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平和→格差→絶望死。残酷すぎる「現実」が明らかに! 橘玲「これからのリバタリアニズム」第3回

タイムリーすぎて話題沸騰のウォルター・ブロック『不道徳な経済学――転売屋は社会に役立つ』。本連載では、翻訳(超訳)を手がけた作家・橘玲氏が「これからのリバタリアニズム」と題し、リバタリアニズム(自由原理主義)をめぐる現代の潮流を読み解きます。今回は第3回。

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■平和が格差を拡大させた

「世界じゅうで富める者と貧しい者の格差が拡大し、分断が進んでいる」と、右も左もあらゆる「知識人」が主張している。しかしこれはほんとうなのか?

”事実”を先に述べるなら、グローバル化によって世界の格差は明らかに縮小している。このことは、かつては世界の最貧国だった中国やインドで、わずか30年ほどのあいだにグローバル企業がいくつも誕生し、巨大な中間層が形成されたことを考えればわかるだろう。世界の格差を研究する経済学者のブランコ・ミラノヴィッチによれば、グローバルなジニ係数(格差の指標)は1988年の72.2から2008年の70.5、さらに2011年には約67まで低下している。その結果、産業革命以降でははじめてグローバルな不平等は拡大を停止したのだ(7)。──「グローバリズム批判」を生きがいにしているひとたちはぜったいに認めないだろうが。

しかし、世界が「全体として」ゆたかになったからといって、すべてのひとがゆたかで幸福な人生を送れるわけではない。私たちがいま目にしているのは、その代償として先進国の中間層が崩壊した光景だ。

先進国ではなぜ格差が拡大しているのか。これについても当然のように「グローバル資本主義」が悪者にされるが、そのメカニズムは「平和が長くつづいたこと」と「高齢化が進んだこと」でほぼ説明できる。

生活にすこしだけ余裕がある家庭(中流の上)は、毎月の収入から一万円でも二万円でも貯蓄しようとするだろう。それに対して生活に余裕のない家庭(中流の下)は、稼いだ分だけ使ってしまうので、いつまでたっても貯金はゼロのままだ。これをずっとつづけていけば、年をとるにつれて両者の資産に大きなちがいが生じる

ゆたかになるための条件は、安定した経済環境で、株式や債券、不動産への投資によって複利で資産を増やしていくことだ。それに必要なのが平和で、戦後日本のように敗戦から70年以上、三世代も平和な時代がつづいた超高齢社会では、「グローバル資本主義の陰謀」などなくても、その分だけ格差は自然に拡大する(グローバル化によって格差拡大のペースが速まったということはあるだろう)。

過去の不平等を検証したアメリカの歴史学者ウォルター・シャイデルによれば、古代中国でも古代ローマでも、平和な時代にはどこでも格差が拡大している。それを破壊するのが「戦争」「革命」「(統治の)崩壊」「疫病」で、二度の世界大戦やロシア革命、文化大革命、黒死病(ペスト)の蔓延のような「とてつもなくヒドいこと」が起きると、それまでの統治構造は崩壊し、権力者や富裕層は富を失って「平等」が実現するのだ(8)。

このように考えれば、戦前までは「格差社会」だった日本が戦後になって突如「1億総中流」になった理由がわかる。ひとびとが懐かしむ「昭和30年代の平等な社会」は、敗戦によって300万人が死に、国土が焼け野原になり、アメリカ軍(GHQ)によって占領された「恩恵」だったのだ。


■「絶望死」する「下級国民」たち

平和とゆたかさによって格差が拡大しつづける現代社会(とりわけ先進国)において、政治思想はどのように分布しているのだろうか。ここでのキーワードは「マジョリティの分断」で、日本では「上級国民/下級国民」というネットスラングで知られている。

