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日本経済新聞2月23日書評欄にて紹介されました! 『人類との遭遇』、長谷川眞理子氏による巻末解説

人類の起源は、科学者ならずとも大きな興味の的。いまも日進月歩で最新学説が変化し続ける、ホットな分野です。昨年12月に弊社が刊行した『人類との遭遇』(イ・サンヒ&ユン・シンヨン、松井信彦訳)は韓国では珍しい人類学者と、韓国のサイエンス・ライターによる人類学の入門書ですが、じつは著者は日本とも浅からぬ縁の持ち主。その本書を日本の第一人者が紹介する、興味深い文章をご一読ください。

『人類との遭遇』解説
長谷川眞理子(総合研究大学院大学学長)
 
自然人類学という分野
 人類学というと、誰もが普通は文化人類学を思い浮かべる。文化人類学は、ヒトのさまざまな集団が持っている文化を記録し、それについて考察する人文系の学問である。一方、文化を持つということも含めて、ヒトという動物がどうしてこんな動物になったのか、その生物学的進化を研究する人類学もある。こちらは自然人類学という学問なのだが、あまり世間には知られていない。
 その理由は簡単で、日本には自然人類学の専攻を持っている大学が二つしかないのだ。東大と京大である。しかも、それぞれの定員が一〇人以下と非常に少ない。おまけに、毎年必ず一〇人が輩出されていくわけでもない。だから、日本には自然人類学者がほんの少ししかいないのだ。
 韓国も事情は似たようなものであるらしい。本書は本当に珍しくも、イ・サンヒという韓国人の人類学者、それも女性の人類学者で、アメリカで活躍されている研究者による、自然人類学の書である。それが日本語に翻訳され、私たちが読めるようになったのだ。ユン・シンヨンという韓国の科学ジャーナリストが、自然人類学に関する取材を行っていて、韓国人の人類学者がなかなか見つけられないでいたところ、偶然発見したのが、彼女であったらしい。その交流から生まれた本書は、どんどん引き込まれて読んでしまう魅力にあふれている。
 自然人類学の歴史的変遷を踏まえながら、最新の情報をうまくまとめて、人類の進化を描き出している。語り口がよくて、本当におもしろい。これまで、日本で紹介される自然人類学の書物のほとんどは、欧米人が書いたものだったが、アジアからもこんな人材が出てきたということは、喜ばしい限りである。
 
科学と文化の関係
 科学は万国共通の手法と理論で行われるものだから、どこの国の出身者だろうと、書くことは同じだと思われるかもしれない。しかし、その手法と理論を使って実際に研究するのは、どこかの国のどこかの文化で育ってきた人間なのだ。たとえ、万国共通の手法と理論を用いていても、研究の発想ややり方には、文化が確かに影響を及ぼす。それほど、文化的態度は、無意識のうちに、その人の世界観に影響を与えているのである。
 それが「人類」の進化の話となれば、他文化の人々に対する偏見その他が完全に消されるとは言い難い。それは、自然人類学の歴史を見れば明らかだ。欧米を最高とし、アフリカやアジアを未開とする考えは、一〇〇年以上にわたって、仮説の構築に影響を及ぼしてきた。その意味で、欧米以外の出身の自然人類学者が何を書くかは、とても重要なのである。もちろん、科学は、自らの内包する偏見をも、自らの手法を用いて正す自浄作用も持っているのではあるが。
 
