だったからそう思うだけ? 私は先着を受け入れたために思考の変化を恐れているだけなのだろうか。

否。これは否だ。

真に優先すべきは己の命。他者に魂をとられるな。自分の生き方は自分で決めろ。決めたことに責任を持て。生を全うしろ。私は

やさしそうな、温厚そうな人柄の作者のこの作品を、正式に受け入れ拒否する。ただこれはあくまで私の中で終始しているもので、書楼弔堂は無関係。京極さんには考える種をいただけたことに対する感謝しかない。低頭。

「命は大切」よりも「あなたが大切」の方が響くという。あなた、に代えはきかない。「仲間のために」は呪いの言葉。そうありたい理想を餌にした洗脳に他ならない。概念。正しさが人を殺す。正しさが人を殺すのだ。

それでもいくら足掻いたところで、いずれ来る時は来る。それでも私は今そこにいるあなたを大切にしたい。健やかであることを願わずにはいられない。

何度でも言おう。京極夏彦さん『書楼弔堂 炎昼』今こそ読んで欲しい。鬼滅の刃、最初「生殺与奪の権利を他人に握らせるな」は良かったんだけどな。復讐は巡る。喧嘩両成敗。結局争うこと自体敗者しか生まない。自己犠牲は人を助けない。『容疑者Xの献身』を知っているだろう。「特定の誰か」だけなんて助けられない。みんなみんな失うだけなんだ。書楼弔堂。おこがましくともこの小説、もっとたくさんの人に知れ渡るべきだと信じてやまない。理想は双方仕入れて自分なりの見解を持つこと。今こそ。



ここまで読んでいただいてありがとうございました😊うれしい。

あなたの読書ライフが、より実りあるものになりますように✨


以下おまけ。映画見た感想。

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