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敬意なき相手に反撃する必要はなく、ただ自分に集中すればいい

先週末、すばらしいシーンを映像で見て、敬意を込めて一つの文章を書いた。その場面を決定づけたある種の判断ミスがあって、僕なりに分析しておいた。

ミスの分析とは、まずミスした本人にメリットをもたらすもの。

人が本気でチャレンジしたとき、ミスはつきもの。その事実を受け止め、振り返ることで、チャレンジした本人が一番成長できるだろう。

このような「大きな失敗が、安心してできる環境」があるなら、その存在はとても貴重なもの。その環境を大切に育てるべきだ。「心理的安全性」だ。

そのために、大事なことが2つある。

心理的安全性の条件

1つめ、気づくのは本人自身であって、周りの他人ではない。その本人がどれだけ未熟であっても、周囲がどれだけ熟練者であってもだ。だから本人が「受け止められる状況」にあることが必要。ちょうど為末大さんが的確なことを書かれている:

「深い気づきには大きな衝撃が伴います。〜 この衝撃はとても強いので、それなりに自分に余裕がないと成立しないということはありえます。」
(為末大さんnote)

もう1つは、周囲にそのチャレンジに対する敬意があること。これは「安心してチャレンジできる」ための前提条件だ。

他人のミスをネットで叩いて、何になるのか?

先日の僕のnote(と元のSNS投稿)に対しては、その敬意が感じられない、単純に批判し貶めるだけのものが目立った。拡散するほど目立ってくる(Twitterインプレッションは2日で30万を超えた)

他人のミスをネットで叩いて、何になるのか?

本気でチャレンジした人への敬意がない、その場に至るまで努力してきたプロセスに対しての敬意がない、ミスも含めてのチャレンジであるという本質を理解していない、

そう感じる反応が目立った。そこから何かが得られるのだろうか?

そんな材料にされるのは僕の本意ではないので、先日のnoteも非公開化しておいた。ここには僕の想像力不足もあり、あんな文章を公開すればそんな反応もあると想定できなかったのは僕のミス、受け止めておこう。

結論

敬意なき有害な相手に対して、屈するべきではないが、反撃する必要もない。かわりに、自分のなすべきことに集中し、成長すればいい。次のチャレンジで成長した自分の力を出し切ればいい。その時、その相手への反撃(的ななにか)も果たされていることだろう。

勝負はまだついていない。君が諦めていない限りは。

追記:コミュニケーションの基本は「敬意」

とくに匿名ネット空間では、敬意のない、一方的なネガティブ感情の吐き散らかしが目立つ。匿名ゆえの甘えなのか。

コミュニケーションの基本は、相手への敬意。匿名アカウントほど、敬意のないコミュニケーションをとりがちな傾向があるよう感じる。

日常世界で敬意を強制されすぎるストレスから解放されるために、「ネット空間くらいは敬意なく本音ぶちまけたい」、という欲求はあろうかとは思う。

それも自由なんだけど、結局、その相手から、マトモに対応してもらえないデメリットのほうが大きいのではないだろうか?

もちろん匿名であっても、立ち位置が明確で、敬意ある議論をしているのなら問題はない。ただ、実名のほうが、この点へのプレッシャーが高くなる。これは一見負担なようでも、相手も丁寧に対応してもらいやすいから、トータルで楽になることが多い、と僕は感じている。

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