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「記憶付きモノ」づくり

大掃除をしていると大体手が止まる想い出の〇〇シリーズ。
いろんな記憶が蘇ってくるあれ。
せっかくやる気を出して始めた掃除の時間は
心地よいような、ほろ苦いような、
複雑な心境の生成にただただ費やされていきます。

記憶ってどうやって呼び出されるんでしょう?
ググればたくさん答えがあるんでしょうけど、
モノに出くわしたときに発生することが多いと思って。
視覚はもちろん手触りとか匂いとか重さとか、
いろんな情報から当時の映像として頭の中に蘇ってきます。

となると、このモノがなくなった場合、
それにまつわる記憶が呼び出されることはなくなってしまうのか?
頭の中の引き出しにはあるかもしれないけど、
箪笥の肥やしというか、肥えさえしないのか、
あの複雑な心境に陥ることがなくなってしまうのか。
どうなんでしょう、実験のしようがない。

モノが少ないことが推奨される風潮もありますが、
いろんな何かが忘れ去られているのかも。
忘れたい事もあったけど、
そんな苦い経験も時間を経て違った見方になったり、
楽しかった事も逆に苦みが出てきたり。

そういう記憶を伴ったモノって
意図して作ることができないというか、偶然の産物な気がして、
一点モノなんじゃないか。

そんな一点モノ仕立て上げるには
それなりの時間を共に過ごすくらいしかないんじゃないか。
であれば「記憶付きモノ」を他人が生産するなんて無理だろうな。
マトリックスだったら別ですけど。

SDGsとかサステナブルを考えれば考えるほど
モノを生産すること自体が罪なんじゃないかと思うことがあるけれど、
モノは存在させた方が良いんじゃないか論に僕の頭は行きつきました。

結局は自分がWhiteParkaというサービスを立ち上げて、
このサービスが意味あるものなんです!
と言わざるを得ない母性本能から至った考え方かもしれないけど。

「記憶付きモノ」の生産はできないけど、
その作り場は提供できるかもしれない。
WhiteParkaはそこなんじゃないかと最近気づいた。

あの時、あの場所で、
誰それと一緒に作った、
めちゃめちゃ悩んで作った、とかとか
そんないろんな記憶をいつか呼び起すための装置。
何年先にどんな心境を引き出してくるモノなのか
誰もわからないけど、
そんなタイムカプセル的なモノの生産だったら
まあ許してもらえるんじゃないかなー。

WhiteParka

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