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11月27日(2)災害の心理と倫理

災害や事故は、客観的に観察して合理的に評価するべき対象ですから、理学と工学の手法で取り扱うことになります。しかし人間がなすことですから、心理学と倫理学も少なからずかかわってきます。

人間は、物事を認識するときバイアスに左右されてしまいます。バイアス(bias)とは、先入観、偏見、偏りのことです。2011年3月の原発事故の認識は、どんなバイアスに左右されたでしょうか。

正常性バイアス

ひとは、自分が危機的状況に立たされたとき、それを日常の延長としてとらえ、それほど危険ではないとゆがめて認識しがちです。これを正常性バイアスといいます。2014年9月の御嶽山噴火のとき、目の前に突然現れた噴煙をカメラで撮影することに熱心で、避難行動を始めるまで時間がかかった登山者が少なくなかったことが指摘されています。

めったに起きない自然災害に遭遇したとき、ひとは正常性バイアスに陥りがちです。同じ災害でも、原子力発電所や化学工場などで起こる科学技術の事故すなわち人為災害の場合は、正常性バイアスが少なく、逆に過剰なリスク認知が起こることが知られています。さて、9年前の原発事故のときは、どうだったでしょうか。正常性バイアスも働いたし、過剰なリスク認知もあったようです。

同調性バイアス

集団の中の個人には、集団の意見に同調するようバイアスがかかります。これを同調性バイアスといいます。同調性バイアスによって、独創性と協調性のぶつかり合い、個人と地域社会のぶつかり合いが生じます。同調しようとしない異分子には、配慮不足、不適切、不謹慎などの言葉を浴びせて排斥しようとします。同調したほうが楽だし責任も問われませんが、個のアイデンティティは確実に失われます。

周囲に同調せずに自分の考えを貫き通して災害から逃れるのは、たいへんむずかしいことだと思われます。

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これは、宮崎県による噴火災害への行動心得です(ちょっと古い)。左上から順に見ていきます。

「霧島山の噴火の歴史や火山の用語について知っておきましょう」
これは問題ありません。まったくその通りです。

「みんなで避難場所について話し合っておきましょう」
これも問題ありません。正しいです。

「デマに惑わされないようにしましょう」
これも正しいのですが、イラストを見ると、防災無線やラジオから聞こえてくるメッセージは信頼がおけて、周囲のひとが言うことは信頼がおけないようにみえます。そんなことはありません。情報の真偽をラベルで判断してはなりません。内容で判断してください。

「テレビやラジオ、市役所、町役場などの行政機関の広報などを聞いて、正確な情報を得ましょう」
行政機関が出す情報にも誤りがあります。テレビやラジオに至っては間違いや悪意がぞろぞろです。うっかり信用してはいけません。やはり、情報はラベルではなく内容で判断してください。

「市町長から避難勧告・避難指示が出されたらそれに従いましょう」
避難勧告・避難指示に従うことは推奨されますが、かならずしも従わなくてよいです。従わなくても罰則はありません。状況を自分で判断して、助かる道を選びましょう。言われた避難指示に従うことが逆に危険な場合もあります。また、避難勧告・避難指示が出るまで避難しないとか、出たら避難するとか、の他人任せもいけません。避難するかどうかは自分で決めましょう。

「お年寄り、赤ちゃん、体が不自由な人の避難を助けましょう」
これは、一般的には正しいですが、災害時には時間の猶予が十分でないことがあります。津波警報が出たとき、小学生が隣の幼稚園に園児を迎えに行っていっしょに避難する訓練がニュースで流れたことがあります。これは美談ではありません。本来助かるはずだった小学生が園児を迎えに行ったために命を落とすこともあるでしょう。津波のときは「てんでんこ」です。ひとり一人が一目散に駆け出すことが最善の方法です。

確証バイアス

ひとは、自分の考えを肯定する情報にばかり目を留め、否定する情報を無視したり軽視しがちです。この偏りを確証バイアスといいます。

大予言者は、自分の予言が当たった証拠を強調します。相手の確証バイアスを利用して、はずれた証拠から目を遠ざけさせて、いかにもよく当たるかのように思わせます。ここでいう大予言者には、民間地震予知業者も含みます。

9年前の原発事故のときは、事故からしばらくたって意見対立が表面化してきたとき、確証バイアスに起因するコミュニケーション不全が各所で発生したようです。賛成派と反対派で意見交換がうまく成立しませんでした。

パニック神話

群衆パニックはそう簡単には起こりません。パニック神話とは、群衆パニックが実際にはめったに起こらないことを意味する言葉です。パニック幻想とも言います。パニックになる危険を安易に持ち出すことを戒めています。

民衆がパニックに陥ることを心配して情報伝達を控えてはなりません。2011年3月の原発事故直後、パニックになることを心配して情報を秘匿した為政者たちは、エリートパニックに陥ったと批判されました。パニックになったのは民衆ではなく為政者だったのです。

素朴概念

人は日常生活の中で、経験的に、自然発生的に、思い込みによって概念形成しています。この思い込みを素朴概念もしくは誤概念といいます。天動説の素朴概念をもつ子供に地動説をどう教えるかは、理科教育の課題のひとつです。

いままでほとんど気にしたことがなかった放射線の脅威を正当に理解するのは、素朴概念にじゃまされて、多くの人にとってはむずかしかったようです。

利害対立

有珠山の2000年3月噴火のときに有名になった岡田弘・北海道大学教授(当時)は、行政と学者とマスメディアが底辺三角形の頂点になって、力を合わせて住民を支えるテトラへドロン(正四面体)モデルを提唱しました。


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これは美しいモデルですが、実際には、災害時でも、いや日常の連続から途切れた非常時だからこそ、四者の利害がするどく対立します。行政は命が第一だといいますが、住民にとっては生活も大事です。住民の中には、一般住民・観光業者・観光客のあいだで利害対立が生じます。そのほかにもたくさんの利害対立が生じます。住民・行政・学者・マスメディアの四者のあいだには健全な緊張関係が必要です。

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集団浅慮

「三人よれば文殊の知恵」ということわざがありますが、集団の意思決定は、その集団の中の有能な個人の決定より優れたものに必ずしもなりません。集団が意思決定するときに、メンバー個人が持つ批判的な思考能力が集団の話し合いの中で失われてしまい、過度に危険な決定を集団が下してしまう集団浅慮(groupthink)という現象が起こります。

伝えるべきリスクがあると判断する個人が組織の中にいても、その個人のそうした行動がその組織の中で評価されないならば、もっといえばそうすることによってその組織の中で干されてしまうなら、その個人はリスクを伝えることを控えるでしょう。

偏見と差別

差別のレッテルは、論争相手の反論を封じる絶対的効果があります。差別の語を持ち出した段階で、その論争は終止符を打ちます。原発事故のあとでは、福島県ナンバーの車、津波がれきの処理、福島の桃などの論争で差別のレッテルが多用されました。

これは、法務省が2013年に実施した中学生人権作文コンテストで内閣総理大臣賞を受賞した作文です。

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「差別されている」と一方的に書いてしまっています。これではもう話が先に進みません。未知のものへの警戒心を取り去ろうとする意志は正常性バイアスに他なりません。そんなことをしたら、ひとはすぐに死んでしまいます。この作文に最高賞を与えた法務省の見識を疑います。

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