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今月の対談 / ゲームデザイナー イシイジロウさん


8月のマガジンでは「エンタメの未来」について考えています。そこで、6月8、9日にワンダーフェスティバル2019上海で発表されたドラゴンギアスというフィギュアボードゲームの原作・ストーリー・世界観設定をつくった、ゲームクリエイターのイシイジロウさんと対談します。


日本と海外のゲーム

五味 以前、イシイさんがラジオで話していた、ゲームの歴史の話がおもしろかったんですね。いろいろと詳しく聞けたらなと思うんです。日本とそれ以外の国のゲームの進化に違いがあることを改めて教えてもらってもいいですか?

イシイ そもそも日本にデジタルゲームがなかったときは、ボードゲーム中心でした。わかりやすいところでいうと、任天堂はボードゲームの会社だったわけじゃないですか。トランプや花札をつくっていましたよね。

五味 そんな任天堂に横井軍平さんが出てきて。

イシイ ぼくが実体験した頃はまだ中学生くらいだったんですけど、ファミコンが発売されても、おもちゃ屋さんではまだブームのひとつとしてしか考えられていなかったんですよ。プラモデルにガンプラのブームがあったように、ファミコンの場合なら次はもう1回ラジコンがくると話していたくらいです。それがあんなに巨大な産業になったから、リアルタイムで見ていて不思議でした。そんなデジタルゲームは、アメリカで生まれたあとに日本でも生まれたんです。

五味 日本で軌道に乗ったんですね。

イシイ 結局、アメリカと日本でしかデジタルゲームのハードウェアって生まれていないんですよ。他国で発売されても消えちゃったわけで。

五味 だから日本独自の文化だと言えますね。

イシイ 日本ではアナログゲームをつくっていた人たちが、デジタルゲームに移っていったんです、ゲームデザイナーとして。

五味 デザイナー自身が、デジタルに移ったことも、日本でデジタルゲームが主流になった要因なんですか?

イシイ そうだと思います。例えば同じデザインの仕事でも、伸びているところに人は行きますから。これもまた昔話になりますけど、ぼくは絵が好きで、高校まで絵を描く仕事に就きたいと思っていました。ただ、当時はそんな仕事が本当になかったので、ゴールは「絵を描けて仕事になるならOK」でした。当時、アニメーターの給料が少なかったことはすごく理解できます。嫌な仕事をするよりも、好きな仕事をして暮らしていけるならそれでいいという人は多かったんです。それが変わったのは、広告でイラストやグラフィックが求められていったり、マッキントッシュが広まったり、ゲーム産業が盛り上がってきたりした結果だと思います。

五味 改めて、予算や市場規模に合わせて仕事の幅は変わっていくんだなと感じました。

イシイ デジタルゲームのバブルですぐに儲かったから、日本ではみんなそっちに行ったのもあるんだけど、日本でデジタルゲームが広まった背景には、海外のアナログゲームがまだ多くなかったことも関係していると思います。正確な情報は歴史の資料に当たらないとわからないけど、当時は、ドイツでもまだニッチなボードゲームが今のように大量にある状況ではない印象でした。ただ、日本でデジタルゲームが盛り上がっていった80年代、90年代は、ドイツでボードゲームが多様になってきている時期のようにも感じます。それが今、日本に入ってきているイメージです。

アメリカとヨーロッパの差異

五味 約40年間で、日本ではテレビゲームにリソースが割かれていって、海外ではボードゲームやテーブルゲームにクリエイターが集まったのかなと思いました。その40年間で、ヨーロッパ圏ではビックリするような開発や生産的にすごいゲームは生まれましたか? 例えば、カタンがそれでしょうか。

イシイ 麻雀、将棋、囲碁に匹敵するものがカタンかと聞かれると、ちょっと悩みます。

五味 逆に、マジック:ザ・ギャザリングは先端ですか?

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