マジョリティは社会の主流派、マイノリティは少数派で、アメリカでは「白人/黒人」、ヨーロッパでは「白人/(ムスリム)移民」の対立として顕在化している。欧米のような移民問題に直面していない日本では、「男性/女性」の対立を考えればいいだろう。政治家や大企業の役員を見ればわかるように、日本社会は「日本人/男/中高年/正社員/(一流)大学卒」という属性をもつきわめて均質なメンバーによって支配されている。

マジョリティの分断とは、本来は社会の主流派であるにもかかわらず、中流階級から脱落し、本人の意識のうえでは社会の最底辺(マイノリティのさらに下)に落ちてしまったと感じているひとたちが膨大に生まれる現象をいう。その典型がアメリカで、「怒れる白人」の反乱によってドナルド・トランプという稀代のポピュリストが大統領の座を獲得した。

ここで注意しなければならないのは、アメリカ社会の最貧困層はいまも黒人やヒスパニックの移民などのマイノリティだということだ。彼らの窮状に比べれば、家と車、家族をもつ「プアホワイト」はまだ恵まれているだろうが、客観的な貧困と主観的な貧困感情は別だ。

中流(マジョリティ)から脱落してマイノリティになるのではなく、マジョリティのまま貧困化していくとどうなるかを示すのが、ホワイト・ワーキングクラス(白人労働者階級)の死亡率が増加しているという奇妙な現象だ。世界的にもアメリカ全体でも平均寿命が延びつづけているというのに、彼らの寿命だけが短くなっている。この驚くべき事実を発見したプリンストン大学のアン・ケース教授とアンガス・ディートン教授は、「プアホワイト」の死亡率が高くなる主な原因はドラッグ、アルコール、自殺だとして、これを「絶望死deaths of despair」と名づけた。

2人によれば、25~29歳の白人の死亡率は2000年以降、年率約2パーセントのペースで上昇しているが、他の先進国では、この年代の死亡率はほぼ同じペースで低下している。50~54歳ではこの傾向がさらに顕著で、米国における「絶望死」は年5パーセントの割合で増加している。

誰が「絶望死」しているのかもデータから明らかだ。アメリカでは、高卒以下のひとびとの死亡率は、あらゆる年代で全国平均の少なくとも2倍以上のペースで上昇しているのだ(9)。

なぜこんなことになるかというと、「絶望」が相対的なものだからだろう。

黒人は奴隷制の時代からアメリカ社会でずっと差別されてきたし、移民は最底辺からスタートするのが当たり前だった。生活はきびしいものの、そこには「努力すればいまよりよくなる」という救いがある(これ以上、下に落ちようがないともいえる)。

ところが自動車工場などの製造業で働いていた白人のブルーワーカーたちは、ついこのあいだまで誇りをもって「メイド・イン・アメリカ」の製品をつくり、家族を養い、隣人たちとバーベキューパーティをし、日曜には教会に通って地域社会に貢献してきた。だが彼らには計り知れない理由で、それらはすべて奪い取られてしまった。残されたのは閉鎖された工場、荒れ果てた商店街、失業者の群れだ。

もちろん経済学者は、国際経済学や労働経済学の理論を駆使してこの現象を説明できるだろう。だが"被害"を受けた彼らはそれを理解できないし、受け入れようとも思わないにちがいない。こうして、「なにかの陰謀がはたらいている」との信念がつくられていく。

彼らの人生を「破壊」したのは、不公正な競争を仕掛ける外国(いまは中国、かつては日本)であり、国境を越えて侵入してくる不法移民の群れであり、移民や貧困層の人権を過剰に保護するリベラル(民主党)だ。──この排外主義感情を巧みに煽ったのがトランプであることはいうまでもない。こうした状況はヨーロッパも同じで、アフリカや中近東からのムスリム移民に貧しい白人たちの敵意が向けられ、イギリスは国民投票でEUからの離脱(ブレグジット)を選択した。

