声を届ける

コミュニティFMでラジオパーソナリティのおしごとをいただくようになって、今月でちょうど一年が経った。最初はトーク番組だけだったけど、今ではそれとあわせて一人きりでもう一本、番組を持っている。トーク番組ではサブ的な役割として(バラエティ番組や朝のニュース番組の女性アナウンサーのような)、天気予報を読んだり、スポンサーからの告知を読んだりしないといけないので、メリハリに気をつける。それからいまだにあまり得意ではないのが、行間を読むこと。メインのパーソナリティがいて、時折ゲストがいて、わたしはその行間を読む。これが難しい。この先も当分、慣れそうにない。反面、気が楽でいいのが一人きりの番組。最初の頃は、台本通り(タイムテーブルとでもいうような)に時間を縮めたり伸ばしたりを、トークで調整するのに苦労した。事前に考えていたことを話しきってしまい、あわや放送事故(8秒無音)になりそうだったこともある。でも今は何も考えていなくても、口を開けば、マイクを前にすれば、ペラペラと言葉が出てきてしまう。この点は自分でも少し驚いている。一人で話すことに、向いているのかもしれない。ラジオを聴くことが好きで、気づけば話す側になっていて。パーソナリティの一年を通して、これまでわたしはわたしのために話していたように思う。純粋に楽しくて、好きで、わたしが発する声の先のことなんて考えたこともなかった。(誰が聞いているのだろう。誰も聞いちゃいないのでは。)そんな感じ。でも今は違っていて、ちょうど一年という節目の時期に、わたしは明らかに誰かに声を届けたくなっていた。それは東京砂漠で戦い続けているひとへであったりとか、数十年ぶりに恋をしているひとへであったりとか、離れていても心通じているひとへであったりとか、もちろん聴いてくださっているリスナーの皆さんも含めて。すぐには会えない遠くで、もがきながら日々を生きている誰かに、この声を続けたいと思った。別にわたしの放送を聴いてほしいわけではなく、聴かなくとも、声は、届くと思った。わたしはわたしの声を届けたい。この声で、遠くの誰かと繋がりたい。(大丈夫だよ。)と見えない誰かにエールを送りたい。寄り添っていたい。そんなふうに今は思う。だから、ふとだれかと繋がりたくなったとき、一人きりで漠然と寂しさを感じたときには、ラジオを聴いてほしい。会ったこともない知らない誰かの、だけど確かに聴こえてくるその声の温かさにほだされてほしい。

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