見出し画像

新加入選手を考える~戸島章・平川怜~

新体制発表会も終わり、ただいまキャンプ中の松本山雅。
今年は残念ながら東金キャンプではないので現地でキャンプの様子を見ることはできないが(そうでなくてもできなそう)開幕までにできるだけ多くの情報を拾い上げ、ここで昇華していければと思う。

そんなこんなで「新加入を考える」企画も11人を終え、残りは5人(ルーキー5人は正直分からないので今のとこお手上げ状態……)。これでも半分という事実、そして、この数の選手の特徴を把握する大変さを改めて実感している笑

今回はその残り5人のうち2人について考えていこうと思う。

■フォア・ザ・チームの長身技巧派FW「戸島章」

191cmの長身、爽やかなイケメン。外見から目立つので、何となく見てても印象に残る選手ではあるが、実際のプレーはその"何となく"の印象とは大きく異なる。

まずは経歴から。
埼玉出身で昔からドリブルが好きな少年だったという戸島少年は高校は東京・成立高校に進学。先輩には2学年上に大津祐樹、後輩に吉田将也がいるように多数のプロを輩出するサッカーの名門校にて、自分自身でも「足元はあると思っている」と話すように超大型の「技巧派FW」として世代別代表にも選出。チームは残念ながら全国の舞台には行くことはできなかったが、この年クラブ初のJ2降格が決まったジェフ千葉から内定を貰って高卒でプロ入り。

この頃から自身の掲げるFW像について"ズラタン・イブラヒモビッチ"をあげており、「足元を武器にする」ことにはこだわりを持っていた模様。

しかし、プロ入り後は(リーザブチームや藤枝MYFCヘの武者修行を経験も含めて)ジェフ千葉で5年間出場すらままならない状態が続き、J3町田へのレンタル修行でようやく戦力として活躍したのを機にそのまま完全で町田に加入(=借りパク)、町田で一時代を築いた相馬監督の下で出場機会を得ていく。ちなみに現・山雅のコーチである村主コーチとはこの時期に一緒に居残り練習をしていた仲なんだとか。今年のオフはいかに人脈をフル活用したかが改めて分かる笑

そして、チームがJ2に昇格した2016年はJ3での17試合を上回る29試合に出場。うち23試合は途中出場しているが、多くは頭を目がけたパワープレー要員としての起用。これが本来この手のターゲットマンではない彼の起用を考える際にややこしくなる理由の1つでもあり、これまで起用されてこなかった彼がようやく見つけた活路にもなっている。

そして、町田3年目にはこの前線だけではなく、両SHとしての起用も急増。190cm超えの選手のサイド起用というのは日本ではかなりレアということで話題にもなったが、町田の特殊なサッカーでフィジカル面をサイドにも求めたことを抜きに考えても、彼のテクニックと走力が生きる適性度は高かったように思う(逆にCFとしては得点力や起点になる力が足りていなかった)。

こうして相馬町田で徐々に起用法やプレーの幅を広げていた戸島だが、18年には横浜FCに移籍。こちらの2年間ではイバ・レドミという絶対的な存在がいたことで再び途中出場での起用が多くなってしまうが、地上での崩しがことによって短い時間でも得点を取れる選手として成長を見せるように。

ちなみに2018年は352も経験済み。チームによってやり方は異なるのでは最適なシステムは一概には言えないが、前線に相方がいて自分の後ろにも2枚ないし複数サポートがいるという形が一番彼にとってはベストのように感じる。

そして、山雅的には印象的になったのは去年の大宮時代。
ハスキッチが思うようにハマらず、CFは泣き所となっていた大宮で主に前半戦は富山と共にチームを支え、27試合出場8試合先発。シーズン通して3得点2アシストはやはり物足りない数字だが、山雅戦では値千金の決勝点を決めてヒーローに。

どうやらこのストライカーとしての部分は大砲・髙木監督に口酸っぱく言われていたようで、相馬監督の下でクロスへの入り方や自分の生かし方を学び、高木監督の下ではストライカーの心得を学んできている。

こうして(レンタルだった)大宮から横浜FCに戻ることなく、山雅にやってきた戸島。

元々、足元の柔らかさ、優れたボールコントロールからラストパスやシュートを繰り出すセンスを持っているアタッカーではあったが、プロ生活の中で高さ(リーチ)の生かし方やゴール前でのシュート意識を身に着けてJ2では名の知れたアタッカーにまで成長(このプレーなんかは戸島らしい笑⇩)

