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【感想】NHK 歴史探偵「ヒーロー 源義経」を視聴しました

2022年4月27日(水)22:00~22:44、NHKの歴史番組「ヒーロー 源義経」を視聴しました。

<始まる前に>

今日と来週は鎌倉殿の番宣ですね。

<NHKのあらすじ>

源平の戦いのヒーロー・源義経。
ゲームのグラフィックの技術を駆使し、義経の素顔を描き出す。
鵯越(ひよどりごえ)の逆落としを行ったのは義経ではなかった説も紹介!

■スタジオで

佐藤所長「ダークな黒義経、人気ありますよね」
ゲスト登場、迫田孝也さん
義経の兄・源範頼です。
義経のイメージは?
佐藤所長「戦の天才」
迫田孝也さん「美男子」
本当のところはよくわかっていないのです。

■素顔がよみがえる!

・シブサワ・コウさん、鎌倉殿の13人の3Dの監修をしています。
力を注いでいるのが、顔のグラフィック、顔グラ作りです。
顔グラの制作に挑みます。
元になるのは肖像画や文献、女性の歴史ファンが増えていて、イケメンがプラスアルファされます。
織田信長の場合、ルイス・フロイスの「日本史」には、ひ色の合羽を献上したという記述が。
そしてもう一つ、顔グラづくりに欠かせないのがシチュエーション=場面設定です。
義経のシチュエーションといえば、鵯越の逆落しです。
武勇を語る上で欠かすことのできないシーンです。

■顔グラづくりの情報収集!

・前川佳代さん(奈良女子大学)
「平家物語」に容姿にかかわる記述があります。
「前歯が出ている」という記述が見つかりました
他の資料にも、向歯ふたつ、リスちゃんみたいな。
どんな表情で描かれているのか?
「鬼神の所為」つまり、荒々しく恐ろしい神
色白で、前歯が出ていて、鬼神の表情で逆落しを行っていたのです。

■作画開始です。

まずは、デザイナーの亀井さんに描いてもらいます。
向歯、前歯を大きくしていきます。
平家物語に馬に対して、「えいえい声を忍ばせて」という記述があるので、口は閉じ気味にします。
「義経記」に「こひげ」、髭が濃いという表現があります。
前川さんからの要望、26歳なので、若い、かっこいいイメージで描いててほしい。
鬼神のような表情はどのように表現するのでしょうか?
瞳孔が締まり、見開いてる感を出すと、集中力がでている鬼気迫る顔になります。

■スタジオで

スタジオに登場です。
佐藤所長「かっこいい!すごい降りてる!」
河合所長「武士は多くがヒゲをはやしていました」
さらに、範頼と比企能員の顔グラも描いてもらいました。
義経ほど容姿に対する記述がありません。
迫田孝也さん「範頼かっこいい、いいんじゃないですか!」
佐藤所長「所長そっくり!これぼくじゃないですか」
もう一つ調べてきました。
義経、等身大のパネルです。
推定身長151cmですので、小柄ですね。
義経が奉納したと伝わる鎧の寸法を測り、身長を割り出してもらいました。
河合先生「弓流しでうっかり弓を落としたが、無理やり弓を拾ってきて怒られました。
弓矢が貧弱なので敵に知られると恥なのでという話があります」