その一方でアメリカには、同じ白人でありながらとてつもなくゆたかなひとびとがいる。彼らは東部(ニューヨーク、ボストン)や西海岸(ロサンゼルス、サンフランシスコ)などの「クリエイティブ都市」に住み、金融、教育、メディア、IT関係など高収入の仕事につき、黒人やヒスパニックなどのマイノリティを支援する民主党の政策を支持し、苦境にある白人のブルーワーカーを「ホワイトトラッシュ(白いゴミ)」と呼んでバカにしている。白人はアメリカ社会のマジョリティ(主流派)なのだから、奴隷制の「負の遺産」や移民としての「差別」に苦しむマイノリティとはちがって、貧乏は「自己責任」なのだ。

ゆたかで知的な白人リベラルは、「自分たちは黒人を差別したりしない」と思っている。しかし、アメリカ社会には厳然と人種差別がある。そうなると、「誰が黒人を差別しているのか?」が問題になる。自分たち(リベラル)でないとすれば、残されたのは頑迷で愚かなプアホワイトしかいない。リベラルな白人は、自分たちの罪(差別意識)を隠蔽するためにきれいごとを振りかざし、価値観がちがう「白人」を攻撃している──。これが、トランプ支持の白人保守派が民主党支持の白人リベラルをはげしく憎悪する理由だろう。こうしてアメリカでは、中流から脱落した白人たちが「自分たちは人種主義(レイシズム)の犠牲者だ」と主張するようになった。白人ブルーワーカーの自己像は、東部や西海岸の白人エリートから無視され、黒人や移民たちから「抜け駆け」される"白人差別の被害者"なのだ。──ヨーロッパでも排外主義の政党に票を投じる白人の自己意識は"被害者"で、押し寄せる移民によって自分たちの仕事や権利が奪われると怯えている。

アメリカ社会の分断の構図を示せば図②のようになるだろう。

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仕事も家族・友人もなにもかも失ったプアホワイトには、自分が「白人」であるという以外に誇るものがない。これが「白人至上主義」と呼ばれるのだが、正しくは「白人アイデンティティ主義」だ。

アイデンティティは「帰属意識」などと訳されるが、徹底的に社会的な動物であるヒトにとって、「私」は社会のなかに埋め込まれている。何百万年も続いた旧石器時代の狩猟採集社会において、共同体からの追放はすなわち死を意味した。アイデンティティは「社会的な私」の核心にあるもので、それを失うことは現代においてすらとてつもない恐怖だ。だからこそプアホワイトは、「白人」という最後に残されたたったひとつのアイデンティティにしがみつく。──日本の「ネトウヨ」も同じで、自分が「日本人」であるという以外に誇るものがない「日本人アイデンティティ主義者」だ。

「オルタナ右翼」などと呼ばれるポピュリストの言論人(思想リーダー)は、フェイクニュースを都合よく交えて彼らのルサンチマン(憎悪)をひきつける。これがトランプ支持者の「岩盤」で、どのようなスキャンダルでも支持率は一定以下には落ちない。こうしてアメリカでは、 白人が「エリート(民主党支持)」と「プアホワイト(共和党支持)」に分断され、両者の対立は収拾のつかないレベルまで深刻化した。

欧米先進国を席巻するポピュリズムとは、高度化する知識社会に適応できた「エリート」に対する、「知識社会から脱落したマジョリティ」の抵抗運動なのだ。

■サイバーリバタリアンとプアホワイトの「共闘」

サイバーリバタリアンの多くはシリコンバレーの起業家・投資家やエンジニアで、経済的にはきわめて裕福でプアホワイトとはなんの共通点もないが、「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」ではなく「科学(テクノロジー)」を優先することでしばしばリベラルと対立する。

アメリカには、「男と女は生殖器以外まったく同じ」「白人・黒人・アジア系は肌の色以外なんのちがいもない(あってはならない)」「知能に生得的な差などなく、どんな子どもでも正しい教育さえ受けられれば一流大学(ハーバードやスタンフォード)に入学できる」と大真面目に主張する過激なリベラルが(たくさん)おり、最近では「レフト」とか「ラディカルレフト」と呼ばれている。リバタリアンであるピーター・ティールは、こうしたレフトの主張に歯に衣着せぬ批判を浴びせている。進化はリベラルの価値観に従ってサピエンスを「設計」したわけではないのだ。

