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いつまでも旅を続けて行くために。メディア×表現者×人生に求められる諦観について。


ああ、今年も暮れようしている。

2020年の年越し。
ぼくにとっては39回目、OWL magazineにとっては2回目である。

今年はコロナの年でもあったため、気が遠くなるほど色んな事があったものだが、何とか2度目の年越しを迎えることが出来た。

この記事は2020年をまとめた上での所感であるが、クリエイターの育成をしながらメディア運営を続けて来た2年間の総括でもある。

自分でも時折読み返す内容として発信したい。



気をつけろ。

ここから先は修羅の道だ。

来る物は拒まないが、去る者は決して追わない。

強い意志のあるもの。

誰から何を言われようが自分の意志を曲げないもの。

最後の最後まで諦めずに戦い続ける覚悟があるものだけが着いてこい。




さて……。

自分でメディアを立ち上げてみて、メディアとは何なのか、またメディアを成立させているクリエイター(コンテンツ制作者)とは何なのかについて随分と考えてきた。コンテンツ制作者というのは、OWL magazineの場合にはライターであるが、ラジオパーソナリティの育成も行った。本当は動画出演者や編集者も育成したいと思っている。

どうして「買ってこないで自分で育てる」のかというと、それはプロビンチャの零細クラブのようなメディアだからというのもあるし、代表のぼくにとってやりたいことが明確だからというのもある。

既にやっている人の中から選別してくるよりも、まだやっていないけどやりたいことは同じという人を探してきて育てるほうが手っ取り早いのだ。

そんな2年を過ごしてみたからこそ思ったことを年末なので吐き出してみよう。文章、漫画、音楽、写真などの表現活動に取り組んでいる人には是非読んで欲しい。

メディアは空港のようなものだ。

空港を訪れる人もいるが、空港から去って行く人もいる。働いている人はいるがあくまでも少数で、多くの人にとっては通過するための場所だ。

メディアも少数の人間だけが働いていて、ライターなどのコンテンツ制作者は渡り鳥のようなもの。記事を書いてはすぐにいなくなる。

一般的なウェブメディアに関していうと、2,3人のスタッフだけで回して、後は全員外部寄稿ということも多い。逆に、多数の編集部員を揃えたり、内部寄稿によって原稿を揃えたりしているメディアのほうが珍しいことだろう。

元財務相の高橋洋一先生が「メディアにはやせ我慢が必要」と言っていたのだが、その通りだと思う(もちろん政財界と癒着して甘い汁を吸っている大手メディアへの皮肉である)。メディアで稼げる額などたかがしれているが、貧乏くささを出さないように歯を食いしばる必要があるのだ。そのため、人件費を払うのが厳しく少数精鋭によるハードワークになっていく。

ただ、少数で切り盛りしながら、外部寄稿ばかり集めているメディアと比べると、OWL magazineは幸福なメディアのようにも思える。我々は家族のように集い、仲間として付き合う中で、それぞれが目指す表現を研磨している。表現という言葉を使うとアーティスティックなイメージを持ってしまうかもしれないが、ぼくはこの言葉を敢えて使うようにしている。

世の中にコンテンツを出すものは、「作業」ではなく「表現」をしていると自認するべきだと考えているからだ。その意識次第で、一挙手一投足が変わってくる。表現者を名乗るのは、クリエイターの矜持だ。

というわけでOWL magazineは表現者の集まりなのだが、芸術集団というほど大げさなものではない。美術館に展示されるような作品よりはもう少しポップなものを展開している。しかしながら、芸術ではないのかと言われると、そうでもない。むしろ芸術のカテゴリーに入れるほうが適切なのではないかと思う。


芸術性のない記事なんか誰が読むんだ?


