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孤独のタクシー飯 ride.3  ビジネス街でもちもちの天然銀鮭定食を食べたものの……

38歳、2人の子供がいる。東京大学に11年間在籍した後、文筆家になるという夢を追い始めた。しかし、夢とは夢で稼ぐことではないと気付き、家族を養うためにタクシー運転手を始めた。

お客様にご乗車頂きながら辿り着いた街で、今日も、独り飯を食う。

……。

……。

まだ3乗務目。研修を入れても5乗務目に過ぎないのだが、仕事にもだいぶ慣れてきた。そんな中、都心からとあるビジネス街にあるホテルまでお客さんを乗せた。

時間は19時。今日はこの街で食べるか……。

そう思っていると、お客様を乗せているときに食堂があるのが見えた。なかなか良さそうな外観だったので、ここにしてみよう。お客様が下車した後、駐車場に車を止めた。

メニューを見ると、漬けのスズキ、マグロ、ブリのどんぶりと、唐揚げ系の定食、そして天然銀鮭の定食があるようだった。ランチのようなメニューだが夜もやっているようだ。

何を頼むのか迷ったのだが、前回チキンソテーを食べたのと、漬けの刺身は昨日の余りものと相場が決まっている。もちろん、余りものでもうまい店はうまい。だが、初回から頼むのは賭けだ。

そう思い、1000円の天然銀鮭の定食を頼むことにした。鮭定食に1000円は高く思えるかもしれないが、北欧で養殖した鮭と天然の鮭では少し違うのだ。

もちろん北欧の綺麗な海で養殖された鮭なので、健康上に大きな問題があるということではないのだが、やはり狭いところに密集して飼育されている上、合成餌料を与えて太らせるので、脂が過剰にのっている傾向がある。

知り合いのサケ・マス類の研究者は、魚肉を食べれば、どんな合成餌料で育った魚かわかると豪語していた。要するに合成餌料の味が、魚肉に残るのだ。

つまり、自然の海の中で育って、魚やイカ、甲殻類などを餌にして育ったほうが美味しくなるのだ。うまいものを食べればうまくなるのである。さらに。天然ものは、筋肉が発達し、脂ののりももう少し自然だと言われている。少し語気が弱くなるのは、天然の鮭を意識して食べたことがなかったからだ。そういう意味で、今日は楽しみだ。

店内はカウンターに7,8席と奥にテーブルもあるようだ。店主と女性の二人でやっているようだ。夜も定食はやっているかと一応確認したところ、「そこ」と後ろにあるメニューを指さされる。愛想の悪いさに嫌な予感がする。外れかもしれない。

不機嫌そうに無言で作業する大将と、同じく無言で作業する女性。小さくテレビの音だけが響く、静かな空間だった。静かなというより、殺伐したという印象を受けた。

これは外したなと思っていると、大将が無言で皿を差し出した。受け取ると、銀酒と大根おろし、そして卵焼きがのっていた。こちらが何か気を悪くさせるようなことをしたのだろうかと不安になってしまうほど愛想が悪かった。

そして、味噌汁、ご飯、漬け物、豆腐の皿が届いたので食事を始めた。

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ちょっと写真の構図を失敗した。メインがご飯で見えない。

まずは味噌汁に手を付ける。ワカメだけが入った味噌汁を見て少し嫌な予感がする。手抜きかもしれないからだ。

あれ……?

美味しい……?

