ブルーバード_ブルーバード

三冠受賞ミステリ『ブルーバード、ブルーバード』の憎悪と愛。ミステリ評論家・吉野仁氏の解説公開

アメリカ探偵作家クラブ賞、英国推理作家協会賞、アンソニー賞の三冠に輝いたアッティカ・ロック『ブルーバード、ブルーバード』(高山真由美訳、ハヤカワ・ミステリ)
巻末に収録されたミステリ評論家・吉野仁氏の解説を特別に公開いたします。


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 かつてないほどアメリカ社会の分断が深まったといわれている。
 とりわけ2017年にドナルド・トランプが大統領に就任して以降、政治的な対立はもちろんのこと、人種間の問題や地域や階級における経済格差など、さまざまな局面で立場や意見の異なる者たちの間の溝がますます広がっているようだ。近年、ヘイトクライムによる事件や銃社会ならではの悲劇はやむことがない。もはや対話は不可能、不寛容な空気ばかりが社会を覆っているかにすら思える。そのあげく一方的な憎悪をむきだしにした犯罪やモラルもなく偏見にもとづいた暴力が多発するのだろうか。
 バラク・オバマが建国以来、初のアフリカ系アメリカ人の大統領となったのは、2009年のことだ。もし2016年の大統領選でヒラリー・クリントンが勝利していれば、アメリカ初の女性大統領が誕生していたはず。長らく支配してきた白人男性優位社会からの大きな変革が続くかに見えた。しかしながら、ヒラリーは敗北し、人種差別、性差別的な発言を繰り返すトランプが大統領に就任した。
 アッティカ・ロック『ブルーバード、ブルーバード』は、まぎれもなくこうした時代のもとに生まれた小説である。
 東テキサスのスモールタウンで起こったふたつの殺人をめぐる犯罪劇。物語のなかにアメリカの歴史が凝縮されており、とりわけ南部という土地と深くかかわった事件が扱われている。
 2017年に発表された本作は、翌年の2018年、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞、アンソニー賞最優秀長篇賞、そして英国推理作家協会賞スティール・ダガー賞を受賞した。英米の主要なミステリ文学賞で三冠に輝いたのだ。第1作『黒き水のうねり』がアメリカ探偵作家クラブ賞新人賞にノミネートされるなど、作者アッティカ・ロックはデビュー時から注目されていたが、『ブルーバード、ブルーバード』でその評価を不動のものにした。すでに本作を原作としたドラマ「Highway 59」の制作が決定しており、作者自身も脚本を手がけるようだ。
 物語の主要な舞台となっているのは、東テキサスのシェルビー郡にある、人口はわずか178人の小さな町ラークである。ハイウェイ沿いの田舎町だ。
 主人公は、ダレン・マシューズ。黒人のテキサス・レンジャーだが、現在は停職中だった。その原因は、ロニー・マルヴォという貧乏白人の事件に関係していた。ダレンの実家の農場を長いこと管理していた老人マックには孫娘ブリアナがいた。その彼女に対し、マルヴォがしつこく嫌がらせをしていたのだ。あるとき、マックとマルヴォのふたりが銃をもって一触即発となったとき、しらせを受けたダレンがヒューストンから駆けつけ、その場はおさまった。だが、その2日後、銃弾をくらったマルヴォの死体がマックの土地の脇の溝でみつかったのだ。犯行につかわれた銃は発見されないままだった。
 そんな事件のあと、停職となったダレンは高校時代からの友人でFBIエージェントのグレッグ・ヘグランドから、シェルビー郡のラークでわずか六日のうちにふたつの死体が出た事件を調べてほしいと頼まれた。殺されたひとりは、町へ立ち寄ったと思われる35歳の黒人男性。死因は溺死でバイユーから引き上げられた。もうひとりは20歳になる地元の白人女性だった。最初の死体と同じような状態で発見されたという。
 ダレンはさっそくピックアップトラックに乗り、ハイウェイ59号を北上した。町に到着して最初に入ったのは〈ジェニーヴァ・スイーツ・スイーツ〉というカフェだった。60代後半の黒人女性ジェニーヴァ・スイートが切り盛りする南部ならではの食堂で、奥には理髪用の椅子があった。いま店内はクリスマスの飾りつけがなされ、〈きよしこの夜〉が流れていた。黒人たちが立ちよる町のカフェだ。