学際的な研究分野
 自然人類学は、その中にいろいろな分野を持っている。遺伝子から人類の進化を調べる分野、生理学的機能から調べる分野、行動と生態を調べる分野など、さまざまである。その中で、絶滅した人類の化石を研究する分野がある。これは、古人類学と呼ばれる。著者のイ・サンヒ教授は、この古人類学が専門の学者だ。古い化石の形態、年代測定、そこから推定される生活様式などを描写し、進化の道筋を再構築していく。一〇〇年も前に発掘された化石の解釈が、今も新たにされていく。息の長い研究成果を丹念に紹介してくれる。
 しかし、古人類学が専門だからと言って、化石だけしか知らなくていいというわけにはいかない。進化とは、遺伝子に生じた変異が、その変異を持った個体の生活を通じて、次の世代にどのように広まっていくかの話である。個体の生活というところには、個体を取り巻く生態環境も、他種との競争も、同種他個体との社会関係もすべてが含まれる。これらすべてについて考慮しなければ、進化は十分には語れない。進化は、総合的な学問なのである。
 だから、自然人類学も総合的な学問だ。ある一分野だけに特化していては不十分である。自然人類学者である以上、自分の専門が化石であれ、遺伝子であれ、進化に関する他のすべての分野も視野にいれておかねばならない。自然人類学は、今で言うところの「学際的」な学問なのだ。本書は、そのことをよく示している。食べ物の話、利他行動の話、ヒトの一生の進み具合の話と、化石だけではない、さまざまな話題が出てくる。それは当然だし、それらが本当におもしろく、互いに関連をもって語られている。
 私が東京大学理学部生物学科の人類学教室に進学したころ、当時の主任教授たちは、何かとても申し訳なさそうな様子で、「人類学というのは、これといった専門はないのです。解剖学から遺伝学から、いろいろなものの寄せ集めでね」と言っていた。もう大昔の話だが、確かに当時は「学際的」という表現はなかったように思う。そういう言葉と概念さえあれば、もっと堂々と自然人類学の強みを主張できたのにと、ちょっと残念である。

北京原人の化石とヤクザ
 本書を読んで非常に驚いたことの一つが、北京原人の化石を日本のヤクザが持っているかもしれないという話だ。北京原人の化石の本物は、第二次世界大戦のさなかに失われてしまった。それがどこへ消えたのかは、今もって謎である。そのことはよく知られているが、日本のヤクザが持っているかもしれないという噂は、私はまったく知らなかった。
 著者は、あるジャーナリストからのメイルによって、それが本物の化石かどうかを確かめるチャンスを提供される。ずいぶんと興奮したらしいが、アメリカにいる恩師の方に止められ、それは実現しなかった。それはそれで、よかったのだろう。ヤクザとは関係を持たない方がいい。
 驚いたのは、それが一九九九年で、彼女はそのとき、葉山にある総合研究大学院大学でポスドクをしていたということだ。それは、総合研究大学院大学先導科学研究科で、当時二つあった専攻の一つ、生命体科学専攻のことだろう。
 私は、二〇〇六年に総研大の葉山にやってきた。この生命体科学専攻ともう一つあった光科学専攻が廃止になり、次の新専攻の準備室長として赴任したのである。結局、生命共生体進化学専攻という新しい専攻を設立し、その専攻長、研究科長を務めることになった。そして、今では総研大の学長をしている。そんな私が、葉山の昔の総研大にポスドクとして通っていた彼女が書いた本を読み、その解説を書くことになるとは、不思議な因縁ではないか。まだ会ったことのない彼女に非常な親近感を抱くとともに、是非、お会いしたいと思う次第である。

文化と進化について
 本書で彼女は、人類史における生物進化の部分と文化の部分、そして文化と進化の相互作用について、いろいろなことを記述している。人間とは、自ら構築した文化環境の中で育ち、暮らし、世界観を築いていく生き物である。文化は人間を取り巻く直接の環境であり、気候などの物理的な環境に立ち向かうためにも、人間は文化を創出することで対処してきた。
 その文化というものは、ヒトの男と女とは何か、父親とは何か、人種とは何かなどなどについて、数多くの概念を作り出し、ヒトはそのような文化の概念に取り囲まれて育つ。だから、本当に生物学的にどうなのかはともかく、ヒトは文化によって作られた概念を教えられ、それに沿うように行動し、そのように世界を見るようになる。
 では、ヒトにとってもっとも大事なのは文化的概念であり、生物学的なものは忘れてもよいのだろうか? そうではない。そのあたりの生物学的性質と文化の関係は、大変に微妙で難しい問題である。本書は、そのことを考える材料も提供してくれる。
 
 本書を日本の読者に紹介することができて、大変に嬉しく思う。私自身、こんな魅力的な人類進化の本をこれからも書きたいなと思わせられた。人間はどこから来てどこへ行くのか? この永遠の疑問を共有するすべての人たちに本書をお勧めしたい。


人類との遭遇――はじめて知るヒト誕生のドラマ』’(イ・サンヒ&ユン・シンヨン、松井信彦訳、本体2300円+税)は早川書房より好評発売中です。

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