Hauptbahnhof Gleis11『今日もたくさん人が来る』公演中止のお知らせ。
2024年12月12日から15日、
高円寺は信州酒場ことだまで行う予定の
Hauptbahnhof Gleis11『今日もたくさん人が来る』は、
主宰であり脚本・演出を務めていました金田一央紀の判断により、
全ての公演を中止することにしました。
すでにご予約いただきましたお客様におかれましては、急なことでご迷惑をおかけしております。大変申し訳ありません。個々、ご連絡をいたしまして重ねてお詫び申し上げます。
以下、長文になりますが、金田一央紀より説明申し上げます。
まず何よりも先に、今回の公演に関わってくださった皆さんにここでお礼を言わせてください。
ここまで一緒に走ってくれた御厨亮君、ありがとう。ごめんなさい。台本は最後まで書けませんでした。僕は御厨君の言っていることの1割も理解できていませんでした。
演出補佐をしてくれた池田智哉君、ありがとう。なんとか演劇作品として見られるものに、と奮闘してくれてありがとう。
チラシを作ってくださったサカイシヤスシさん、今見返すとドンピシャな絵を描いてくださっていました。ありがとうございました。僕はサカイシさんの絵を手掛かりに何とか作品を作ろうとしてきましたが、できなくなっていました。申し訳ないです。
記録撮影の大山隆一くん、スチールの花田友歌さん、素敵な映像、写真を撮ってくれてありがとう。稽古場に大山君がいてくれて話を聞いてくれているのが支えになりました。花田さんの写真のおかげで、いいものを楽しく作っている気持ちになれました。
会場の信州酒場ことだまの希久地沙和さん、中村健さん、ありがとうございます。二人の協力がなければ今回の企画はあり得ませんでした。
そして、今回の『今日もたくさん人が来る』に予約してくださった皆さん、楽しみにしてくださった皆さん。ご期待に沿えず、申し訳ありませんでした。
僕はもともと台本が遅い人でした。けれど、初日の三週間前には書き上げるし、それなりにいい本を書けてきた、という自負がありました。いよいよ台本が書けなくなってしまったのは、前回のHauptbahnhof Gleis10『Scale/Show』の企画段階の時からでした。今になって思えば、過去作品を再演することで、書けないことから目を背けていました。わかったような顔をして、書けないことから目を背けたまま、本は書けるつもりで今回の公演を企画しました。
土壇場になれば書けるだろうという、甘い考えがありました。今は書けないけど明日は書けるだろうと思いながら、体力が必要だと言って大飯を喰らい、やれインプットだと言ってテレビを見て、動画サイトにうつつを抜かして、なんにもならない情報で一杯になった頭を抱えて時間を浪費した挙句、床について頭をスッキリさせてから書こうと言って眠り、ひどい夢を見たらヒントになるんじゃないかとぬか喜びをしてワープロを開いて、結局点滅するカーソルをただ眺めているのを、ずっと繰り返していました。
土壇場を先送りし続け、本番まで1週間を迎えた12月4日、僕は「台本が書けないから中止にする」というシーンを書いて稽古場に提出しました。これで僕は自分をさらけ出した気になっていたのかもしれません。このシーンを書くことで、「公演中止という逃げ道を断って、それでも公演をやる」というところに自分を追い込んだつもりになっていたけれど、その実はただカッコつけているだけでした。僕が書いて出したシーンは、書けないことにきちんと向かい合うことがどういうことなのかわからないまま、向かい合っているつもりで書いたシーンに過ぎず、何の価値もないことに気づいたのは、これを書いている今です。
共演の御厨君と演出補佐の池田君はそれに気づいていたし、僕に一生懸命伝えてくれていたのだと思うのだけど、当時の僕はあまりよくわからなかったのだと思います。
12月4日の稽古のあと、僕らは久しぶりに大酒を飲み、僕は「書けない」と号泣しました。それでも公演をやりたい、と言いながら。
三人で話し合い、筋はある程度作ったうえで、即興で作っていこうとなりました。
『今日はたくさん人が来る』という今回の公演を企画したところから、台本ができないまま迎えた顔合わせ、試行錯誤しているところ、「書けないので公演中止にする」というシーンを書いてきた日を経て、それでもやろうという結末を迎える。
というあらすじで、一つ作品として観客に見せられるものにできると思い、稽古をしていきました。「金田一自身が今までの自分を捨て、脱皮することをこの即興劇を通じて観客にさらすのだ。」企画していた時に書いた意図が、この状況で出来上がろうとしていることに僕は狂気のようなものを感じながら、安心していました。これで、公演が迎えられる。と。
12月10日の稽古で、僕は違和感を感じて、御厨君と池田君に相談をしました。本当に台本が書けなかったのに、「書けなかった人の話」を上演して、さも書けましたみたいな顔をしていることは、僕はできない。台本が書けませんでしたと謝りたい。なにより誠実でありたい。と。
であるならば、まず台本が書けなかったことを公表し、すでに予約をしてくださっている皆様にも周知し、毎ステージ前説できちんと謝罪と感謝を述べて、一生懸命即興劇を見せるのが、誠実だろうとなり、今読んでくださっているこの文章を書き始めました。
ところが、これを書いているうちに僕はとんでもない思い違いをしていたことに気づきました。
公演中止することは、何よりやってはいけないことだと思っています。けれど、なぜそれがいけないのか、よくわかっていなかったのです。公演中止をすることで、創作の苦しみから解放される、つまり、作り手の逃げ道だと思っていたのです。だから、今回も公演を中止したら、僕は一生演劇をナメくさると思っていました。今のプレッシャーから早く逃れるために、公演中止を選んで、解放された気になって、きっとへらへらと、また今度やろうとか、リベンジだとかほざくだろうと思っていたのです。そんなことはしてはいけない。だから公演をしなくちゃいけない。どんな姿でもお客様に一生懸命創作をしている自分を見てもらわないといけない。そう思っていました。
僕は、見に来るお客様のことを、きちんと考えていませんでした。公演中止にすることは僕がなにかから守られることになる、だから中止せずに公演をするんだと思っていたのですが、そうではなくて、公演中止で守られるのはお客様なんじゃないか。今公演をすることは、僕の脱皮を見せて、観客を共犯者に仕立て上げて、悦に入ろうとしているようにしか見えないし、それは観客に対する凌辱に他ならない。そんなことをお客様にして、いったい何になるというのか。
僕がすべきは、甘ったれた自分の根性を叩き折って、ボロボロになった姿をさらすことですが、それについてお客様のお力を借りてはいけないのです。3000円の料金を取ってやることなんかでは決してない。
だからこれは、僕が楽になるための公演中止ではなくて、見に来てくださるお客様と演劇に誠実であるための公演中止であって、僕がボロボロのぐちゃぐちゃでもう演劇やってますと自分から言えなくなるくらいになるための公演中止なのです。
11日の稽古場で、以上について説明をし、ひとえに僕の覚悟のなさを受け止め、改めて、公演中止を決定しました。
全ての責任は主宰であります、金田一央紀が負うものであります。
この度は、本当に申し訳ありませんでした。
金田一央紀 2024年12月11日