セクシーアームズ・トゥ・ホールドユー。

ちょっと聞いてくれよ、と前置きして男が始めた話は確かに驚嘆すべきものだった。
わたしが相槌を打とうと口を挟みかけた瞬間、話題の主が酒場に入ってきた。バネびらきの、すでに幾つか弾痕の開いたウェスタンスイングがばたんばたんと音を立てる。

「手をさ」

やや、もったりとした火星訛り。

「まず手を洗いたいんだよ」

横を見ると、彼について話していた男が軍票を置いて逃げ出すところだった。帽子を被るのもそこそこに置かれた、くしゃくしゃの軍票は一杯のビールにしては多い。

「お客さん、お釣り、今出すから」
「いいよ!そいつに奢ってやってくれ」

男は半分背中を向けながらチャーミングな愛想笑いをわたしに投げ、話題の主の肩をぽんと叩いた。

「あんた、さっきはイカしてたな、サイコーだったぜ。オレはもう野暮用で出るけど、良かったらなんか飲んでくれ。またな」

教科書のような、見事な逃走劇と言っても良かった。…だ、そうです、とわたしが告げると、男に礼を言うでもなく、肩を竦めながら「手を洗っても?」と彼は繰り返してスツールに荷物を置いた。
わたしが指差すと、のそのそと手洗い場に向かってその人は歩き、鏡を見てため息をついた。

「イカしてた、か」

蛇口をひねるキュイ、という音。砂っぽい荒野を歩いてきた砂と、少しの血が水と一緒に渦を巻いて流れて水栓に吸い込まれてゆく。

「どう見てもタコだろ、おれ」

彼はぬるい水道水によって触手の滑りを取り戻し、帽子を脱いだ。手を、と彼は言ったがポンチョから伸びている触手は六本。手を洗いながら帽子の砂を払い、そして洗い終えた触手で器用に蛇口を閉めた。

「お姉さん、生まれはフロリダ?」

ぺったんこの一文字の瞳孔がわたしを向き、言い当てられたわたしは何故だかそれをとってもチャーミングだと思った。

「実は、おれもなんだよ」

彼もまた、驚くべき話を語り始めた。
【続く】

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