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特集 ジョー・イデ『IQ』⑥ ホームズ研究の第一人者・北原尚彦が読み解く!

好評発売中のミステリ、ジョー・イデ『IQ』について、ミステリマガジン2018年9月号から、北原尚彦氏によるレビューを特別掲載いたします。

IQは黒人版シャーロック・ホームズか?

北原尚彦(作家・翻訳家・ホームズ研究家)


 ジョー・イデ『IQ』は原書の刊行時から「黒人版のシャーロック・ホームズの登場」として、大いに話題となっていた。しかも作者が日系とあっては、尚更注目せざるを得ない。その邦訳刊行を、まずは喜びたい。

 とはいえ、本作はホームズを現代の黒人に置き換えたパスティーシュ、というわけではない(そういう作品もアメコミ“Watson and Holmes : A Study in Black”のように存在しないわけではない)。

 舞台は英国のヴィクトリア朝ロンドンならぬ、現代米国LAの黒人街。アイゼイア・クィンターベイこと“IQ”という探偵が、元ギャングで現在は実業家のドッドソンを相棒に事件に乗り出す。

 探偵役が黒人でバディ物、というと、チェスター・ハイムズの『イマベルへの愛』に始まる〈墓掘りジョーンズと棺桶エド〉シリーズが想起されるが、あちらは刑事たちのコンビであり、趣がずいぶんと違う。

 アイゼイア・クィンターベイの名前はホームズをもじっていないが、相棒「ドッドソン」はワトソンと語呂が似ている。しかも、メインとなるのが巨大な犬が人を襲う事件というのだから、『バスカヴィル家の犬』を想起せざるを得ない。

 IQ以上に優秀な兄は、マイクロフトならぬマーカス。ストリッパーのデロンダはドッドソンの元彼女だから、メアリ・モースタンの役どころか。とすると、警察や元FBIには頼りたくなくてIQとドッドソンに依頼をしてきた有名人で金持ちのカルバン・ライトは、さしずめボヘミア国王というところ。いや、彼はラッパーだから、どちらかというと歌手のアイリーン・アドラーの方か。いずれにせよ「ボヘミア国王の醜聞」だ。貧乏人からは報酬をもらわず払える者に払ってもらう、というスタンスもホームズと同じである。

 現在の話とは別に、過去のエピソードも披露される。ホームズ長篇では作品後半で過去の因縁が語られる物語構造となっている場合が多いが、本作では現在と過去が交互に語られる。過去パートはいかにしてIQとドッドソンが出会い、同居を始め、関係を構築していったかという話で、これはもちろんホームズにおける『緋色の研究』というわけだ。探偵としてのIQの誕生秘話でもあるので、その辺りはシャーロック・ホームズ最初の事件「グロリア・スコット号」でもある。

 シャーロック・ホームズはコカインをやっていたけれども、IQは麻薬をやらない。確かにヴィクトリア朝ロンドンと違って、現代のLA黒人街で麻薬をやったら、洒落にならないではないか(麻薬売買については描かれている。危険極まりないものとして)。

 IQは、名前や外見ではなく、本質がシャーロック・ホームズに似ているのだ。例えばその観察力や推理力。悪党を追跡する際、悪党の帽子のロゴ及び自動車の付属物からボートを持っていることを推察し、港へ向かったのだと判断する。ホームズが、依頼人を観察してどのような交通機関でベイカー街まで来たか推理したり、ワトソンの靴に付いた泥を観察してどこの道を通ってきたかを推理したりするのと同様だ。

 過去パートで、IQが観察力を鍛えるくだりもなかなかのものだ。走っている自動車を三秒間眺めた後に、目を閉じて覚えていることを語るのである。車種、ボディの色、ドライバーがどんな人間だったか、ナンバーは……。そんな甲斐があって、名探偵IQは生まれた。彼は能力やキャラクターゆえ、その社会における他の人々とは様々な意味で異なっている。「世界における特異な存在」であるところも、ホームズと共通しているのだ。

 作者自身にとってのシャーロック・ホームズについては、渡辺由佳里氏による本書巻末解説内で触れられている。作者は少年時代にコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズを愛読しており、12歳までに全短篇を読了、繰り返し読んでいたという。ホームズのように知性によって犯罪を打ち負かす名探偵は、少年時代のジョー・イデが生活していたLAサウス・セントラル地区という暴力的な世界において、非常に魅力的な存在だったのだ。その生い立ちと愛読書がつながって、この『フッド(註:地元やその住民を意味するスラング)のシャーロック・ホームズ』が誕生した――とイデは語っている。

 本作はホームズ的知識全くナシで読んで頂いて全く構わないし、逆にホームズ・パスティーシュ/パロディ的側面を期待して読むと、かえって肩透かしを食らうだろう。(そもそも舞台がまったく違うから、雰囲気もまるで違う)。作者としても、探偵のイニシャルをSHにしなかったのは、その辺りの意思表示なのではないか。

 ともあれ、頭の凄く切れる探偵が、その知力を武器に悪と戦う姿は、ホームズの影響云々を別にしても爽快でカッコイイ。この場合は「クール」だと言うべきか。新たな「クールで知的なヒーロー」、それがIQなのだ。

 本作はシリーズ化しており、第2作は既に刊行済み、第3作は2018年内に刊行されるという。その第2作にはホームズにおける宿敵モリアーティ教授に相当する人物も登場するらしい。今後にもますます期待である。

北原尚彦プロフィール〉
Naohiko Kitahara

1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本を代表するホームズ研究家としても知られ、関連のパスティーシュや翻訳書、ガイドブックなどを多数執筆。著書に『ジョン、全裸連盟へ行く: John & Sherlock Casebook 1』『シャーロック・ホームズの蒐集』など。

ミステリマガジン2018年9月号には、丸屋九兵衛氏による『IQ』レビューも掲載されています。併せてお楽しみください。

本noteではIQを特集中。この記事で気になった方は①~⑤もチェックしてみてください。
特集『IQ』①ミステリ新人賞三冠! 日系アメリカ人作家のデビュー作登場
特集『IQ』②遅咲き日系人作家が生み出した、ロス黒人街の「ホームズ」――【文庫解説特別公開】
特集 ジョー・イデ『IQ』③探偵アイゼイア・クィンターベイ登場――冒頭試し読み掲載(1/3)
特集 ジョー・イデ『IQ』④――アイゼイアが遭遇した事件とは? 冒頭試し読み掲載(2/3)
特集 ジョー・イデ『IQ』⑤――アイゼイアVS変質者! カーチェイスの決着は!? 冒頭試し読み掲載(3/3)

【書誌情報】
タイトル:『IQ
原題:IQ
著者:ジョー・イデ
訳者:熊谷千寿
本体価格 : 1,060円+税/発売中
ISBN : 9784151834516
レーベル名 : ハヤカワ・ミステリ文庫
内容紹介 :LAに住む黒人青年アイゼイアは“IQ”と呼ばれる探偵だ。大物ラッパーから受けた依頼は、謎の巨犬を使う殺し屋を探し出せという異様なものだった! 新人賞三冠に輝く探偵譚開幕。

〈ジョー・イデ プロフィール〉
Joe Ide
日系アメリカ人。ロサンゼルスのサウスセントラル地区出身。政治学者のフランシス・フクヤマは従兄にあたる。様々な職業を経て、『IQ』で小説家としてデビューし、2017年アンソニー賞、マカヴィティ賞、シェイマス賞の最優秀新人賞を次々に受賞。さらにはアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀新人賞および英国推理作家協会(CWA)賞最優秀新人賞にもノミネートされるなど高い評価を得た。サンタモニカ在住。

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