 若い白人女性ミシー・デイルの死体が発見されたのは、そのカフェのすぐ裏で、いまだ制服警官が大勢うろついていた。ダレンはジェニーヴァの店で食事をすませたあと、死体発見の現場を見てまわった。そこで出会ったのが、ヴァン・ホーン保安官ともうひとり、この町をつくった一族の長であるウォレス・ジェファソン三世、通称ウォリーだった。通りをはさみ、カフェのむかいの大きな屋敷に住んでいる男だ。
 そのあとダレンは、アイスハウス〈ジェフの酒場〉へと向かう。ビリヤード台、ピンボールマシン、ダーツ盤などがある大きな店。客の大半は白人男性で、古いジュークボックスからカントリー・ミュージックがかかっていた。死んだミシーはここで働いていたのだ。店にはいったダレンは、はからずも黒人女性ランディ・ウィンストンと出会う。死体で発見された黒人男性マイケル・ライトの妻である。
 以上が導入部から物語前半部分までの主なストーリーだ。そのほか、ダレンと妻リサや母親ベルとの関係、もしくはダレンのふたりの伯父など、主人公をめぐる家族のエピソードやこれまでの生い立ちなどが徐々に語られていく。読者は話が進むにつれ、ダレン・マシューズという男がどのようにしてできあがり、現在どういう状況にいるのかを把握していくのである。
 ダレンがラークに着いてからも同様で、彼の視点から、ひとびとの横顔や町の風景をはじめ、事件の背景となる状況が少しずつ判明していく。アメリカ南部へ訪れたことはなくとも、町なかに流れるバイユーをはじめ、黒人が集まるカフェ、白人が騒ぐ酒場と、小説や映画でよく知る風景が描かれているばかりか、そこに田舎町ならではの、さまざまな因縁がまとわりつく濃密な人間関係がうかがえる。単に白人と黒人のおかれた立場の違いだけではないし、家族や夫婦だからといって、仲がいいわけではないのだ。
 また、すでに亡くなった人物への言及にふくみをもたせることで隠された過去を暗示するなど、終始リアリズムに徹した緻密な描写で展開しつつ、表面の写生で終わっていない厚みが作品のあちこちに感じられる。そのほか、作中、過去の回想場面をドラマのかたちで物語へ挿入していく手法も効果的だ。すべての場面が生き生きとしており、臨場感にあふれている。
 同時に、南部を舞台にしたミステリとしての大きなテーマが、冒頭から幾度も示されている。はたしてラークで起きたふたつの殺人は典型的なヘイトクライムだったのか。
 そのことは、白人至上主義の犯罪組織〈アーリアン・ブラザーフッド・オブ・テキサス(ABT)〉の存在が、いたるところで言及されていることからもうかがえる。ABTは、覚醒剤の製造や違法銃器の売買により資金を稼ぐ集団で、入団する唯一の方法は、「ニガーを殺すこと」。クラン(KKK)よりあくどい集団だとされている。第一章で登場し、マックとトラブルを起こした例の貧乏白人ロニー・マルヴォはABTとつながっていた。そして何者かに殺された白人女性ミシーの夫キース・デイルもまたABTの一員ではないかとされ、事件との関与を疑われていた。デイルがテキサスの刑務所で2年の刑期を終え、町に戻ってからまだ日が浅いうちに、ふたつの死体があがったのだ。
 だが、ラークで見つかったふたつの死体における大きな謎は、その順番にあった。黒人男性のマイケル・ライトが先に殺され、あとから白人女性の死体があがったのだ。これが逆であれば、南部で起こる殺人の典型だ。白人女性を殺したのは黒人だとみなされ、犯人と疑われた黒人男性が殺される。人種差別にもとづく魔女狩りのようなケースである。しかし、この事件はそうじゃない。
 物語の全体をみると、本作のあちこちに、こうした相似形もしくは逆転の構図がくりかえされている。鏡像関係といってもいい。殺された白人と黒人、不仲な夫と妻、問題をかかえた親と子など、登場人物の間によく似た関係性が見てとれるものの、それはことごとく反転している。
 たとえば、テキサス・レンジャーとして働くダレンは妻のリサとうまくいってなかったが、同じように死体で発見されたマイケル・ライトとその美しい妻ランディもまた1年以上別居していた仲だった。マイケルがラークの町を訪れたのは、そんな妻との関係が影響していたのだ。事件捜査の仕事でやってきたダレンと、ある〈ラブストーリー〉を追い求めて町にきたマイケル。行動はおなじでも目的は正反対に思える。そのほか、カフェの女主人ジェニーヴァとふたりの〈ジョー〉にまつわる悲劇をはじめ、過去と現在のあいだに起こった、いっけんよく似た出来事が逆転や裏返しの形で繰り返される例は、本作のなかにいくつも見受けられる。とても興味深いところだ。
