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鬼押出し溶岩と釜山スコリア丘の関係

浅間山1783年鬼押出し溶岩は、山頂に鎮座する釜山スコリア丘の火口縁からあふれ出したのではない。裾を破ってスコリア丘の外に出て、前掛山斜面を流れ下った。釜山スコリア丘の火口縁がいま北側がもっとも低いのは、裾から鬼押出し溶岩が流れ出た際にスコリア丘の一部を壊して運び去ったからである。

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北軽井沢から見た釜山と鬼押出し。鬼押出し溶岩は初め、前掛火口の東側いっぱいまで広がって幅1000メートルで北に流れ下ったが、やがてその幅を600メートルに縮小して流れ続けた。このため、東側では鬼押出し溶岩の上に釜山スコリア丘の腕が形成された。

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釜山スコリア丘と前掛火口の境界を示すくびれは夏にはこう見えるが、わかりにくい。薄く雪をかぶった上の写真がいい。

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鎌原村から撮影したないまん写真に釜山スコリア丘を着色した。東側の腕よりはるかに大きい西側の腕がよく見える。

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南北方向の断面図を描くとこうなる。鬼押出し溶岩は、釜山火口縁からあふれ出したのではない。スコリア丘の裾を破って前掛山の北斜面を流れ下った。

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1108年噴火でできた前掛火口は西縁(前掛山)と東縁(東前掛)が高く、北縁と南縁が低い。釜山スコリア丘の北裾が破れたのは、1783年噴火口が前掛火口中心より北にずれて開いたからである。溶岩が南裾も破ろうとして未遂に終わったことが、釜山スコリア丘の南斜面が膨らんでいることからわかる。

次の噴火で溶岩はどちらに下るか 前掛火口内に釜山スコリア丘が鎮座しているから、1783年噴火直前より山頂地形はずっと複雑だ。しかし、西縁(前掛山)と東縁(東前掛)が高くて北縁と南縁が低いのは、1783年噴火直前と同じだ。やはり新溶岩も北か南に下るだろう。噴火口が釜山火口中心から北にずれて開けば北に、南にずれて開けば南に新溶岩は下るだろう。幾何学的には、南にずれる確率のほうが大きい。

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姥ヶ原から見た浅間山。黒斑山の上に前掛山が重なり、その上に釜山スコリア丘がある。釜山の裾を破って現れた鬼押出し溶岩が、前掛山の斜面を下っている。(クリックすると拡大します)

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