ヘディングは1つの武器にしている選手のわりにうまくはないものの、とにかく打点が高くて、ちゃんと泥臭く飛び込める⇩、塚川のように高さの暴力で点を取らせるのがいいかもしれない。

また、ハイライトには残らない部分では守備への貢献やフリーランも一生懸命こなしていているのが特徴的。このような献身性や大作戦へのワクワク感(?)もあって、サポからの愛され度は高い。("世界の戸島"と呼ばれることもあるがこの機会に元ネタを調べてみても分からなかった笑)

チームによって生かし方が変わっていることからも分かるように今のところ使いやすい選手というわけではないが、町田、横浜、大宮とJ2で力を持っているチームで戦力として計算され、いてくれたら助かる選手でもある。

今年の山雅のFW争いは熾烈になっているが、先発としてはもちろん去年足りなかったオプションとしても何とか機能してほしい。

■日本サッカー界トップクラスの天才「平川怜」

東京世代、もっというと日本サッカー界でも最大級の期待を集めていた天才ボランチが松本で再び世界を目指す。

地元・調布の上原サッカークラブからFC東京U-15むさしに入団し、すでに天才少年として名を馳せていた平川は名門東京FC U-18へ昇格。プレミアリーグEASTのなかでも指折りのタレント集団と呼ばれるチームの中で早々に定位置を確保し、この時点で早くも「ユースの最高傑作」と言われるほどの才能を発揮

高校1年の8月に行われた日本クラブユースサッカー選手権では、田中碧や宮代大聖擁する川崎を相手に、3人に囲まれながら決勝点を叩きこむなど主力として貢献。

品田愛斗(FC東京)や鈴木喜丈(水戸)ら後にプロ入りしている先輩とボランチのコンビを組んでこの"クラブユース選手権2冠"や"JユースカップとのW優勝"も達成してきた。

高2ではユース活動と並行してJ3デビューも果たすとJ初ゴールを記録。J1にも出場し、年末には久保建英とともにプロ契約を締結。サッカー選手として"高校生"を卒業する。

また、多くの方がご存知の通り、世代別の代表で攻守の要として君臨した選手でもある。U-16アジア選手権では大会MVP級の活躍。ミドルシュートでハットトリックを決めるなどアタッカー陣以上のインパクトを残している。

英紙「世界の有望な2000年生まれの選手60人」にも選出されたことからも世界的にその将来を期待された有望株であることは明らか。なかなかその系譜が表れないNEXT遠藤保仁として、五輪代表はもちろんのこと次世代のA代表の主力としても期待されていた。

杉本太郎が山雅に来た時に「こんな選手が松本に来るのか!」と感動したのを覚えているが経歴のみだとさらにひと回り上を行く。さらに言うと「久保以上の将来性」という声も少なくなかったほどだ。

しかし……代表では主力だった平川もプロ生活で壁にぶち当たる。19年にJ1の舞台で飛躍した久保やこの年ベストヤングプレイヤーにも選ばれた同ポジションの田中碧らJ1で活躍し始める同年代に比べると、ここまでJ3で経験を積んできた平川には若干出遅れ感が出てきてしまっていた(J1デビュー後、すぐに大怪我をしてしまったのも不運だった……)。
J1で戦わせるにはフィジカル面で厳しかったのは理解できるものの、状況判断能力や危機察知能力を武器としていた平川に高いレベルでの経験を何年も積ませることができなかったのは(結果論だが)痛手だったようには感じる。

画像1

そんな焦りもあってか、19年夏にはJ2鹿児島へレンタル移籍。
自分はJ3でのプレーは見ているわけではなかったので「J2、特に降格圏のチームでは絶対的な存在として君臨するのではないか」と思っており、実際鹿児島側も移籍後即出場、その次の試合には先発として出場させたようにそれに近いような期待感を見せていたが、このあたりがサッカーの難しい側面で、ピッチで違いを見せるシーンも多々ありながらチーム事情もあって出場機会は徐々に減少。わずか10節ほどでベンチにも入れなくなり、チームも21位でJ3に降格してしまうことに。

