あえて、言語化しない
「この現象、気持ちを言語化したい」
「言葉できちんと、はっきり伝えたい」
と、よく思う。
特に仕事で。めざす目的に向けて迷わないように、微妙なニュアンスもできれば言葉にしたい。うまく言語化できないことのほうが多いから、諦めずに丁寧に伝える。必要に応じて、根気よく言語化する努力を重ねていくだけだ。
その一方で「表現したくない」「はっきりさせたくない」と思うこともある。仕事以外で、だけど。
でも、それでいいかなって思える自分もいる。
曖昧なものは、曖昧なままでもいい。
言葉にならない気持ちは、無理に言葉にしなくてもいい。
曖昧で、言葉にならない何か。
波打ったグラデーションのような、かたちのない何か。
その輪郭も境目も、いまはよくわからない。
ゆらゆら、ふわふわ。
ただ、そこに漂っているだけ。
漂っているなぁ、何かが発生しているなぁ、
と、ただそれを静かに感じるだけ。
それ以上、何もしないし、できない。
曖昧なままの状態が、心地よいときもある。
無理に消したり、壊したり、なかったことにしなくてもいい。
制限せず、自由に泳がせてみる。
どこに向かうのかな?
その先に何があるのかな?
ちょっと観察してみる。
(飽きたらやめて、忘れるだけ)
その先に何かあるかもしれないし、何もないかもしれない。
大切な気づきや、きっかけ、解決の糸口になるかもしれない。
それが見えてきたとき、
言葉にしたくなったらすればいい。
誰かに伝えたくなったら伝えればいい。
いまは、そのときじゃないのかも。
だから、いまははっきりさせない。
言語化できない、というよりもしたくない。
あえて、言語化しない。
それでいいよ。
たまにはこういう感覚を、大切にしてもいいよね。
「名もなき何か」を言語化しないことを、許してもいいんだよ。
あなたの感覚は、あなただけのもの。
あなただけの世界観を、大切にしてね。
◇
記事公開後、暴君に「ネガティヴ・ケイパビリティ」という概念を教えてもらいました。
上記記事より引用させていただきます。
わたしの「大切にしてもいいよね」という問いに、答えをいただいたように思いました。
不確実な状態を受けいれ、感じる。短絡的に輪郭をつくらない、答えをださない。ある意味、人間の本能に反する営為だが、これは諦めではない。「わからない」状態の先に、深く発展的な理解が得られると信じ、希望を見いだす態度だ。
たとえまわりが答えを急ごうとも、長期的思考をもち「名もなき何か」をじっくりゆっくり醸成させる。これもひとつの能力だと捉え、大切にしたいと思います。
ありがとう、暴君。
◇
このnoteを書いているとき、STAN「SEA SIDE SEX」のイントロのギターが頭のなかで鳴ってた。
ゆらめくサウンドスケープ。何かがはじまる予感がする、ゆっくりと。
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