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五、ヴェネツィア「ヒロキの懐事情と竜退治」

二0一七年 秋 

どうやらヒロキは浮かれ過ぎていたようだった。

アパートから程近く、銀杏が見事に黄色く染まる通りのベンチでヒロキは座り込み、立ち上がる気力を失っていた。コープで買い込んだ荷物は重すぎたし、体に当たる風は必要以上に冷たく感じられた。

 こちらに来るまでの一年半、その越えなければならない山はなかなかにしんどいものだったし、ずっと自由にやってきたはずの自分が、ここまで多くの鎖に縛られていたのだと痛感させられる日々でもあった。それでも、自分にとっての夢の原点の地が一歩一歩近づいてくる緊張感でドキドキソワソワし、また日々ルンルンと気持ちが高揚する様な、在り得ない状況だったことは否めない。

 ヴェネツィアで暮らし始めての二週間、ヒロキは夢中だった。旅行者ではなく、生活者として生きていく術がまるで分らなかった。ロベルタ教授は毎日必要な手続きに付き合ってくれ、アパートの大家さん一家も良くしてくれていたと思う。マスターの学生たちも、間もなく始まる短編映画のアドバイスを求めてきて、連日朝から晩までロケハンにも付いて回った。

 でも、根本的にコミュニケーションは不足していたと思う。そもそもヒロキのイタリア語は初歩レベル。会話は二言三言で途切れてしまう。そして更にイタリア人は実によくしゃべるのだ。一対一ならまだしも、これが三人、五人と増えていくと全く何を話しているのかも分からなくなった。頭の中で何かを話そうと整理してる間に、次々と話題は飛んでゆく。ましてや映画づくりの専門的な話になれば、より込み入ってくるし、学生たちはエキサイトして何人もが同時に話し始めた。そしてそれは延々と途切れることなく続くのだった。「家に帰りたい」と思ってもその頃は帰れなかったのだ。

 少し後から追いかけてイタリアに来る予定だった家族の滞在許可の手続きは難航し、既にこの二週間で暗礁に乗り上げていた。一つの書類を通すのに、また別の許可が必要で、それを打診していくとまた更に別の書類が無いとダメだと言われた。じゃあどうしたら良いの?と役所の職員に聞けば、そんなこと私に聞かれても分からないと困惑顔をされる始末。何か進展があれば電話します、と話はいつも断ち切られた。なぜか僕の立場は、今のイタリアの法律の上では該当しない存在らしかった。

 時々かかってくる不明な電話にも舌を巻いた。もしや役所からの連絡かと思い、必死に話してみても意味が分からなかった。後から、かかってきたその番号を調べると単なる電話営業だったりする。しかし、それすらも理解出来てない自分の語学力に、ヒロキの気持ちはずぶずぶと沈んでいくのだった。

 どれ位ベンチに座り込んでいたのだろう。「寒い……」なんだかとても寒かった。冬になるにはまだ早いのに、足の裏からそれは侵入してきた。「よしっ帰らねば。明日はロケが始まるはずだ」と、吐き出すように声を出して立ち上がる。最近、随分と独り言が多くなった。そうでもしないと日本語を話す機会もないし、イタリア語も歩きながらブツブツ話していることも増えたと自分でも思う。こういう時はこう話そう、あの時はこう話せば良かったかなと、無意識に口に出して反芻していたりするのだ。

 買い過ぎた様にも思える食材やドリンクが、ビニール袋を蹴破り、もはや持つことも困難だった。家まであと七分程度の道のりが永遠の様に感じられた。(ヴェネツィア人なら誰でも使っている買い物カートの存在をヒロキはこの時まだ知らなった)そして、大切そうにヒロキが両腕で抱えるこれらの荷物は、なけなしのユーロをはたいて購入したものだった。実は彼の持つ現金は、ほぼ底をついていた。懐が寒いと、こう体までも寒くなるものかと、ぼんやりと考えながら歩く。

「あと四日、なんとか凌げれば…。」日本から持ってきた二枚のクレジットカードは、暗証番号ミスにより両方とも使えなくなっている。(日本では、いつもサインで済ませていたのがアダとなった)また、イタリアに来てから銀行か郵便局で口座を作ろうにも、正式な滞在許可が下りておらず、作るにしても年間で数百ユーロがかかると言われて断念した。

 でも、四日後にはフィレンツェに行く。日本から脚本のモレスキンが仕事で来る!世界で初めて開催される「やきとリンピック」の撮影があり、その時に僕の妻から託されたVISAカードをモレスキンが渡してくれる段取りになっていた。何とかそこまで乗り切れれば…、友よ頼んだぞよ。

実は忘れっぽいモレスキンではあるのだが、今回は大丈夫!なはずだ……。無駄な心配は現実化してしまうから、こういう時はポジティブ思考に切り替えよう。


 帰ると、アパートは妙にしんとして落ち着かなかった。大理石の床は靴底をコツコツと鳴らし、品物を片付ける買い物袋のカサカサという音だけが大きく響いている。ヒロキはラジオを付け、冷蔵庫からベリーニを取り出した。ヴェネツィア名物のこのおしゃれな桃のカクテルも何か物足りなく感じて、ふと目に留まった日本から持ってきた三線を弾いてみることにする。「てぃんさぐぬ花」、そして日本で話題のCM曲の「海の声」を。


空の声が 聞きたくて

風の声に 耳すませ

海の声が 知りたくて

君の声を 探してる


 何度も弾いている曲なのに、まるで別の唄の様に聞こえた。自分の声がちゃんと出なくなっていた。ラジオからは、日本人がどうかしたのだろうか、しきりに「ジャポネーゼ、ジャポネーゼ」とDJが語り続ける声が流れている。ヒロキには、案の定何を伝えているのか見当すらつかなかった。

 突然、ビービーと家の呼び鈴が鳴るが、どうせうちへ用があるはずもないだろうと放っておく。

 でも、もしかしたら日本から送った本や衣類、土鍋などが届いたかもしれないと、ダッシュで玄関の受話器に話しかけてみる。が、応答はない。部屋を出てアパートの共同玄関まで、階段を駆け下りてみた。しかし、やはり誰もいない。思い切ってドアを開け、外のゲートを覗いてみるけれど、人影すら見えなかった。

 こういう事が、家にいると一日に何度もあった。また不発か、と溜息交じりに踵を返す。これは誰かの嫌がらせなんだろうか?


