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ことばの吐き方。/なまけdays#14 200407

・うまく言葉が出てこなくて、今日もやっぱり三つくらい下書きへ行った。無念無念。

・さて、箇条書き。

・昨日はぼんやりしたまま寝てしまったようで、はじめてちゃんと(?)更新が途絶えた。だからなんだ、という気持ちでいるので、これは良い傾向かもしれない。だからなんだ。読む方には関係ないね。

・うまく言葉がはけないで困っている。それはつまり、何についてどう書くかをきちんと決められていないということだ。できれば明るい話題を、とは思うが、なかなかどうしよう。ううん、結局自分は自分のためにしか文章は書けないのかなあと絶望してしまう。

・いろいろと書きたいことがあるのだが、今日はい~のさんのこちらのnoteを拝読したことについて書きたいと思います。

・このお話、とてもよくわかる。

・それは、『どちらの立場でも』だ。

・う~~ん、ここに存在する歪みについて、どう触れればいいのか分からない。だから私は自分の病気について上手いこと話せないのではないかとすら思う。つまり、病であることと、そこから文章を作り出すことの罪悪感だ。もちろん、コンテンツとして消費していいものではない、しかし、自分のことを語る時に外せないものでもある。そのはざまで、いつもどうしようかと思っている。

・自分語りと、自分のバックボーンを話すという行為の違いって何だろう。

先日cakesに提出したnote、そしてその翌日にアップした裏話的エッセイ。そこでも書いたが、あのnoteは私の傷を私の傷以上のものへと昇華させるためのものだった。

・つまり、切り取り方や見る角度を変えて、『自分の病』を『古典への案内』の入り口としてみたのである。ここには論点のすり替えのようなものが働いていて、私は自分語りと言われておかしくない話をしているのだが、それを古典へと結びつけることによって、『自分のことを語りたいわけではない』という体制をとっている。

・だれかに、自分語り乙と言われるのを恐れているのだ。なぜだろう、でもずっと恐れている。

・なぜだろう、というか、一番自分を嘲笑しているのは自分なのだ。わかってるよ、わかってる。

・病のすべてが自分ではないのに、そうだと思ってしまう。そういう気持ちがどこかで働いている。

・自分の愚を晒すようでお恥ずかしいのだが、病になった頃、悲劇のヒロイン症候群のようなことにならなかったかと言えば、嘘だ。ううん、なんだろうな。主人公的な気持ちになってしまうのだ。しかし冷静に考えれば人間は皆自分の自我から乖離されることはなく、客観性と言う言葉が本来の意味で客観たることはないのだ。他人の眼球を経て世界を見ることができないように、私たちは自分という存在から離れることはできない。

・そのことを分かっていながら、それでも自分が他の同級生とは違う人間だと思ってしまう自意識が首をもたげていた。当時から私は自分のその自意識を『客観視』していて、傍から見れば相当に痛々しいものであることも自覚していた。

・だから、そのことを面に出さないように苦慮していた。

・ここに、歪みが生じているのだと思う。

・うまい具合に言葉に出来ないし、このことはいずれちゃんとnoteにしたいなとも思っているので、今日はこのあたりで切り上げたい。

・い~のさんのnote、どれも言葉が鋭くて素敵です。是非ご一読ください。

おわり!!

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