 なにより物語の核心となる事件の真実が、それを如実に示している。
 誰もが顔なじみの狭い人間関係のなかにあるスモールタウンで起こった犯罪だけに、犯人捜し(フーダニット)の意外性は乏しいかもしれない。作者もそこにこだわっていないのだろう。だが、終盤における真犯人の告白を読んだとき、なにか胸を衝かれる気持ちを味わった。皮肉にもこれは憎悪(ヘイト)ではなく愛(ラブ)による犯罪なのだ。それもただの愛ではなく、とてつもなく強い愛情、もしくは秘められた愛である。名誉を重んじ、高いプライドを有する南部人だけに、複雑で相反する力が働き、事件を不可解でねじれたものにしたのかもしれない。
 この作品が英米で衝撃的に受け止められたのは、アメリカ南部の田舎町に起きた犯罪の底に横たわる、思いもよらない真実を暴き出したからではないかと、あらためて感じた。いわゆる極右が台頭し、自国中心主義の力が増大するばかりの世界に対し、強烈なカウンターパンチをくらわすような小説である。
 近年のアメリカでは、武器など所持していない丸腰の黒人を白人警官が射殺するという事件が繰り返され、大きな社会問題となっている。最近では、ごく当たり前な公共の場であっても、そこに黒人がいるというだけで白人が警察に通報するという例が少なくないらしい。そのあげくの悲劇である。断絶、無理解、根拠なき偏見や憎悪、そこから生まれる犯罪と悲劇。こうした時代だからこそ、作者はダレンという黒人にしてテキサス・レンジャーという主人公を創造し、このような物語を生み出したのだろう。
 そしてもうひとつ、強く胸に残ったのは、作中にあった「彼らはひとつの大きな家族だったのだ」という言葉である。南部という特別な土地だけではなく、あたかも、アメリカ合衆国とは、ひとつの大きな家族なのだと訴えているようにも考えさせられた。
 さらに本作の重要な要素をあげれば、いたるところでブルースが流れていることだ。なにより伝説のブルースマンという存在が、話の大きな役割をになっている。題名の「ブルーバード、ブルーバード」とは、アメリカを代表するブルースマン、ジョン・リー・フッカーの曲「ブルーバード」からとったものだ。第12章に登場しているが、「ブルーバード、ブルーバード、この手紙を南へ届けてくれ」という歌詞ではじまる歌である。また、ジョン・リー・フッカーと並ぶブルース・シンガーのライトニン・ホプキンスにも「ブルーバード、ブルーバード」という曲があり、その歌詞はほとんど同じ。いずれも家を出て遠く南の町にいる恋人に思いをよせたブルースなのだ。ちなみに、ダレンの母親の名が「ベル」なのは、この曲の歌詞にちなんだ命名かもしれない。
 最後に作者のアッティカ・ロックについても触れておこう。1974年、テキサス州ヒューストンに生まれた黒人女性で、もともとシナリオライターだったが、2009年に『黒き水のうねり』で小説デビューを果たした。かつて公民権活動家で逮捕歴のある黒人弁護士ジェイを主人公にしたこの作品は、ヒューストンを舞台に、ジェイが偶然目撃した事件に巻き込まれていく犯罪小説だ。ジェイムズ・エルロイやジョージ・ペレケーノスらが絶賛した作品である。その後、2012年に「The Cutting Season」、2015年に「Pleasantville」を発表、『ブルーバード、ブルーバード』は第4作目にあたる。
 また、アッティカ・ロックは、2015年から放送が始まり、大ヒットをとばしたテレビドラマシリーズ、「Empire 成功の代償」のプロデューサーのひとりであり、何作か脚本も担当している。これは、ヒップホップ音楽業界を舞台に、大手レコード会社エンパイア社の後継者をめぐる争いを中心としたテレビドラマである。本作の主人公ダレンのイメージは、この〈Empire〉シリーズにかかわっているときに浮かんだという。先に述べたように、『ブルーバード、ブルーバード』を原作としたドラマシリーズも決定しているようだが、ダレン・マシューズが活躍する次の小説も期待したいところだ。

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