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男らしさと女らしさ:それだけなのか?

「泣くな男だろ」、「男なら我慢しろ」、「男ならこういう時興奮して当たり前」

「女のくせに口答えするな」、「女ならもっと優しくしろ」、「女ならこういう時感じて当たり前」

私は男性が泣いてもいいと思うし、男性が我慢をしなくてもいいと思う。男性が、興奮出来ない時があってもいいと思う。

同じくらい、私は、女性が空気を読まずに発言をしてもいいし、女性がぶっきら棒でもいいと思う。女性が、気持ち良くなければ感じる必要もないと思う。

性別は男と女だけではないように、「私」や「あなた」や「あの人」は、男や女というカテゴリーだけではくくれない。

私が年配の男性にキレられた時

社会人2、3年目くらいまでは、どんなに職場でミスをしても怒られたことはない。苦い顔をしつつも、「仕方がないよ、俺が何とかする」と上司の男性に言って頂いた。それは本当に申し訳なく思っているし、今でも感謝している。

だが、同期の男性社員たちが同じミスをしたら、上司の男性に物凄い勢いで怒られていた。

私は男性同期と同じジョブディスクリプションで入社していたので、私の責任が軽いという訳ではない。だが、「叱られる」のは、いつも男性の同期たちで、女性社員は、私以外でも「叱られる」ことはなかった。

頻繁に飲みにも誘われた。男性の同期社員ではなく、女性社員の私たちに御酌されることを、上司たちは喜んだ。取引先に行く時も、大きな案件を上手く運びたい時、関係を深く結びたい時、私たち女性の若年社員を連れていった。私は行く度に、仕事の話ではなく、「新しく入った女性社員のHatokaさん」として、話題になった。

悪いことではないと思う。上司も善意で私が早く慣れるように取り計らってくれたのだと思う。

社会人4、5年目くらいから、仕事が分かるようになり、自分一人でも回せるようになる。ミスもしなくなる。仕事が楽しくなってくると、上司の目線や、その上の目線、そして、経営目線を意識して、対外的にも仕事をするようになる。

会社の戦略や業界の立ち位置、経営が何を考えているのかを自分の頭で考えて、パズルを埋めるように、理解を深めていく。「はい」となんでも教えて貰っている立場から、「こういうこともできるかもしれない」と考えて、提案するようになる。提案が受け入れられて、採用される。予算が取れる。顧客を獲得する。仕事が楽しくなる。良いサイクルだった。

このくらいの時に、男性上司の機嫌が悪くなるようになった。

ある日、「いや、それは時期尚早すぎるから辞めよう」と私の上司に提案を断られた。私は、空気を読んだ。上司はあまり外交的な人ではなく、経営や顧客に「自分から」提案することが憚られたのだと思う。私が「承知しました。説明が必要な時に御声掛け下さい」と言い、黙っていると、隣に座っていた、上司より位が上の別の部署の男性が「え?何で辞めるの?いいアイディアだからすぐやった方がいい」と言ってくれた。

上司を見ると、眉間に皺を寄せていた。私は咄嗟に上司はやりたくないのだ、ということを察知して、「〇〇さん(上司)には迷惑かけないように、私が指揮してやります」と言った。

すると、上司は思い切り机をたたいて「別に僕が出来ないわけではない!」と切れた。

これは初めてのことだったが、この上司に限らず、私が事業をアイディアにしてイニシアティブをとろうとしたとき、こうした「怒り」を「男性」にぶつけられることが多々あった。

I am not here to make you feel like a man

この後、上司に呼び出されて謝罪された。おそらく同席していた、上司よりも位の高い人に諭されたのだと思う。翌日、その上司より位の高い人より、「昨日はHatokaさん全然悪くないから。あれはおかしい。僕からも注意しておいたから」と言って下さった。

だが、既述の通り、私はこうした「怒り」を様々な場所で男性からぶつけられたことが多々ある。

因みに、丁寧に振り返ってみても、上記の例のように、私が「悪口」や「出しゃばり」や「ミス」をして、その結果「怒り」を買ったのではなく、私が、自分で考えて、会社の利益・顧客の利益のために相談したとき、より年配の男性社員に「理解」を頂けないが故に、若しくは、「理解して頂けた」第三者の前で、私に怒りをぶつけられたことが良くある。

それは「叱り」ではなく、「怒り」だ。私は、良く理不尽さを感じた。何故なら、私は早口で罵ったり、説明を疎かにしたりしておらず、「プライドを傷つけないように」丁寧に、前広に「ご進講(事前説明)」していたからだ。

