死んだ推し忍の歳を数えろ/ニンジャスレイヤーの敵キャラの楽しみ方

ニンジャスレイヤーって作品の最高なところのひとつとして魅力的な敵ニンジャがアホかってくらい大量に出てくるところがあります。

それだけ大量に出てくると当然ながらあまり多くの紙幅を割くことはできません。大半の敵ニンジャは出てきたエピソードの中でそのまま死にます、主人公ニンジャスレイヤーの手にかかって。

ですがそれが悲しいかっていうとそうでもないです。いや悲しいときもないわけじゃないですけど、メタ的にはニンジャスレイヤーとの戦いって敵ニンジャにとっては一世一代の晴れ舞台ですからね。むしろ死んだ瞬間やその間際の奮闘でファンになることもしばしばです。死の間際こそキャラクターという芸術がもっとも鮮やかに燃焼するときなのでしょう。


で、これがポイントなのですが、輝いて、死んで、そのニンジャのことを好きになって、それで終わりかというとそうではありません。

むしろ、ことニンジャスレイヤーにおいて、いち推しのニンジャが死んでから後こそが、ファンとしての楽しみの本番であるとさえ言えると思います。

これはニンジャスレイヤーって作品の特徴から来ておりますので、以下その説明をしてみます。


まず、敵ニンジャの大半は悪の組織に属しているのですけど、ニンジャスレイヤーって作品は各部の主要な敵となるソウカイヤ・ザイバツ・アマクダリという悪の組織がどんなところで、そこに所属してる奴らがどんな気持ちで生きてるのかってことを描写するのに大きな労力を注いでいます。そして敵ニンジャはその中で、組織の一員・社会的な存在として位置づけられています。

また、巨大な悪の組織以外にも悪の組織内部の派閥や、悪の組織の外部の中小規模のニンジャのグループがたくさん描かれているのも作品の特徴です。

キャラクターがキャラクター単独ではなく、コミュニティの一員としてその関係性の中で描かれることはキャラクターの多様な魅力を引き出しますし、それに加えて死んだ推しニンジャがあとから言及される機会が増えます。

特に強力なニンジャであるほど、その後の戦いでそのニンジャが属していた敵組織における同僚や、あるいは敵組織との戦いの過程でニンジャスレイヤー自身が、死んだニンジャに後になってから言及されることがしばしばあり、これが読者にとっての不意打ち的な楽しみとなっているのです。


さらに言えば、死んだ推しニンジャが属していた組織が描かれることは、組織の一員としてのそのニンジャのキャラクター性が間接的に描かれることでもあると言えます。

ニンジャスレイヤーは狭義のミステリーではありませんが、時系列シャッフルで描かれるその物語は謎とその解明を作品の牽引力としてきました。

謎として提示されるのは、この作品はいったいいかなる物語だったのかという根本的な問いや、もっと具体的なシャッフルされた時系列の中で一体何が起きていたのかという事情です。そしてまた、徐々に明らかになっていく悪の巨大組織の全貌と秘密であり、その組織の中に属していたニンジャたちの位置づけでもあります。

そしてその謎を解くまでは、僕らは自分の推しニンジャが実際のとこ一体どんな奴だったのかを部分的にしか理解していなかったりするわけです、しばしば。

死んだニンジャの思い出を胸に物語を追いかけて、そして物語によって隠されていた謎めいた悪の組織の全貌が明らかになったとき、その中で生きてきた死んだニンジャの置かれていた状況・抱えていた事情もまた明らかになり、僕らはもう一度その死んだ推しニンジャと出会いなおすことになるのです。


付け加えますと、ニンジャスレイヤーは時系列シャッフルで描かれるため、時系列の古いエピソードが連載されて生前の推しニンジャが唐突に登場する可能性は常に存在しています。

また、ニンジャスレイヤーは物語外部のコンテンツとしてのキャラクターや組織の紹介記事の執筆や、翻訳チームや原作者への質問コーナーの開催が活発に行われているため、そこで推しニンジャの名前が挙がることも考えられます。


つまり我々は考え続けなければならないし備え続けなければならないのです。そしてニンジャスレイヤーという作品はそうする価値があるであろう、ということを自分の体験から申し上げます。以上!

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