美しく呪われた人たち

作品社から今春に出た新刊、F・スコット・フィッツジェラルド著「美しく呪われた人たち」を読み終えた。翻訳は上岡伸雄さん。言葉にできないほど美しかった。刹那的に生き、破滅へ向かっていく二人。その転落ぶりさえも美しい。こんなに美しい小説をかつて読んだことがあっただろうか。と振り返ったらあった。悲しくて、儚くて、美しくて、その先にある破滅。かつて、この人となら心中できる。喜んでする。と強く恋い焦がれていた相手(痛いけど今もかもしれない。しれない。)、太宰治。図らずも桜桃忌目前。ただ、わたしは昨年だか一昨年だかに太宰治を卒業していて、それは友人に以前「本当に心から好きな作家はいつか卒業する時がくるよ。」と言われたことがきっかけになっているんだけど、だからわたしにとって太宰はex-boyfriendというか勝手にそんな存在として大切にしていて、そして今、フィッツジェラルドが絢爛たる豪奢さでわたしの前に突如現れた。意識しているわけではないけど今年は割と海外小説を読んでいて、今までの読書比率で、海外小説が国内小説を上回った年はないから、もしかすると今年初めてそうなるかもしれない。わたしは今、フィッツジェラルドに心をさらわれています!!!この本を手に取ったのは本当に偶然で、図書館でかれこれ1ヶ月予約待ちしていた「82年生まれ、キム・ジヨン」を受け取りに行ったからで、ふと受付付近の新入荷コーナーに目をやるとすんばらしい居ずまいでピカーン!と一冊の本が光りを放っていて、抜き出した本の表紙はフィッツジェラルドとゼルダの写真で、強烈な光源はその写真から放たれていたわけで、そして気がついたら借りていた。どうしてフィッツジェラルドとゼルダはあんなにも美しいのか。あまり貧相な言葉で片付けたくないけど、これは傑作です。すべてが、いい。もう一度初めから読もうかとも思ったけど、それはこの本を買ってからにしようと思って、だから次に読むべきものが見当たらない。けど、言葉を探してしまうからイ・ミンギョン著「私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない」を読んだ。読んで、救われて、少し強くなった気持ちで飲みに出かけたら、(世の中はなんて不条理だらけなんだ。)と落ち込んで、帰っておいおい泣いた。子どもみたいにたくさん泣いた。このままゼルダのように囲いの中でしか生きていけないのかと思うと、とても悲しくなって、やりきれなくなって、泣いた。囲いの中での幸せを模索することが最善とされる人生なんて、とても寂しいことだと思う。

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