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《ローダンNEO》シリーズ、第2シーズン全8巻連続刊行開始! 新シーズン開幕の第9巻に掲載の森瀬繚氏による解説を公開

世界最長のSFシリーズ《宇宙英雄ローダン》50周年企画としてスタートしたリブート企画、《ローダンNEO》。

※シリーズ紹介と1~8巻までのあらすじは以下のリンクを

【シリーズ紹介】世界最長のSFシリーズ《宇宙英雄ローダン》、その新プロジェクト《ローダンNEO》とは? 第2シーズン全8巻2018年7月より日本版刊行開始!

本作《ローダンNEO》は、8巻単位で1シーズンという区切りの構成となっている。
第2シーズン全8巻(9巻~16巻)の毎月刊行が始まったことを記念して、ライター・翻訳家の森瀬繚氏による第9巻収録の解説を掲載する。

《ローダンNEO》シリーズはどのようなコンセプトでリブートされたのか? その経緯や意図がアメコミのリブート企画と比較することで分かりやすく示され、正篇からの改変内容についても解説されている。

まさにこの第2シーズンから、《NEO》は正篇のストーリーを大きく逸脱し独自の魅力を増していく。これから《ローダンNEO》を読み始めるすべての人にうってつけの内容となっている。

解説


                      ライター・翻訳家 森瀬繚

 もう何年も前から、数十冊が刊行されている長期連載のコミック・シリーズについて、「どこから読み始めればいいのでしょうか?」というような質問を、Yahoo!知恵袋のようなサービスでしばしば見かけるようになった。
 生まれた時から、それこそ呼吸をするように活字を摂取してきた書狂にとっては、いささか奇異に思えるかもしれない質問だ。「一巻から読み始めれば良いだけのことでは?」──きっと、そう思ったことだろう。
 だが、少し考えてみて欲しい。もし仮にあなたが、昨今のアメコミ・ヒーロー映画の隆盛で原作コミックに興味を抱いたとしよう──『マン・オブ・スティール』を観て、スーパーマンのコミックに興味を抱いたあなたは果たして、一九三八年に刊行されたAction Comics #1 に始まり、いくつもの媒体で連綿と展開されてきたスーパーマンのコミックを、刊行順に頭から読み始めるなどということが実際の話、可能なのだろうか?
 数十年規模の長期間にわたる作品展開に起因する、読者層の高齢化やシリーズの複雑化、呪いの如く作劇にのしかかってくる古臭い初期設定の呪縛というニッチな問題に、おそらくこの地球上で最初に直面することになったアメコミ業界は、まずはヒーローの代替わり(SHOWCASE #4 (DCコミックス社、一九五六年)における新フラッシュの投入)、次いで作品世界を多元宇宙として解釈することによるヒーローのリブート(スーパーマンの起源(オリジン)を一新した、The Man of Steel #1 (DCコミックス社、一九八六年))などの手法を編み出したのである。
 以来、長期的なシリーズを抱えるアメコミの各版元は、作品世界全体のリセットを定期的に繰り返し、新規読者のスタート・ラインを更新し続けている。
 五〇周年が迫りつつある頃、《宇宙英雄ローダン》シリーズの版元であるPabel-Moewig Verlag 社のスタッフもまた、同様の問題を抱えていた。
 筆者が毎日足繁く書店に通いつめ、《グイン・サーガ》のような長篇シリーズの巻数に臆せず、貪り読んでいた一九八〇年代中葉、《宇宙英雄ローダン》は既に一〇〇巻の大台を越えた、「これから読み始める」にはいささか敷居の高い、別格のシリーズだった。
 それから三〇年以上が経過し──一九六一年九月八日から毎週発売され続けている本家シリーズは三〇〇〇巻に迫りつつあり、一〇年遅れでスタートした日本語版は、まだ半分にも届いていない(日本語版は、各巻に原書の二巻分をまとめるスタイルである)。
 最終的に彼らが選んだのは、正篇シリーズのリブート──ではなく、同時並行で展開される新シリーズ《ローダンNEO》だった。そのあたりの事情については、第一巻の巻末解説で嶋田洋一先生が既に触れた通りだが、《ローダン》シリーズの責任者であるクラウス・N・フリック編集長にそのような決断をさせたきっかけは、マーベル・コミックス社の作品世界を、原作コミックとは異なる背景、オリジンの上で再構築するマーベル・シネマティック・ユニバースの世界的なヒットだったという話が伝わってきている。
 アイアンマンやキャプテン・アメリカ、インクレディブル・ハルク、スパイダーマンといったマーベル・コミックス社のヒーローたちがスクリーン狭しと活躍するマーベル・シネマティック・ユニバースの作品群は、同時期に刊行されているコミックス群とは部分的に連動することもあるが、基本的には全く独立した──「アース199999」と呼ばれるマルチ・ユニバース(多元宇宙)のひとつが舞台の物語と位置づけられている。
 マーベル・シネマティック・ユニバースの展開は、コミック本体のリブートではなく、再解釈によって生まれた新たな作品世界(ユニバース)であり、その意味において、正篇《宇宙英雄ローダン》と《ローダンNEO》の関係性そのものと言える。
 二〇〇一年から二〇〇七年にかけて正篇シリーズの編集・執筆に携わった、比較的若手のフランク・ボルシュが《ローダンNEO》の上級作家(責任者)として起用されたことは、マーベル・コミックス社作品のドイツ語版翻訳者であるというボルシュのキャリアと決して無関係ではないだろう。そして、彼は期待された役割を見事に果たしたのだった。