男性の多い組織で働く中で、私はこの「プライド介護」のスキルを一番身につけたと思う。いかに男性を持ち上げて、「すごい」と思わせてあげて、メンツを潰さないようにするか。しかも自然に。

こうして私が受けてきた「怒り」を振り返ると、彼らは必死に「男性らしさ」を守っていたんだと思う。年下の「男性」に対しては、私に示したような「怒り」を私は見たことがない。

男性たちより年下の女性である私。その私と比べ、提案ができない、説明ができない、顧客が取れない、予算が取れない、ということを地点に、私に怒りを向けていることを、うすうすと知った。

最初は、本当に傷ついたし、理不尽さも覚えた。多くの年上の男性からつい最近まで、私はこうした理不尽な「怒りプライド」のサンドバックになっていた。

時には、飲み会の時に、こういう方たちに「何でHatokaさん結婚しないの?」とか、「結婚できないか、仕事優秀だからね」と言われた。私が長い間、したくもないのに、結婚しないと女性としてヤバいと思っていたのは、こうした経験もあると思う。

そして何を隠そう、私は無意識のうちに、年上の男性たちに対して「女の子」としての自分の役割を、常に忘れてはいけないと思っていたのだと思う。「プライドを傷つけてはいけない」、「癒しにならなければいけない」、「出しゃばってはいけない」。年齢的にも、キャリアとしてもとっくに「女の子」ではないのに。

私が会社と契約したのは、「仕事をして会社に利益貢献する」ためであって、男性に対して、男性であることを思いおこさせてあげるため、気持ち良く思わせてあげるためではない。

男でも女でもなく:私やあなたになること

大学生の時に付き合っていた人に、「エッチなビデオ見るんでしょ?」と何気なく聞いたことがある。

その時、その彼はとても怒った。「男だからって皆見るわけじゃない。一般化しないでほしい」と。

私はこの時に、とても驚いたのを覚えている。何故なら、私の当時の乏しい知識では、男性は須らく、ポルノが好きで絶対見ていると思っていたからだ。*勿論、あれが果てしないフィクションだけであることを知っていれば、好きで見ることは何の問題もないと思う。

でも、私が「女性は皆、結婚したいと思っている」と会社の男性に言われて嫌だったように、女性であっても、結婚が絶対したいわけではない人もいる。

同じように、女性だから子供が産みたい、産まなければいけない、と思う必要はないと思う。男性だから、常に女に興味を持ちたい、女と関係をもたなければいけない、と思う必要もないと思う。

何故なら、私は性別上「女」とパスポートや運転免許証に書かれているが、私のセクシュアリティやアイデンティティは、「女」だけでは説明が出来ない。

私は、女だが、女子会や群れることが苦手だ。噂話が苦手だ。親父ギャグと呼ばれるものが好きだ。専業主婦よりも働きたいと思う。アニヲタだ。面倒なママ友と付き合うくらいなら、子供がいなくて私は良いと思う。女性雑誌より、経済雑誌を読みたい。パンケーキより焼肉食べ放題が好きだ。婚活より終活に興味がある。男性に頼る(養ってもらう)より、自分で自分を頼りたい(養いたい)。男性のプライド介護をするくらいなら、一生独身でいい。

そして、同じくらい、葛藤している男性に惹かれるし、お化粧も好きだし、料理も好きだ。

以前記事で、浮気と不倫について書いた。

男性や女性が「別の自分」になりたくて、浮気や不倫をする時、「男であろうとして」浮気をしたり、「女であろうとして」不倫をする人もいると思う。

何故なら、「男」と「女」である自分は、パスポートや免許証に記載される程、一番分かり易い「自分のアイデンティティ」だからだ。

「別の女としての私」「別の男としての俺」に瞬時に生まれ変わることができるのが、浮気や不倫だと思う。

特に「英雄色を好む」という言葉に代表されるように、不倫や浮気は、最も「男性らしい」ことを再確認できる手っ取り早い行為だと思う。

だが、男らしさも、女らしさも、あなたや私やあの人を形作らない。

あなたが悲しい時、大声で泣くときに、初めてあなたらしいのだと思う。私が、これは違うと思って、口答えする時に、初めて私は私らしいのだと思う。

Good Riddance (Time of your life) Green Day (*訳by Hatoka Nezumi)

It's something unpredictable but in the end it's right. I hope you had a time of your life. (予測することは難しいけどきっと最後には正しいって言えるはずだ。君が君の人生を送れることを願っている)



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