寿永三年(1184年)の一ノ谷の戦い
元暦二年(1185年)屋島の戦い
元暦二年(1185年)壇ノ浦の戦い

■一ノ谷!逆落しの謎

なぜ義経は逆落しをおこなったのでしょうか?
平家の本拠地、福原です。
安徳天皇、三種の神器を福原に移していました。
それらの奪還が任務でした。
生田の森は範頼、一ノ谷は義経が担当することに。
しかし、源氏は平家の守りを突破することができません。
「平家物語」には、深い堀を設け、逆茂木や垣楯を設け待ち受けた、とあります。
・千田嘉博さん
まずは、逆茂木。突破しようとすると、尖った枝の先が体に刺さり前に進めません。
V字型の堀、45度の急勾配をのぼることはできません。
垣楯。矢をうっても阻まれます。
義経が行ったのが、鵯越の逆落としでした。
しかし、近年意外な事実が明らかになろうとしています。
・菱沼一憲さん
劇的な世界、フィクションの世界、作り話です。
一ノ谷の現場に。
・前田徹さん
崖の下はかつて一ノ谷の陣地があった場所です。
実は、ここは鵯越ではありません。
どういうこと?
鵯越はここから東に8km離れた峠道のことです。
鵯越とはどんなところか行ってみることにしました。
神戸の街を一望できる場所、まさに福原の背に出られます。
奇襲をかけるにはうってつけな場所だとわかりました。
注目している資料、「玉葉」貴族の日記、一級資料です。
「義経が、一ノ谷を落とした」
やはり、一ノ谷にいました。
鵯越には誰がいたのでしょうか?
義経ではなく、多田行綱だというのです。
福原の周辺の地理を知り尽くしていました。
このあたりに馬の通れる道はありませんか?
鵯越ならこのあたり。提案したのも行綱だったと思われます。

■実験!鵯越の逆落とし

40度の斜面で実験することにしました。
参加するのは在来馬、140cmと小さい馬です。
バランスを取りながら上手に降りることができました。
義経の戦い方は、勢いに乗じて攻めるのではなくて、十分に準備して勝つために必要なことを考えて戦うものでした。

■鵯越の逆落としの真相

範頼軍と義経軍が平家を挟み撃ち、行綱が鵯越から奇襲、不意打ちを受けた平家軍が大混乱に陥りました。
全体を見据えた義経の天才的な戦略だったのです。

■スタジオで

迫田孝也さん「クレバーな作戦でした」
河合先生「多田行綱が行ったという説が有力です。軍略の天才ですね」
「船の漕ぎてへの攻撃を命じていて、禁じ手でした。勝つことに異常なこだわりを持っていました」
佐藤所長「範頼がいたからこそ、常識破りの戦いができたんじゃないですか」

■英雄を襲った悲劇

鎌倉市・満福寺に残されていた「腰越状」です。
平家を滅ぼした義経は、頼朝との間に深い亀裂が生じていました。
義経は、朝廷の信頼を得て強い影響力を持ち、頼朝としては警戒の念を抱くようになりました。
権力の分断は好ましく無いと考えていました。
頼朝の考えるピラミッド型の幕府にとって義経の居場所が亡くなってしまいました。
頼朝は、所領24箇所を没収、討伐の兵を送ります。
しかし、頼朝との力の差は大きく、味方につくものはほとんどありません。
最後にたどり着いたのが平泉です。
1189年、31歳で自害、悲運の最期を遂げました。
愛され続けるヒーロー
中尊寺に伝わる晩年の源義経肖像画です。
悲しげでありながら、どこか穏やかです。
人々の心を捕らえ、歌舞伎や浮世絵に描かれ、様々な物語が広がっていきました。
五条大橋の弁慶との対決、生き延びてモンゴルにわたり、チンギス・ハンになったという伝説も生まれました。

■スタジオで

河合先生「義経は京都で勝手に動いていて、すごい脅威、じゃまになった」
「範頼は順応に対応していましたが、最後は謀反を疑われて失脚しています」
佐藤所長「義経、仮に従っても殺された可能性が強いかも」
迫田孝也さん「等身大の義経、人間に近い部分が見えてきました」

ーーーおわりーーー

次回は「源平合戦 壇の浦の戦い」5月4日(水)放送です。

■感想

義経再現グラフィックは、やっぱりイケメンでした。
ブサイクに描くのを期待したけど、女性視聴者への配慮の結果かな。
晩年の義経をみても、そんなにかっこいいとは思えないですけどね。

後半の鵯越の逆落しは、確かに奇襲が成功したのも大きな要因でしたが、大河ドラマ内でもあったように、福原で清盛の法要を営んでいた平家へ後白河法皇からの使者がやってきて、和平を勧告し、交渉中は武力を行使しないよう命じました。
平家はこれを真に受けたため、警戒を緩めていたところに源氏の総攻撃があり、戦いの勝敗を決したというのが定説です。

義経は悲劇のヒーローっぷりが独り歩きして偶像化されています。
だけど、このような背景を学んでから、それはそれとしてドラマなどを楽しむのもいいですね。

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