インタビューを見る限り、怪我で出れなかったわけではないようだが平川自身、この移籍によって多くの学びがあったと違う環境での充実っぷりを話している。

そして、去年はFC東京に復帰。J3が廃止になったことで、ポジティブに考えるならトップに集中できる環境になった(実際、原大智や内田宅哉はJ1での出場機会を多く得ている)とも言える中だったが、平川にとってはこれがむしろマイナスに向いてしまい、今年もわずか3試合7分のみのプレーしかできなかった。

FC東京の長谷川監督も「久保建英と比較され、ある意味では建英よりも能力が高いと周りから評価されていたにもかかわらず、片やスペインでプレーし、自分は試合に出られない悔しさを感じている」ことについては触れている。ともに期待値が高かった分だけこの比較は避けられない。が、実際問題、飛躍していく久保を見ての焦りや周囲からのプレッシャーは他の選手にはない足枷にはなっていたはず。

苦節のプロ生活を過ごし、自他ともに「我慢強さや精神面の強さは身についてきた」と話しているだけに、この壁を乗り越えることができれば一気に化ける可能性も秘めているはず。

山雅に来た際も、当然久保建英を引き合いに出されてプロ生活での活躍以上にハードルは上がっている(自分もそれに加担してしまった笑)。個人的にはそのハードルを乗り越えながら再びその期待値に見合った選手になることを願いたい。

画像2

話は逸れてしまったが、プレースタイルについては憧れの選手として話す"イニエスタ"や先ほども例に出した"遠藤保仁"を引き合いに出されることが多い。ボールのオンオフ問わず、独特なリズムを持っていて相手の出方を見てポジションを取れる。パスを受けると状況を見ながら捌いたり、運んだり、いなしたりと状況判断に優れる。展開力も佐藤和や米原のようにピッチを幅広く使えることができるので、長年の課題であるゲームメイクを改善するにはもってこいの能力は持っている。

守備面ではガツガツ行くのではなく、予測を武器に、スペースを埋めながら行くところを見極めて行くというスタイル。ただし、フィジカル面はまだ課題なので同世代と対戦する際とプロの世界の差は埋め切れてない。そこをどう改善していけるかも1つの鍵になりそう。

そして、課題という意味では「走力や運動量が足りない」のは自身でも話している。自分なりに言い換えると「活動量が少ない」のが出場機会を伸ばせない原因として考えている。

先ほど遠藤保仁を引き合いに出したが、仮に遠藤が若手として再び転生されたとしても現代サッカーで若くから安定した出場機会を得るのは難しいと個人的には思う。「絶対的な司令塔」よりも「タフに戦えて活動量の多いタイプ」や「Box to Boxタイプ(攻守どちらにも積極的に参加できる)」が好まれる現代サッカーにおいて、10番タイプのボランチが若いうちからチームの中心となるのは難しい(遠藤や俊輔を使う場合ですら、この2人を軸にシステムを構築することになる)。逆に言えば一昔前であれば平川もバリバリJ1、もしくは海外でもやれていたかもしれない。

話は逸れたが、山雅においても今年はセルジが王様として君臨しながら攻守で献身性、気持ちの強さを見せていたようにこのチームではよりそこの部分は求められる。平川が移籍してきた時は経歴以上にプレースタイルの面で違いがありすぎて驚くほどだったので、移籍を決める際にあえて違うスタイルを選んだということなのだろう。山雅にとっては定番であるキャンプのラントレでも初めての体験だったよう。

ポジションは352に当てはめるならIHになるのかアンカーになるのか定かではないが、まずは山雅が大切にしている走力やタフに戦う部分を身につけることが第一になってきそうだ。

これまではエリート中のエリートとしてやってきたが、(先ほどの高い期待値を乗り越えて……という話とは矛盾した意見になるかもしれないが)山雅の一員になったからには、ここからは「久保と並んだ才能を持つ天才選手」としてではなく「山雅の1選手」として見ていければとも思う。

「平川怜は山雅が育てた」と言えるような、いい意味で山雅っぽさも兼ね備えた選手になって再びA代表を目指してほしい。

------------------------------------------------------------------------------------

長くなったがこの2人について考えるは以上。
癖の強い、使い方が確立されていない2人をどのように使おうとして獲得したのか。今から楽しみである。

END

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?