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海外に住むと時間が生まれる反面、多くの葛藤が生まれます。

人生って、一生勉強の連続だと思うのです。

英語の勉強をあらゆるメディアからインプットしていると、そこには多くの日本人の方が、海外で暮らしていることが見受けられます。
旅人、ワーキングホリデーや、留学、駐在員、ノマドワーカーなど様々なパターンで日本を離れて生活をしています。

いまそのような生活をしていなくても、学生時代に海外に住んだことがある人も多いでしょう。

ぼくは、これまで旅行以外で、海外に長い時間いたことがなく、32年目の人生で初めて日本以外で200日以上の生活をしている。

そのなかで、なかなか日本では味わえないことだなあと思ったことがある。

じぶんとの、向き合い時間です。

家族で海外に暮らしている方は、その例にはならないかもしれないのですが、割と当てはまる人は多いのかなと思うのです。

要は、”ひま”な、おひとり時間が増えます。

よく、「誰も知り合いがいない地域にいて、寂しくない?」って聞かれるのですが、
ぼくの感情に寂しいというものがあまりないのか、ぜんぜん寂しくないのです。

というか、スマホを見れば物理的にではないにしても、繋がることができる。
テクノロジーの進化により、テレビ電話の画質も良いので、相手の顔を見ることもできる。帰国したら会える人たちがいると思うと、逆に楽しみにもなるのでそれが活力になるタイプかもしれません。

で、人生の中で、この時間をたっぷり取れる時間ってなかなか無いと思うのです。
特に、大人になるとね。


日本でももちろん、その機会は作ろうと思えば作れます。

でも、いざ向き合わなきゃと思っても、日本にいると数多多くの誘惑があったり、なんだかんだで寂しさにかまけて無駄に人と繋がったりしちゃいます。

南アフリカは、それこそ時差の関係もあり、日本の皆さんが眠り始めた時には、ゴリゴリの夜が始まり、内省し放題です。
(夜に考え事するのは、精神衛生上は良くないとか言われますけど)

そういう面でも、学生時代に留学したり海外に行ったりすることはとても必要な時間であることを感じているのです。

で、話はここからです。

時間が増えたような感覚があるんですが、当たり前に増えるわけはなくにも関わらず、
可処分時間を占拠する物事が増えてしまっているのが、ぼくの苦しい悩みです。

例えば、もちろん英語の勉強。これは至上命題なので、ここには1番時間を割きます。
で他には、自分の仕事範囲の勉強に関するあれこれ。
特にマーケティングとして、戦略を描いたり、それを実行に移すために必要なことなどを学びます。
特に、現在はこれまでのフランチャイズビジネスや、フィットネス、DtoCや、不動産から離れて、エンターテイメント業界をやっているのでそこの知識を増やさなくてはならないのです。

ほかには、南アフリカの文化や歴史を学んだり、そこから発展して、世界史、はたまた地政学。
特にこの方のYoutubeが面白すぎて、ずっとみています。

それから、ワインのことも知りたいし、宗教についても知りたいなとなるし。

でね、これらを学ぼうとすればするほど、日本語のインプットなってしまうのです。

可処分時間が、多くの学びたいことの多さによって、奪われていき英語に触れる機会を減少させていきます。

時間ができたようで、逆に学びたいことが増えすぎて、ぼくを圧迫していくというのが今の悩みであり、葛藤です。
なににGRITしなきゃいけないかなと。

そんなとき改めて思うのが、基礎学力を得ることを怠った学生時代への後悔です。
勉強と引き換えに、ひたすらボールを蹴っていました。
でもそこで得たものも多くあります。(なんたって、選手権優勝してますからね。笑)

ただ、あの頃からもう少し勉強のコツを知っていたり、受験勉強を体験していたら、もうちょっとインプットの質の向上と時間短縮が可能なのになあと思います。

まあ、あの頃のあの楽しさは取り戻せないですが、学力は今からでもどうにかなります。気持ち次第で。なので、どっちつかずでもありますが、勉強の重要性を説くことは、子供にした方がいいよね。

まとめると、
海外に出ることで、時間が増える分、向き合わなきゃならない課題や発見が増える。
そして、それらを知ろうとするけど、そのためにはある程度の学力があると便利だよという話でした。

あー、節約しようとすると料理もするから、1番伸びているのは料理の腕かもしれないなあ。

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