そんなことを言いながら、編集者としてのぼくは記事に魔法をかけていく。OWL magazineというメディアは、ぼくの編集力、クリエイター育成力によって独自性を持っていると自負している。逆に言うとぼくの編集者としての活動量がボトルネックだ。

魔法を付与するというのはどういうことか。ドーピングといえばドーピングなのだが、ぼくの場合は、著者に自己対話を強制する。添削を通じて、自己対話を深めていけば、それなりに良い記事が出せるのだ。

もちろん中身が空っぽな人もいる。そういう人は良い書き手にならない。もちろんぼくの定義においてであるが。

OWL magazineのメンバーは、ぼくがごちゃごちゃ言うことで素人原稿の体裁がやっと整ったというレベルだと思っているかもしれない。しかし、プロの書いた記事の中になっても突出できるくらいの魔法は掛けているつもりである。成功率は100%ではないので、掛け損なうことも多いのはご愛嬌であるが。

その魔法がすなわち芸術。人の心を動かし得る何かである。

芸術とは自分の中にある感情や感覚を具現化したものだ。一言で言うならば人間の生々しさといってもいいかもしれない。そう、生々しいものは売れるのだ。

生々しさの象徴とも言えるポルノグラフィは当然売れる。この世で最も売れるものの1つだ。さらに生々しい直接的な性サービス、つまり風俗産業などは驚くような高価がつく。

ゴシップもそうだ。佐々木希がどういう心境にいるのかという情報は、生活をしていく上で誰にも必要とされていないにもかかわらず売れる。生々しいからだ。

だが、生々しさを出すためにゴシップに頼るのは三流の仕事だ。胸が痛いサッカーメディアも多いかもしれないが、もはや胸すら痛くないかもしれない。

芸術とは生々しいことだ。人間の持つ生命力、醜さ、それを昇華した美しさなどを、それぞれのキャンバスに叩きつける。

芸術は爆発だと言った岡本太郎が非常に生々しい存在であったことからもわかるだろう。

編集者の仕事は生々しさを引き出すこと。そして、それを成型して読者に伝わるようにすることだ。

荒々しいだけでは駄目だ。器用なだけでも駄目だ。両方持っていて初めてリングに上がることが出来る。

さて、ここからは少しぼくの話をしよう。

ぼくは書き手としてはまだまだ未熟だが、デビューした2013年よりは随分とマシになった。あの頃は殻をかぶって歩いている生まれたてのひよこであった。それでも何とか戦えたのは、自分の内面をさらけ出すことを恐れず、書き手として戦い続けたからだろう。

売れる書き手と売れない書き手の違いで一番わかりやすいのが、どれだけプライベートをさらけ出しているかどうかだ。もちろんプライベートを守りながらも表現する方法はある。しかし、何かを守りながら戦うのは非常に不利なのだ。

ぼくはありとあらゆることをさらけ出している。家庭があるので性的な話題は避けているが、それだって本当はまったく隠さなくてもいいと思っている。童貞の頃どこでどう考えていたのとか、どうして二の腕フェチというものが存在するのかなど、自分の体験に則して蕩々と語ることも出来る。

それが恥ずかしいという感覚はない。それがTPOに即しているかと、読者が求めるものかどうかというセンサーだけがある。

もっとも単にさらけ出すだけで面白いかというとそういうものではない。表現へと転化させないといけない。それが、自分の生きてきた証と証明しなければいけない。

OWL magazineでライターの育成もしている。が、ぼくは誰にも育成されていない。だからすごく時間がかかったし、個人でやっていたので四方八方から人格批判をされた。

けど、OWLというチームで始めたライターは、批判される可能性はあまり高くない。もし炎上して、謝罪する必要があるならば、批判耐性が高いぼくが出て行って頭を下げればいいことだ。逆に言うとぬるま湯のような環境になってしまっているような気もしてきている。

OWL magazineのメンバーには原稿料を支払っているのでプロライターの中に名を連ねていると言える。本業の都合で原稿料を受け取れないライターの場合は、ありがたく寄付として頂いているが、原稿料払う価値のある原稿しか掲載しない(何度か後悔はあったのだがごく少数だ)。

つまり、OWLにいればプロライターになれるのだ。ちなみに、原稿料を払うのは当たり前のはずなのに、「出世払い」などと称して、払わないメディアもある。

ぼくも出世払いで受けたことがあるのだが、その人は出世したあと連絡をしてこなくなった。その後、某プラットフォームと揉めていたようなのだが、それは因果応報というものだろう。原稿を書いてもらったら原稿料を払う。そんな当たり前のことも出来なかった人が信頼されるわけがない。

もちろん、メディアの予算は限られていて、申し訳ないほど少ししか出せないこともあるかもしれない。しかし、0円固定と1円以上には大きな違いがある。

というわけでOWLにいればプロとして報酬を得られるようになっていく。教育効果は高く効率もいいはずだ。その一方で、そのことがライター達が、世界に立ち向かっていく生々しさを奪っているんじゃないかとも思うようにもなった。

