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2014年ブラジル、サポーターとして死んだ時の話をさせて欲しい。【ブラジルW杯サポーター戦記①】


サポーターが他のサポーターを非難する。

あんなのサポーターじゃねぇよ!!

本当のサポーターってのはよ!真のサポーターってのは!!!


……。


……。


……。


真のサポーターとは何だ?



サポーターとは何かという問いには強い興味を持っていた。「サポーターって何だろうか?」そんな疑問からぼくの旅は始まったからだ。

うっかり訪れた旧国立競技場での一件から、紆余曲折あって、ぼくはFC東京のサポーターになった。今思うと浦和か鹿島のサポーターになっていても面白かったかなという気はする。

しかし、それはそれで視野が限定されてしまったのではないかという気もする。浦和や鹿島が巨大な存在であるがため、自チームだけを追っていれば満足するということになってしまったかもしれないからだ。

とすると、FC東京あたりをゆるく応援しているくらいがちょうどいいのかなという気はしている。FC東京が調子を落とし、10年単位でJ2に定着するとか、あるいはPSGのような圧倒的なスーパーパワーになるとかしたらまた話は違ってくるかもしれない。

ともあれ、ぼくは日常的なサッカーを詳細に追い続けるタイプではないので、FC東京を中心にのんびりと国内サッカーを見て行ければそれで満足している。子供も二人いるし、家族の予定もあるし、使えるお金は限られている。だから、のんびり見るくらいでちょうどいいのだ。

もちろん優勝がかかってきたら手のひらを返して、途端に熱狂的に応援するようになるかもしれない。

そういうスタイルなので、FC東京についての文章を書くということについてはあまり上手ではない。一般のサポーターとしても知識があるほうではないからだ。逆に、東京以外の所へ行って、両チームの選手を誰も知らないような試合を観て、試合の前後の楽しみも含めて書くのは得意としている。

餅は餅屋。
練習レポートは番記者。
サポーター記事はサポーター。
サッカー旅記事は、OWL magazine。

棲み分ければいいのである。

というわけでFC東京のゆるいサポーター。それが僕の現在地だ。今はこういうところに落ち着いているのだが、実は最初はそうではなかったのだ


ここで書きたいのは、ぼくがサポーターとして命がけで挑戦をした時のこと

そして、2014年6月24日。クイアバという土地でサポーターとして死んだ時のこと。


マットグロッソ州クイアバ。
パンタナール湿原の入り口にある静かな田舎町である。クイアバを訪れたことがない人は、クイアバなんて町のことは覚えてはいないだろう。


しかし、クイアバを訪れた人ならば、永遠に忘れられない名前となっていることだろう。

それは特に、日本が誇る右サイドバック、内田篤人にとっても忘れられない名前となっているはずだ。

何故ならそれは、内田篤人がワールドカップの舞台で戦った町だからだ。そして、クイアバでの試合は、内田篤人にとって最後のワールドカップとなった。

自分が死んだときの話をするのは非常に恐ろしく、結局6年も経つのに未だに文章の形にしたことがない。それだけのことがあったのだ。どうして文章にならないのだろうと自分でも頭を抱えた。ブラジルまでいってあれだけの経験をしたのに、文章に紡げないなんて、物書きとして何の価値があるというのだろうか。

ただ、今になっては腑に落ちている。やはり6年くらい経たないと消化できないようなことだったのだ。

自分のことだけではなく、ぼくの勝手な思いだが、内田篤人選手という偉大なる選手のためにも、どれだけ遅くなっても書き記したいという気持ちが強くある。

みんな、内田篤人がどれだけすごい選手であったのかを知っているのだろうか。誰もがくじけそうになったときに、ただ一人、決して諦めずに、勇敢に戦い続けていたことを知っているだろうか。

随分と時間がかかってしまったが、書いていこう。

どうせ、新しい旅はしばらく出来ないのだ。あの時のことを何度も何度も思い出そう。

2014年、クイアバの地で。ぼくはサポーターとして死んだ。

うずくまる長友佑都を見ながら、乱舞する黄色い塊を見ながら、反響するコロンビアの歌を聴きながら——。



「サポーターってなんだろう?やはりサポーターは、全身全霊で、自己犠牲をしながら応援するものなんじゃないだろうか?」

今となっては当時33歳の若造が思った戯れ言であった。しかし、そのときは本気であった。大学院時代、とても辛い時があった。そんなときぼくを支えてくれたのは日本代表の選手達であった。ザッケローニジャパンの活躍にどれだけ励まされたことだろうか。

だからぼくはブラジルまで応援しに行くことにした。少しでも選手達の力になりたかった。

そして2014年、決死の覚悟でブラジルへと向かった。これを書いている2020年の人類ならばわかると思うのだが、ブラジルという国は「新型コロナはただの風邪だ」と大統領が言い放ち、無策を続ける中でパンデミックが起こり、見かねたマフィアが防疫対策をし始めるような国だ。何から何までめちゃくちゃな国なのである。

ブラジルという国に入るときの心境については、拙著『Jornada』に詳しく記してあるので、こちらも是非読んで頂きたい。この記事は、『Jornada』の続きに相当している。しかし、続きだから書籍から読んでくれというのも乱暴なので、サポーターについて書いたところについては簡潔ながらあらすじを追えるようにする。