 フランク・ボルシュは《ローダンNEO》の第一期──最初の一〇〇冊をもって上級作家の地位を退き、ミハエル・H・ブッフホルツとルディガー・シェーファーに第二期以降の展開を引き継いでいるが、彼が主導した大胆な改変の数々を、日本の読者──つまり、我々が目の当たりにするのは、いよいよこれからなのだ。
 さて、《ローダンNEO》第一期の第二シーズンが本書をもって幕開けとなったわけだが、筆者としてはここでいったん第一シーズンを振り返ってみたい。
《宇宙英雄ローダン》の作品内開始年は、本国での刊行開始時期の一〇年後である一九七一年であったが、二〇三六年へと物語のタイムラインが変更されており、それは、《ローダンNEO》が本国で刊行開始された二〇一一年における「現実」の世界情勢を反映したものではあるが、皮肉にも月面有人着陸から半世紀も経とうという今年──二〇一八年になっても、未だに月面基地のひとつも建造できていないという、SFファンにとっては忸怩たる思いを禁じ得ない「スケジュール遅延」を浮き彫りにした。
 読者諸兄諸姉も知っての通り、一九九〇年にカーティス・ニュートンが月で生まれることはなく、一九九六年にコズミック・カルチャー・クラブ選抜の少年少女たちが火星を訪れることはもちろん、二〇〇一年にディスカバリー号が木星へ向かって出発するようなこともなかった。
 K・H・シェールとクラーク・ダールトンが《宇宙英雄ローダン》シリーズの青写真を描き始めた頃、現実においては敗戦国であったドイツはヨーロッパにおける宇宙開発のヘゲモニーを英仏に譲り、英国以外の国々が皆そうであったことではあるが、独力で人工衛星を打ち上げることもできなかった。しかしながら、冷戦下の宇宙開発競争において、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士に代表されるドイツ人科学者たちが活躍していたことに、何かしら自負心のような感情を覚えていたことについては、想像に難くない。正篇シリーズの第五巻、Atom-Alarm 『非常警報』(日本語版第三巻『ミュータント部隊』に収録)から執筆陣に加わっているクルト・マールなどは、一九六二年に米国に移住し、《ローダン》シリーズの執筆のかたわら、マーティン・マリエッタ・コーポレーション(米国の航空機メーカー、一九九五年にロッキード社と合併した)などのいくつかの企業に勤め、ロケットエンジンの開発に携わっていたのである(一九七二年に帰国)。
 正篇シリーズの幕開けにもなっていた「人類の月面到達」というイベントは、現実にはシェールたちの想定よりも二年早い一九六九年に実現したものの、異星人とのファースト・コンタクトは残念ながら先延ばしになり、冷戦下の宇宙開発競争も失速していった。
 とはいえ、現実におけるロシア連邦宇宙局が、二〇三七年までに月面基地を建設するという計画を二〇一三年に発表しており、それは奇しくも本作《ローダンNEO》の作中年代とリンクしていた。同局は二〇一六年一月に廃止されたが、代わりに設立された国営企業ロスコスモスに計画は引き継がれている。
 現実世界における月面基地の建設については、中国もここ数年、活発な動きを見せており、あるいは本シリーズで描かれているような月面基地が、二〇三七年までには実現するかもしれない。そうした意味では、時節に合った改変と言えるだろう。
 他に大きく変わった部分として、主要キャラクターたちの集合離散プロセスの改変も気になるところだが、これは時代背景や状況の変更に伴う改変というよりも、作劇上の必要によるものだろうから、個々の比較にはあまり意味はないだろう。
 筆者的には、非アルコン人の異星人にまつわるエピソードが《ローダンNEO》においてごっそりオミットされたことをこそ、より重大な改変点として注目したい。正篇シリーズにおいて、世界の三大ブロックから敵視されるペリー・ローダンの〈第三勢力〉が、彼らと対等な立場を手に入れるきっかけとなったのは、トーラの失策によって地球に目をつけることとなったファンタン星人、IVsといった異星人による侵略行為だった。「共通の危機を前に、バラバラになっていた世界が手を結び、ひとつになる」という展開は、様々な作品において繰り返されてきたお約束的なものではあるが、このような大きな改変が行われた理由は、果たしてどんなものだろう。
 正篇シリーズにおいて、ローダンらに撃退されたこれらの敵性異星人たちはその後、再登場することもなく、その他諸々の設定と共に忘れ去られてしまう。
 そのことを踏まえた改変なのだとも思えるが、あるいは今現在、我々が直面している分断の時代を踏まえ、「新たな異星人による侵略程度の出来事」で対立勢力が和解するとは思えないという判断を、ボルシュ以下のライターたちが下したのではないだろうか──。
 残念ながら、このあたりについての関係者の発言を見つけることはできなかったが、機会があれば是非、質問してみたいと考えている。
 そんなことに思いを馳せながら、正篇《宇宙英雄ローダン》(幸い、kindle 版が存在する)と併読してみるのも、《ローダンNEO》の愉しみ方のひとつではないだろうか。
 今後、シーズン3、シーズン4と刊行が続くことを、一読者として強く希望する。

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