ぼくは、文筆業で身を立てるという夢を持ち、試行錯誤しながらもたった一人で立ち向かった。だからこそ大きな成果を出すことが出来た。そして、苦痛も大きかったが一気に実力がついた。いや、つけなければいけなかった。そこにストーリー性が生まれ、自分でも理解できないくらい多くの人に支持して頂き、大きな成果を出すことが出来た。

もしかしたらぼくはその機会を奪っているのかもしれないなと思うようになった。


ちょっと優しすぎたかなって。

もちろんプロ志望のライターとそうではない人がいる。教育方針は別にするべきだ。しかし、本当にプロを目指したいと言っている人には、もっときついことも言わなければいけないなと思うようになった。これが2年間やった上での反省だ。

ぼくはシビアな人間で、シビアだからこそ自分一人でも物書きとして成長してこれたと思っている。そのシビアさを他人に向けず、寛容で優しくしている。それも大事だが、甘やかすことによって若手クリエイターのチャンスの芽を奪ってしまうかもしれないのだ。

もしかしたら、厳しく接したことで潰れてしまうかもしれない。それによってOWLの原稿が不足するという状況も起こるかもしれない。

でも、それでいいのだろう。外で潰されるようなら、その前にぼくが潰そう。ぼくに潰されるような表現者は決して一人では生きていけない。そのために憎まれたり、恨まれたりする覚悟をしよう。とはいえ、パワハラはいけないし、無為に可能性を摘むのもよくない。

先に進むために何が必要なのかを1on1ミーティングでしっかり話し、いつまでに何をするかを約束する。約束を破った場合には厳しく注意するし、それが続くような育成を放棄する。そのくらいのメリハリはあったほうがいいのだろう。

寂しいけどね……。けど、中途半端な覚悟では、旅の途中で離脱してしまうことは明らかだ。そんなに楽な旅じゃないから。

というわけでこんなものを作ってみた。


OWL magazine、注文の多いライター育成コース。旅の目的地はどちらでしょうか。
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※ライター志望の方はここから応募ができます


不器用ながら8年間やってきた。その間に潰れていく表現者を何人も見た。みんな何らかの言い訳を用意して離脱していく。あるいは今は時期じゃないとか、もう少し経ってからなどと言って逃げていく。

でもいいのだ。それが人生の唯一の道ではないから。表現は修羅の道。続けるほうが異常者なのだ。

どうも、3,4回原稿をリリースして、ちょっと賞賛されたりしただけで満足する人が多すぎるように思う。もちろん、それは素敵な経験だから、喜びを感じるのは悪いことではない。けど、俺たちは一生書いていくんだよ。今年はタクシーをしながら100本書いたし、その前の年も、その前の前の年もそのくらいは書いている。単純計算では8年間で800本くらいは記事を書いている。

1記事4000字平均としたら、320万字ということになる。もっと書いているとは思うが最低でもそのくらいは書いている。呼吸をするように書き続けた先にしか見えない境地がある。苦しくて、泣きたくて、逃げ出したくて、本当につらいときでも戦ってきたからこそわかったことがある。


もう少し自分の話をさせて欲しい。
今までほとんど語ったことがない。書き始める前の自分の話だ。

ぼくにとって文章は最良の友達だった。

大学生の時、孤独で崩れ落ちそうな誕生日があった。留年が決まった時、友人達は弁護士、公認会計士、大企業、官僚などに就職していった。誰も祝ってくれない誕生日はとても孤独で、赤ワインを一本買ってきて、ラッパ飲みしながら文章を書いた。

もう存在しない「鳩ノ巣」というサイトにテキストを綴った。内容はどうだったのだろう。重度の酔っ払いが書いていたのだ。自己満足のマスターベーション的な文章であったことは間違いない。しかし、あれは大切な時間だった。

3時間か4時間か、取り憑かれたように書き綴り、恥さらしと知りつつも世界に向けてリリースした。誰が読んだかはわからない。誰も読まないかもしれない。それでもぼくは世界に向けて発信していた。

お金になるとか、評価されるとか、認めてもらえるとか、ファンが出来るとかそういうことを考えたことはなかった。とにかく書きたかった。そしてそれを公開したかった。

大学生の頃は文筆業になるのは絵空事で不可能だと思っていた。夢を追ってもいいというアイデアを得たのは、本田圭佑を初めとする南アフリカW杯時代の日本代表選手で、それでぼくの人生は変わった。

