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6%DOKIDOKIがわたしにくれたもの


6%DOKIDOKIを知ったのは中学1年生のことだった。
おぼろげな記憶だが、当時は原宿や青文字系ファッションが流行し始めた、くらいの時期だったか。

わたしは、奇抜な色や個性的なファッションが好きだった。
お堅いキリスト系の女子校だった為、制服や髪色の校則はとても厳しく、せめてこれだけは、とペンケースやポーチ、キーホルダーなどの持ち物には人一倍気合を入れていた。

6%DOKIDOKIを教えてくれたのは同級生の女の子だった。
彼女はお金持ちの家の子で、頭も良く物知り、髪の毛もさらさらで、周りの子たちよりもどこか大人びていて、わたしにとっては憧れの存在だった。
そんな彼女が、わたしの持ち物やこだわりを見て、「6%DOKIDOKIって知ってる?好きそうだよね。」と教えてくれたのだ。
わたしはそれが本当に嬉しくて、
憧れの彼女が、本当のわたしを見抜いてくれたんだ、と天にも昇る気持ちだった。


当時、「東京カワイイ★TV」という番組がNHKで放送されていて、わたしはそれを毎週食い入るように見ていた。
そこは、わたしの知らない世界で溢れていた。眩しいほどにキラキラしていて、わたしは原宿のカワイイカルチャーにますますのめり込んでいったのだ。


東京に行きたい!6%DOKIDOKIに行きたい!と思い立ったのは中学二年生の頃。
東京カワイイ★TVで6%DOKIDOKIの店舗が取り上げられてから、どうにかしてわたしもあの世界に触れてみたい、そう思った。
恥ずかしい話だが、東京初心者のわたしは一人で東京を歩く自信もなく、父母同伴のもと東京へ向かった。
東京で暮らしている父の旧友が原宿を案内してくれる約束だったので迷う心配はなかったが、驚いたのは父の旧友だった。
久々に会う友人の娘の髪色がピンクだったのだから無理もない。(もちろんウィッグだけれど。)


なんだかんだと、6%DOKIDOKIに到着した。いつもテレビの画面越しに見るピンクの建物がそこにたしかに存在していた。
竹下通りからは少しはずれた、いわゆる裏原という場所に位置する為そのピンクの建物のまわりはどこか静かで妙に緊張したのを覚えている。

思い切って足を踏み入れる。
おじさんとおばさんと中学二年生の組み合わせは少し異様に見えたかもしれないが、店員さん(ショップガール)は「いつも来てくれている」かのようにフレンドリーに、「いらっしゃ〜い」と声をかけてくれた。

いつもテレビで見ているやつだ!とわたしは思わず鼻息を荒くした。
6%DOKIDOKIは「いらっしゃいませ」とは言わないのだ。
その「いらっしゃ〜い」の言い方がなんとも言えず本当に可愛くて、まるで妖精さんがカラフルな花の中で開かれるお茶会へ招待してくれるかのような甘く優しい雰囲気で、わたしはこの非日常の空間に酔いしれた。


店内はありとあらゆる色彩のカワイイに溢れていて思わず目眩がした。
ひとつひとつ見ていたら日が暮れるのではないか?というほどに、どれもがちゃんと丁寧にカワイイのだ。
ときめきで人が死ねるとすれば、わたしはこの時14歳にして人生に幕を閉じていただろう。
穴が開くほど黙々とアイテムを見つめるわたしをよそに、話好きの両親は店員さんに「娘が好きでね、今日は仙台から来たんですよ。」と話していた。
店員さんはテレビで見る笑顔と寸分違わぬ優しい微笑みを浮かべていた。


悩みに悩んで、リボンのネックレスと、蝶々の指輪と、総柄のタイツ、そしてぱっちりとした目のイラストが描かれたピンクのトップスを購入した。購入したアイテムたちはわたしのお気に入りとなった。
トップスは洗濯してもまたすぐに着てしまうので、いつも洋服ダンスの上の方に仕舞われていた。

おまけでついてきたショップのポストカードには、ドール化された当時のショップガールがカラフルな画面に佇んでいて、思わず胸が高鳴った。その後何年もわたしの部屋の壁に飾られることとなった。


その後、東京旅行で購入したカワイイアイテムを惜しげもなく身に付けていると、興味を持ってくれる友達もいた。
わたしはそれがとても新鮮で、嬉しかった。

というのも、
小学6年生で仙台に引っ越してくるまで、もう少し田舎の方に住んでいたわたしは、周りの子たちにいじめ…というほどではないが、些細な意地悪をされることがあった。
自分で言うのも本当になんなのだが、おそらくあれは妬みの類だったのだと思う。
しかし言い返す強さもなかったわたしは、家に帰ってからよく母に泣きついていた。
小学生にして「出る杭は打たれる」「目立った服装をすると意地悪をされる」と悟っていた。

だからこそ、わたしのファッションを知り、好意的に話しかけてくれる存在がいることに驚いたのだ。

仲良くなったのはゴスロリが好きな女の子だった。
ゴスロリと原宿青文字系はファッションとしては別ジャンルになるのだが、ファッションが好きだという熱量はお互いに同じだった。
その子と、休日には派手な格好でとびきりのおしゃれをして仙台のアーケードを歩いた。
全身真っ黒なレース、フリルに身を包んだロングヘアの彼女と、金髪で大きなパニエを履いてカラフルな装いをしたわたしの組み合わせは当時の仙台のアーケードでは若干浮いていたが、道ゆく人の視線はもはや気にならなかった。

好きな服を着ていいんだ!
そう思えるようになったのは、
6%DOKIDOKIのカラフルなアイテムたちや、キラキラしたお店、華やかで優しくてかわいい店員さんたち、そして6%DOKIDOKI、原宿、ひいては日本のカワイイカルチャーを愛する人たちがたくさん存在していることをこの身で感じることができたからだ。


きっとこういう経験は誰にでもあって、何も特別なことではない。
わたしの場合、それがたまたま6%DOKIDOKIという存在だっただけだ。
しかしわたしは、それが6%DOKIDOKIで本当に良かったと心から思えるのだ。


ちなみにこの後もわたしは日本のカワイイカルチャーにどっぷりハマり続け、美大に進学し「日本のカワイイをひろめたい!」と豪語するのだが、教授に「それはもう他の人がやってるから君がやる必要はないよね?」と一蹴され、しばらく迷走するのは別の話である。



p.s.
コロナ禍の影響で、6%DOKIDOKIさんがクラウドファンディングで支援を募っていることを知り、本当に微力ながら少しでも力になれれば…と思い、応援させていただきました。


とても励みになります。たくさんたくさん文章を書き続けます。