すると、「敵の敵は味方」の論理で、サイバーリバタリアンとプアホワイトのあいだに連帯感のようなものが生まれる。「オルタナ右翼」は「白人至上主義のイデオローグ」とされるが、「リバタリアン(進化論者)の理論で武装した右翼」のことだ。

党派(政治信条)別の社会調査では、リバタリアンはリベラルよりさらに高学歴で所得も高い。グローバル経済の究極の「勝ち組」であるサイバーリバタリアンと、「負け組」の典型であるプアホワイトが手を組むという奇妙な光景がアメリカでは繰り広げられている。

なぜこのようなことになるのか、ここでは「自由」と「自己責任」の論理で説明してみよう。

サイバーリバタリアンは、高度化する知識社会にもっとも適応したきわめて知能の高いひとたちだ。その知能が生得的なもの(幸運)であるにせよ、彼らが「自らの手」で富を築きあげたと考えるのは当然のことだ。

能力のある者が、あるいは努力した者が、その能力や努力を正当に評価されて成功するのがメリトクラシー(能力主義)で、「リベラル」な社会の大前提になっている。能力以外で労働者を評価するのは、国籍や性別、身分や性的志向などによって採用や昇進・昇給を決める「差別」を許すことにほかならない。──能力主義を批判するひとたちは、このシンプルな論理をまったく理解していない。

それに対してプアホワイトは、なぜ自分たちに不利な「能力主義の論理」を熱烈に支持するのだろうか。自分たちの「能力」が知識社会の要求する水準を満たしていないという現実から目をそらしたいということもあるだろうが、それより大きな理由は、マイノリティが「不道徳」な方法で利益を得ていると考えているからだろう。

「見捨てられた白人たち」からすれば、黒人などのマイノリティはアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)のような福祉政策によって「抜け駆け」し、「不正」な手段で社会的地位を上げているように見える。だとすれば、そんな制度は廃止して白人が黒人と対等に競争できるようにするべきだ。あるいは、(黒人やヒスパニックの)シングルマザーは生活保護を「不正」に受給しているのだから、彼女たちから保護費を取り上げ、働いて子どもを養うようにさせるべきだ。国家によって「優遇」されているマイノリティから既得権を剥奪すれば、不公平な競争を強いられ苦しんでいる自分たち(マジョリティ)の生活は大きく向上するにちがいない。──このような主張をするには、「自由」と「自己責任」の論理はきわめて都合がいい。

日本における生活保護受給者へのバッシング(ナマポ批判)も同じだが、「弱者のふりをして過剰に権利を主張し安楽に暮らしている」者への批判は大きな共感を呼ぶ。トランプのような大富豪は雲の上の人物だが、自分より貧しいはずなのにいい暮らしをしているように見える者(働いてもいないのにパチンコばかりやっているシングルマザー)はものすごく目立つのだ。

皮肉なことに、こうした「弱者」へのバッシングが中流から脱落したマジョリティをさらなる苦境に追い込んでいく。福祉による救済を否定してしまった以上、生活の困窮は自己責任以外のなにものでもなくなる。こうしてアメリカでは、プアホワイトが絶望死していくのだろう。


7
 ブランコ・ミラノヴィッチ『大不平等──エレファントカーブが予測する未来』みすず書房
8 ウォルター・シャイデル『暴力と不平等の人類史──戦争・革命・崩壊・疫病』東洋経済新報社
9 Anne Case and Angus Deaton (2015)A Rising morbidity and mortality in midlife among white non-Hispanic Americans in the 21st century. PNAS

(第4回に続く)

*本記事は、『不道徳な経済学』の巻頭に収録した序説「これからのリバタリアニズム」を再編集したものです。

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