変わる前のぼくは、自分のような才能のない人間は、文章でお金を得るなんてことは出来るわけがないと思っていた。それでも書きたかった。誰も読んでくれなくても、誰も認めてくれなくても。

自分のために。自分が生きるために。書き続けた。

元々は書くのがとても苦手で、小論文の800字を書くのにもひーひー言っていた。しかし、大学に入って、情報処理の授業でホームページを作った時に世界が変わった。こんなぼくでも書いて公開できるところがあるということがとても嬉しかった。

当時はまだブログなんて便利なものはない。書いた文章に自分でタグをつけていくのだ。それでも面倒だと思ったことはなかった。だって、表現が出来るのだから。

東大のパソコンは本当に使いづらくて、今でも腹が立つくらいなのだが、それでも学校で文章が書けるのは本当に嬉しいことであった。

ある時、900番講堂の隣にあるパソコンルームから出たとき、外は通り雨が降っていたらしい。あのあたりは大雨が降ると、足首くらいまで水浸しになってしまうのだが、通り雨くらいはもちろん大丈夫だ。

雨が空気中の汚れをすべて地に落とし、透明になった空気を透過して、木々の隙間から黄色い光が差し込んでいた。それはまるで天使でも降りてきそうなほど美しい風景だった。

この風景を文章にするにはどうしたらいいのだろう。ぼくはずっと考え続けた。大学の時は全然書けなかった。何度挑戦しても書けなかった。でも、数々の戦いを勝ち抜いてきた今なら、上記のように軽々と表現することが出来る。え?ちょっと短いって?3倍に増やしてみよう。

900番講堂の隣のパソコンルームは、ぼくの場所であった。駒場キャンパスにおける最大にして唯一の憩いの場所であった。何十台もパソコンが並んでいたのでいつでも書き物をすることが出来たのだ。心が落ち込むことも多かった。孤独に潰されそうになる日ばかりであった。

そんな時、ぼくは文章を書くことにしていた。寂しいという言葉を口に出しても何も生まれない。しかし、自分の孤独を文章にしていると、未来への希望が湧いてくるのだ。こういう心の作用を「昇華」というらしい。ネガティブな感情を、ポジティブな希望へと転化するのだ。地を這う醜い獣である自分が、そんな自分の薄暗い感情が、軽やかに天へと昇っていく。

こんな快感はないし、こういった作業が人の役に立つことも後々わかってきた。

この日もパソコンルームで「昇華作業」を終わらせた。部屋に入るときは小雨が降っていたのだが、出る時にはすっかり止んだようだ。それどころか、雲が切れ、青空が覗いていた。

雨によって綺麗に洗い流された透明の空から、柔らかい黄色い光が落ちてきた。その光は、文章を書くことで透明になったぼくの心に優しく差し込んでいった。

なんて美しい風景だろう。なんて幸福な時間なのだろうか

この幸福は、この風景を見るだけでは味わえなかっただろう。自分の中にあるフラストレーションを、文章にしたことにって辿り着けた世界なのだ。もちろん、単に書くだけでは駄目だ。恨みつらみを書いたところで負の心情が強化されるだけだ。

まだプロになることなんて想像もしていなかったけど、ぼくは書き物を続けて行こうと思った。自分のような凡人が文章によってお金を稼げるようになるわけがない。でも、ぼくは文章を書いていこう。

だから、その日から「物書き」と名乗るようになった。もちろん人には馬鹿にされた。だって、作品を出していないのだから。作品を出していないのに物書きを名乗るなとわざわざ言ってくる人もいた。

もちろん、何の成果もなかった。せっかちな人からしたら自意識過剰なグズに見えたことだろう。

でもぼくは、あの日確かに、生まれたのだ。

物書きとしての自分を省みると、いつもあの光景を思いだす。透明な心と柔らかい光。ライターは稼げるとか稼げないとか、そういうことじゃないんだよ。もちろん、稼げないと生きていけないし、喰わせてあげられないと後進もついてこない。だから大切なことなのは間違いない。

でも、本当に大切なことは、心の中にある。

文章はもっとも容易に、もっとも直接的に、自分の心を描くことが出来る表現方法だ。文章だから出来ることはあるし、文章を書いているからこそ得られる幸福な人生はある。

もし明日死ぬとしたら何をする?