 部屋に戻ると、再びDJは熱を込めて「ジャポネーゼ」を繰り返している。これは、もしや何かの陰謀か、僕への警告なのではあるまいかと勘ぐってみたりもする。でも、そんなことがある訳も無かった。未だ自分がこのまちに住んでいることもろくに知られてないだろうし、日々通り過ぎる人たちにニコニコと無駄に愛想を振りまいているだけの人間なのだから、と溜息交じりにラジオを切る。

 

ヒロキは自分がへとへとに疲れ切っていることに気が付いた。

そして寒気に続いて、今度は背中が痛いことに気がついた。痛みで腰を丸く折りながら、手早くスパゲッティ・ジェノベーゼを作ってかきこむ。

 早く寝てしまおうと思った。明日のゴンドラ乗り場の撮影スケジュールは届いていないが、待っていても来ないだろう。何度も学生たちに「スケジュールは早めに作って配るように」と伝えても、実行された試しがなかった。待つだけ無駄だ、今はとにかく身体を休めるのだと暗示をかけてもなかなか眠れない。ベッドで横になり沢木耕太郎の日記エッセイ「246」を眺めてみても痛みが治まるはずもなかった。


 その晩、僕は夢を見た。

ジーリオから出たゴンドラが一艘、水面を浮くように走っていた。一人の侍がその船首にすっくと立ち、遠くを眺めながら目を細めている。深い霧が出ているため、船頭であるゴンドリエーレは帰りたがっているようにも見えた。いや、違う。今日は家で妻のマンマがラザニアを作っているから早く帰らなければならない、とでも言い出しそうだった。

 しかし、もちろんそんなことを言う訳もなく、二人は固く口を結んだまま前へ前へと進んでいく。「霧の向こう」には何があるんだろうか。直感的に「仇討ちなのかな」と僕は思った。でも、侍とゴンドリエーレで仇討ちなんて、どう考えてもおかしいだろう。

「おかしいか?」

 侍は振り返らず瞬きもせぬままに言った、様に感じた。口が動かないから正確なところは分からない。

「おかしくはないが、竜なんてどこにいるのだ?ましてこの霧だ」ゴンドリエーレが手を止めて言う。

  なんと、本当に竜退治にでも向かうのだろうか。どう見ても侍にしか見えないこの男は、そのうち「実は私、竜の騎士である」とでも言い始めるかもしれない。

「竜について語るのは難しい」

 侍が語りだすと、舟の推進力は先程より増していく。

「かたちも様々、その邪悪さも一辺通りという訳でもあるまい」

「ほう、邪悪さにも多様性があるとな…」

 ゴンドリエーレは自慢の顎鬚を指で引っ張りながら尋ねた。

「そうだ。また昨今は、見た目は善竜ぶったものもいると聞く。どこにいるかなど、分かれば苦労はせん」

「そういうものかね。なら、意外にどこにでも棲んでいるという事か。それは厄介だな」

 観える世界はまるでアンゲロプロスの映画の如く、そしてヒロキ自身も溶けこんでいくようだった。遠くで侍が霧を斬ったようなキンという音が響いた気がした。が、もはやヒロキには白い世界が僅かに揺れただけにしか見えなかった。聴こえていた音もじわじわ遠退いた。

  目が覚めたのは朝の六時半。ジジジ、ジジジジという鳥の鳴き声に起こされた。携帯を見るとダミアンから数分前にショートメールが来ている。〖ロケは、サンタマリア・デル・ジーリオにて七時から〗。今から支度して、船に乗って、間に合うわけがなかった。

 パンとコーヒーだけ飲んで、現場に着いたのは八時前だった。予定された中国人観光客のエキストラ二十名は来ておらず、僕らが代役でかりだされることになった。

「ヒロキなら中国人リーダー役を出来るでしょ。アジア人だから片言のイタリア語で話してくれればいい」

 そんな無茶な!でも、周りのイタリア人や韓国人達は、中国人に扮して演るんだと準備を始めてしている。中には、なぜか熱海温泉の浴衣を嬉しそうに着てヤル気満々の同僚、ルーカの姿も見える。もうどうにでもなれ、という気持ちで演じた。何度も舌をかみ、汗だくになりながらやり切った。一緒に共演した中国人が「良かったよ」と声をかけてくれた。それならお前が(そもそも中国人何だから)やれよと言いたくもなったが、思わず「グラッツェ!」と笑顔で返してしまい嫌な気分になった。唯一の救いは、撮影中だけ、背中の痛みが消えていたことだけだ。

 結局、その晩から熱が出た。丸一日眠り続けても、背中の痛みは引かなかった。アパートにこもり、熱が下がるまでパソコンで「進撃の巨人」を一気に見るハメとなった。

 邪悪さとは果たしてなんなのだろうか……。ヒロキは痛みに耐えながらぼんやりと考えていた。

(一九九三年「若き映画監督に捧ぐ」に続く)


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