ただのワカメの味噌汁と思ったのだが、シジミの味がする。出汁をとるためだけにシジミを使っているのだろうか。美味しい……。

豆腐にも手を付けるとこちらも美味しい。濃厚で深い味がする。これはおかしいぞと思い、漬け物も食べてみると、糠の香りがほんのりとする。よく浸かっている。あれ、無愛想な大将だけど、腕がいいぞ……。どういうことだろうか。

そういえば料理屋の実力は卵焼きでわかるらしい。卵焼きに手を付けてみるとこれもまたうまい。ほどよい甘さの後に、出汁の香りが口の中に広がっていく。

ここまできてようやく鮭の身をほぐしはじめる。スーパーで100円で売っている酒とは違って、身が肉厚で、箸に取ると脂が流れているのが見える。

美味しい。とても美味しい。

塩辛くもなく、脂もきつすぎない。肉自体がとてもうまい。ご飯がどんどん進んでいく。大根おろしに醤油を垂らして、肉と一緒に食べるとさらに美味しい。本当に美味しい鮭だ。

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鮭と付け合わせがこのクオリティということは、何を頼んでも美味しいということだろう。

ただ、大将の不機嫌さがどうしても気になった。女性が奥のテーブルを取り注文を伝えていたのだが、どうやら伝達ミスをしていたらしい。串焼き4本の注文だったところ、1本しか焼いていなかった。

女性が大将ににこやかに伝えると……。

「わかりづれーんだよ……」

と吐き捨てて、作り直しを始めた。カウンターに客が座っていることを意識しているのだろうか。

少し話はずれるがタクシー運転手としては、「わかりづらい」という言い方は出来ない。というよりも、お客様が話す目的地や経路などわかりづらくて当たり前なのだ。

「この信号を含めて3つめが日曹橋の交差点なので、そこを右折。すると明治通りに入るので……」

などと言ってくれるお客様は少数派。

「春日までいって、左ね。そのあと信号こえたら左の路地入って。」

これは春日通りまで何とかして辿り着いて曲がらなければいけないのだが、どういう経路で春日通りまで行くかはわからない。それによって、入る路地が違うのである。さらにいうと信号から信号の間に路地は複数あるし、場合によっては一方通行で入れないこともある。

というわけでタクシー運転手は、目的地を復唱し、丁寧に確認する必要がある。

「お客様、恐れ入りますが、春日通りまではこの先の四つ目通りりから入ればよろしいですか?」

「うん、四つ目でいいよ」

「はい、かしこまりました。春日通りに入りましたら、またお声がけさせて頂きます」

こういう仕事を始めたこともあって、大将の言い方がどうにも気になった。めしはべらぼうにうまい。ただ、雰囲気はそのうまさを相殺するほど悪い。

最後に鮭の皮をパリパリと食べると、これもたまらないほどうまい。上品な脂のうまみが口内に広がっていった……。

会計を済ませて店を出るとき、殺伐とした雰囲気に申し訳なさを感じたのか、女性は何度も「ありがとうございました」と言ってくれた。大将はモゴモゴと何か言ったような気がするが聞き取れなかった。何も言わなかったかもしれない。

もしかしたら、身内に不幸があったのかもしれないし、コロナ騒ぎで経営が傾いているのかもしれない。何らかの個人的な事情はあるのかもしれない。カウンターから手元がオープンに見えるタイプのお店だったのだが、もしかしたら性格的に合わないのかもしれない。

板場に立ったときはプロとして振る舞って欲しいと感じた。飯のうまさは、飯だけでは決まらない。

これだけの食材を丁寧に調理しているのだが、腕はいいし、志も高いはずだ。だからこそもったいなく感じた。

店を出るときは二度と行くものかと思ったのだが、一晩経ってみると、殺伐とした居心地の悪さよりも、鮭のうまさのほうが印象に残っていた。少し時間をおいてもう一度行ってみようかな。

少しネガティブな内容を含んでいるので店名は公表しないことにする。以降も店名が紹介されていない場合は、そういうことなのだと察して頂きたい。毎日食えば外れもあるのだ。今回の場合は、外れとは言いがたいクオリティだったのだが。

さて、次はどこで飯を食おうか。




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作家・Youtuber。偏差値30からの大学受験を経て東京大学文科Ⅱ類(経済系)→文学部に進学(宮沢賢治の生命観)→大学院は理転して農学系(アワビ類の行動生態および繁殖生態の比較)→自主退学しスポーツ系の物書きに。著書『サポーターをめぐる冒険』がサッカー本大賞2015を受賞。