いつも即答している。
ぼくは文章を書くだろう。明日死ぬ人間だからこそ書ける文章があるはずだ。損とか得とかじゃないんだよ。文章を書きたいから書くんだよ。

蛇足ながら。
大学受験について書いた長い記事があって、それをずっと公開していた。誤字脱字だらけの読みづらい文章であったはずなのだが、それを読んだ見知らぬ受験生が、コメントをくれた。

この文章に出会えたおかげで頑張ることが出来て、慶応大学に受かりましたって。

ぼくの文章は人に影響を与える事が出来たらしい。ただの自己満足ではないのだ。文章には世界を変える力がある。

ぼくの文章は誰かに影響を与えることが出来る。人生を良い方向に進ませることが出来る。

ぼくは文章を書こう。書いていこう。

その後、人の心を学ぶために文学に進むものの、文学的なアプローチに限界を感じた。自然科学の手法やを学び、自然を愛する心を強化するために、海洋生物の研究を始めた。ネタになるからという理由で自衛隊も受けたことがある。最終面接で落ちてしまったのだが。

思えば不純な動機だったのだろう。
ぼくは文章を書きたいだけだったのだから。

これからも書いていく。
たった一人になっても書いていく。
この道は修羅の道だ。
褒められたいとか、認められたいみたいな動機で続けて行くことは出来ない。

ちょっと成功したことで満足して消えていった人をOWL magazineを始めてから何度も見てきた。いや、ライター業を始めてから何度も見てきた。みんな自分で天井を決める。自分でペットボトルの中にぬるりと入って、ボトルネックが狭くて出られないと訴える。

表現を続けるのは修羅の道。
苦しいことばかり。悲しいことばかり。つらいことばかり。お金も損する一方だ。

それでも旅を続けようと思うなら、是非一緒に行こう。

ぼくももうすぐ40歳。
50歳までにもう一つ大きな山を登りたいと思う。山頂から下界を見下ろすとき、ぼくは一人だろうか。それとも仲間と一緒だろうか。

どちらでもいい。ぼくは登る。共に登る気がある者には手を差し伸べる。準備が出来てない者には下山を勧める。それだけだ。


おまえはどんな人間なんだ?

何のために表現をしているんだ?

何がしたくて何がしたくないんだ?

何のために生きているんだ?

おまえが表現をすることで世界はどんな得をするんだ?


考えよ。

考えて考えて考えよ。

そして走れ。

イビチャオシムのサッカーと一緒だ。

考えよ、そして走れ。

考えずに走ることも許される、走らずに考えることも許されない。

戦う気概のないものは退場すればいい。

もちろんこれはプロ志望の人の話だ。チームには色んな人が必要だ。ただ、書き手として何かを成し遂げたいと思うなら、覚悟を決めるしかない。


それは「諦め」というほうがいいのかもしれない。

書きたい。表現したい。それによって大きくなりたい。そんな願望を持ってしまったならば、修羅の道を歩む資格はある。

後は、どんなことが起こっても、戦い続けるだけだ。


ぼくの旅はまだまだ終わらない。従ってOWL magazineの旅もまだ終わらない。読者の皆様のおかげさまで財政破綻をしないで済んでいる。3年目も挑戦することが出来る。

3年目はタクシーの仕事も慣れたし、サッカー以外の表現も出来る場が増えてくるだろう。


やろうと思って出来ないことなんかない。出来ないのはやる前に諦めているからだ。

俺にはまだ夢がある。

俺は夢を諦めない。

だから、夢を語る資格がある。

人の夢を育てる資格もあるはずだ。


2021年もOWL magazineと共に。
様々な施策を用意しているので、新年早々に発表するつもりだ。

OWL magazineは人の夢を育てる装置だ。だから、何も優しく、何よりも厳しくないといけない。

嫌われることを恐れず、孤独になることも恐れず、たった一人になろうとも歩み続ける覚悟と共に。

もっとも一人になったらOWL magazineは運営できないので、そのへんのさじ加減が40歳の年の課題だ。随分と年を取ったらしい。40歳らしい課題になってきた。

というわけで2021年も……

よろしくお願いします!!!

2020年12月31日
OWL magazine代表
中村慎太郎

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