炎の中へ

ブラジルを訪れるというだけで、決死の挑戦であったことだけは改めて強調したい。犯罪の発生件数が多く、凶悪犯罪もとても多い国である。日本が最も治安の良い国のに一つであるのに対して、ブラジルは最も治安の悪い国の一つである。

日本代表の初戦が行われたレシフェ(へシーフェ)という都市では、月間の殺人事件の発生件数が100件を超えていた。月に100人殺されるということは一日3人以上が殺されるのだ。もちろん、そのへんの原生林に埋められた死体はカウントされていない。

その治安が悪い町の町外れで試合は行われた。スタジアムの周りを歩いていると少し外れのあたりで人通りが少なくなった。すると目の前から190 cm近い、ドレッドヘアーの巨漢が二人で歩いてきて、ぼくのほうを指さして何かを話している。そして近づいてきた。

ぼくは、クルリと回って、後ろを何度も振り向きながら小走りで逃げ去った。巨漢は少し残念そうにしてヘラヘラしていた。逃げ出す判断が少し遅れたら、ぼくは体当たりで吹っ飛ばされて身ぐるみを剥がされていたかもしれない。これはスタジアムの敷地内での出来事である。

もっともブラジルがこのような治安状況であることは承知の上であった。どうしても日本代表が応援したかったのだ。ぼくにとってザッケローニジャパンは特別な存在であったからだ。

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リオデジャネイロの丘の上から撮影したファベーラ(スラム街)のサッカーコート。

ザッケローニジャパンの意義

今となっては信じられないかもしれないが、当時、日本人のサッカー選手は世界には通用しないとすら言われていた。そんな中、ザッケローニジャパンは初戦となった国際親善試合でアルゼンチン相手に勝利したのだ。

我らが長友佑都があのリオネル・メッシを封殺し、岡崎慎司のゴールを守り切って勝利したのである。日本が世界に通用するという事実は自己評価が低く自信がなかったぼくを励ましてくれた。

本田圭佑、香川真司、長友佑都、遠藤保仁などを主軸としたザッケローニジャパンは、日本人が世界に通用することを示し続けた。と、同時に、高い志を持つこと、夢を恥ずかしげもなく掲げることの大切さも教えてくれた。

ぼくはいわゆる氷河期世代であった。この世代は全体的に自信がなく、自分には何も出来ないという無力感を持っていたように思う。同時に、バブル期以降の日本も、同じような無力感を抱えていたように思う。明るい未来などありはせず、日本という国が徐々に衰退していくのを待っているだけであった。

そんな折り、ぼくは日本代表の情報を欠かさずチェックしていた。それぞれの選手の出場試合も見ていた。本田圭佑が所属するCASKモスクワの試合は流石に見ていなかったが、それすら全試合チェックしているファンはいた。

特にドルトムントにいたときの香川の活躍は非常に痛快で、試合が終わるごとに香川真司のタッチ集を見ていたのはぼくだけではないはずだ。当時の日本代表は、文字通り日本の希望であり、多くの日本人の関心事であった。

そして、チームの中心であった本田圭佑はブラジルW杯での優勝という大目標を掲げ、夢の舞台へとと乗り込んでいった。

ぼくは後にアンチ本田圭佑ライターとして何度か炎上することになるのだが、当時は純然たるファンであった。今でも選手としては好きである。ビジネスマンとしての活躍は再現性が低く(本田圭佑の知名度がないと真似出来ない)、何の参考にもならないと言っているだけである。

ただ、当時は純然たるヒーロー。心の中は本田圭佑を初めとしたら日本代表の勇者達で満たされていた。大好きな日本代表。自分の人生を変えてくれた日本代表。

日本代表を応援するために、ぼくはサポーターとしてブラジルへと向かったのだ。

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この【ブラジルW杯サポーター戦記】については2週に1本くらいのペースでOWL magazineで連載します。第一回である今回は無料部分を多めに展開していますが、二回目からは有料の割合を大幅に増やします。今月中にもう一本掲載する予定となっておりますので、あの時のクイアバを知る方、または、あの時のことをぼくと一緒に追体験したいという方は是非ご購読をお願いします。

ぼくは、ブラジルで100万円を使いました。いや、実は8万円余っているのが数年後に発見されたのですが、それはへそくりとして新宿ゴールデン街の露と消えました。

それはさておき、ブラジルに行くのは金銭的な意味でもリスキーでした。

100万円に比べたら700円は安い!!!

どこへいっても読むことが出来ない。渾身のブラジルワールドカップ、サポーター戦記を是非ご覧下さい。

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今回の有料部分では、レシフェでのコートジボワール戦について書きます。

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作家・Youtuber。偏差値30からの大学受験を経て東京大学文科Ⅱ類(経済系)→文学部に進学(宮沢賢治の生命観)→大学院は理転して農学系(アワビ類の行動生態および繁殖生態の比較)→自主退学しスポーツ系の物書きに。著書『サポーターをめぐる冒険』がサッカー本大賞2015を受賞。

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