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あえて、言語化しない

「この現象、気持ちを言語化したい」
「言葉できちんと、はっきり伝えたい」

と、よく思う。

特に仕事で。めざす目的に向けて迷わないように、微妙なニュアンスもできれば言葉にしたい。うまく言語化できないことのほうが多いから、諦めずに丁寧に伝える。必要に応じて、根気よく言語化する努力を重ねていくだけだ。

その一方で「表現したくない」「はっきりさせたくない」と思うこともある。仕事以外で、だけど。

でも、それでいいかなって思える自分もいる。

曖昧なものは、曖昧なままでもいい
言葉にならない気持ちは、無理に言葉にしなくてもいい。

曖昧で、言葉にならない何か。
波打ったグラデーションのような、かたちのない何か。
その輪郭も境目も、いまはよくわからない。

ゆらゆら、ふわふわ。
ただ、そこに漂っているだけ。
漂っているなぁ、何かが発生しているなぁ、
と、ただそれを静かに感じるだけ。

それ以上、何もしないし、できない。
曖昧なままの状態が、心地よいときもある。

無理に消したり、壊したり、なかったことにしなくてもいい。

制限せず、自由に泳がせてみる。

どこに向かうのかな?
その先に何があるのかな?

ちょっと観察してみる。
(飽きたらやめて、忘れるだけ)

その先に何かあるかもしれないし、何もないかもしれない。
大切な気づきや、きっかけ、解決の糸口になるかもしれない。

それが見えてきたとき、
言葉にしたくなったらすればいい。
誰かに伝えたくなったら伝えればいい。


いまは、そのときじゃないのかも。

だから、いまははっきりさせない。
言語化できない、というよりもしたくない。

あえて、言語化しない。
それでいいよ。

たまにはこういう感覚を、大切にしてもいいよね。

「名もなき何か」を言語化しないことを、許してもいいんだよ。

あなたの感覚は、あなただけのもの。
あなただけの世界観を、大切にしてね。



記事公開後、暴君に「ネガティヴ・ケイパビリティ」という概念を教えてもらいました。

上記記事より引用させていただきます。

ネガティヴ・ケイパビリティとは、「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑のなかにいられる能力」あるいは「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のことを指します。

わたしの「大切にしてもいいよね」という問いに、答えをいただいたように思いました。

不確実な状態を受けいれ、感じる。短絡的に輪郭をつくらない、答えをださない。ある意味、人間の本能に反する営為だが、これは諦めではない。「わからない」状態の先に、深く発展的な理解が得られると信じ、希望を見いだす態度だ。

たとえまわりが答えを急ごうとも、長期的思考をもち「名もなき何か」をじっくりゆっくり醸成させる。これもひとつの能力だと捉え、大切にしたいと思います。

ありがとう、暴君。



このnoteを書いているとき、STAN「SEA SIDE SEX」のイントロのギターが頭のなかで鳴ってた。

ゆらめくサウンドスケープ。何かがはじまる予感がする、ゆっくりと。


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