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【2節公開】インターネットが照らしたものたち #五味ちゃん本


先日のnoteが好評だったので、追加で2節公開します。

今回の本は、前半が私のこれまでの過去について、後半が今後を読み解くためのキーになりそうなものたちを集めた未来についての話です。今日はその後半の部分を一部抜粋してご紹介できたら…

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インターネットが照らしたものたち

 インターネットの登場により、その以前と以後では世界が大きく変わったのだと思います。私は1995(平成7)年生まれで、物心がついたときからインターネットがある世代。ですから憶測の域を出ませんが、インターネットが登場したことによって多くの人が多種多様な情報に、気軽に触れることが可能になりました。

 それまではどうしていたかといえば、いつだって誰かが編集した情報を得ていたわけです。たとえば、テレビや雑誌など。また、ひとつのことを見るときも、多方面からそれを捉えることは難しく、常にある面からの情報しか得られませんでした。しかし最近では、日本と諸外国の外交問題が毎月のように起きていますが、私たちは日本サイドからも、外地からも見解や情報を得ることができます。ほかにも、今まではないことにされていたさまざまな人たち―具体的にはLGBTを含めたマイノリティなど、多様な人たちの存在が照らされることになりました。

 Twitter上では、強者も弱者も平等に140文字が与えられるので、これまで世のなかに晒されることのなかった声が広く漂うようになります。それによって、私のようにマイノリティ向けのブランド展開をしても、さまざまな場所から多くの人がアクセスしてくださり、選ばれるようになりました。

 ただ、全員が同じく140文字を持ってしまったからこそ、その140文字で他者を傷つける人も出てきましたし、より多くの価値観に触れざるを得ない状況で私たちは生きていくことになりました。この「より多くの価値観に触れざるを得ない状況」というものは、心の準備ができていない人にとってはやや厳しい状況だなと感じます。なぜなら、表現の自由、価値観の自由、発言の自由といった断りがつくもののなかには誰かに不快感をもたらすものが少なからずあるからです。誰にも不快感をもたらさないものであれば、ことさら〝自由〟という言葉を使って権利を主張するまでもないものであるはず。誰かの自由がすなわち、自分自身のストレスフリーな状況であるとは限らないのです。

 このようにインターネットという無限の繫がりによって、良い面も悪い面も照らされることになりました。インターネットのおかげですべての人に平等に情報が行き渡るかと思いきや、これまで以上に情報格差が広がり「調べることができる人」が力を持ち始めているような気もしています。だからこそ、事業者側もユーザー側もあえて(面倒ではあるけれど)能動的に情報を選べる社会にしていく必要があると思いますし、私のやる事業でも大切にしています。

目指すは〝並存社会〟

 インターネット以前における価値観は、ある種、その土地やコミュニティに根ざしてつくり出され、ゾーニングされているものだったと思います。だからこそ、地域や国ごとに価値観の差がありましたし、距離が遠ければ通信費がかさんだり、やりとりに時間がかかるなど情報交換も容易ではなかったため、それぞれが侵されることなく成立してきたのでしょう。

 しかし、インターネットが定着した現在、さまざまな価値観が交差し、ぶつかってしまうことは避けられません。にもかかわらず、公用語がひとつだけで多様性を持ちづらい日本は、そのような場合、どうやってこれまでにない価値観と共存していけばいいかという経験値が低いのです。相容れない別の価値観でさえも受け入れなければならないのではないか、自分たちに内在化させなければならないのではないか、自分たちが否定されているのではないかと感じている人も多いのではないでしょうか。

 たとえば、選択的夫婦別姓(正式には選択的夫婦別氏)に関してさまざまな議論が行われていますが、選択的夫婦別姓が可能になったとしても「夫婦同姓」の権利が剝奪されるということはありません。かといって、夫婦同姓論者の人たちみんなが夫婦別姓の人たちを認めなくてもいいわけです。夫婦別姓を認める必要があるのは法律であって、夫婦同姓論者の人たちではないのですから。そのように、本来は意見が相容れない人たちは、そのままで存在することが可能なはずです。社会が新しい選択肢を認めるということは、現行の選択肢が否定されたわけではありませんし、それぞれの考え方を受け入れようと、そうでなかろうと、どの選択肢も法律のうえで存在し得るのです。

 だからこそ、私は無理にお互いを認め合うのではなく、あくまで並行して存在する「並存」というあり方をしていける社会がいいのではないかと考えています。

 そもそも私が「多様性」というキーワードを意識し始めたのは、いつの間にか「同じような仕事観/人生観」の人ばかりと交流を持つようになったときです。経営という仕事をしていると、どうしても交流関係が偏っていきやすいもの。実際、「同じような仕事観/人生観」の人と話していると気が楽ですし、知りたいことを知ることができます。ただ、私が提供するサービスを利用する人たちは、私と「同じような仕事観/人生観」とは限りません。むしろ、私と「同じような仕事観/人生観」を持つ人は、全国的に見たらごく一部のマイノリティでしょう。だからこそ「同じような仕事観/人生観」の人とばかり交流をしていると、新しい発見や「こここそがビジネスチャンス」といったものには出会いづらかったりします。それゆえに、最近では多様な価値観を持つ多様な人たちと、あえて積極的に交流を持つようにしています。

 多様性は、ビジネスにおいても重要性が再確認されつつあります。生物学的にも疫病その他で全滅するリスクが低いなど、画一的ではなく多様性があることの重要性は、自明とも言えるレベルになっています。実際、ビジネスの場であっても画一的な価値観ではなく、さまざまな価値観やものの見方があったほうが、より多面的な検討が可能で、さまざまなリスク回避が期待できるのです。

(本文から一部削除)

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この他「就活について」や「傷つきたくない文化圏について」などなど、色々なキーを集めてみました。28日発売なのでお見逃しなく…。


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