第三部のキャラクターと都市について

第三部のキャラクターと都市について

hatikaduki

第四部はじまってしばらく経ちますが(ストームイナユノミとダメージドグッズすげえ面白かった)、第三部もまだまだ自分の中でかなりアツいので、与太を飛ばしてみます。


前提として第二部において、私立探偵タカギ・ガンドーと凶悪死刑囚デスドレインが都市の生命力の善と悪のそれぞれの側面を代表しており、彼らのキョート最下層コフーン遺跡からキョート城天守閣にいたるまでの階層間移動が第二部のプロットの最重要部分であった、と自分は考えています。それをちょっと飲み込んでやってください。


んでそれを前提として第三部、とくにその最終章ニンジャスレイヤー:ネヴァーダイズにおいても、都市のさまざまな側面が多数のキャラクターに代表されてあらわれているように思われます。

まずガンドーさんのように都市の生命力の善の側面を背負っていたキャラクターが誰かっていうとレッドハッグ姐さんだと思うんですよ。レッドハッグは世界設定の根幹には関わらない立場から物語に参加し、ちょっとした善意を示し続けてきたキャラクターでした。こわもてのアウトローですけどカタオキ並にいいひとですよねレッドハッグ。

とくに傑作回ザ・ドランクン・アンド・ストレイドにおいてフジキドの相棒を務めていたことが強く印象に残ります。あの話は、サラリマンが精神をすり減らしたりペケロッパが死んだりするのをゲラゲラ笑って面白がるのとも、あるいはほそぼそと生き残っているモデスティな美徳を慈しむのとも違う形で、ネオサイタマを魅力的な場所、好きになれる街として描いていた極めて希なエピソードでした。

自分がネオサイタマにちょっとでも良いところがあると信じられるのはドランクンがあるからです。そしてドランクンに登場していたレッドハッグが、マルノウチ抗争の慰霊碑前での市民の暴動とそれを援護したローニン・リーグを守り寄りそっていた事は、必ず善と信じるには危うい存在である暴動と反体制組織が少なくともいまは善きものとしてあるのだと受け入れさせてくれる根拠になっていたのではないでしょうか。


一方で第二部ではデスドレインが担っていたような都市の生命力の悪の側面を背負っているのが第三部では誰かっていうと、これはヘンチマンなんじゃないかと思います。

ヘンチマンが振るうことのできる力はデスドレインよりずっと小さいですが、都市に溜まる汚泥をすすって生きる怪人であることは共通していると思います。一見わかりやすいクズ系の悪党に見えて、異常に情報通なところや、デッドフェニックス・ヤクザ・クランが全滅しても自分だけ逃げ延びるところなど、小悪党ながらその闇の濃さは底しれないものがありました。そしてそのヘンチマンを配下に加え得たことは、ラオモト・チバが帝王の器であることを保証するものであったと思います。

チバに関して付け加えるとヴァニティの投降を受け入れたところもポイントだと思います。ゼアイズ~ロンゲストまわりのvsアクシスの十二人編は、ネオサイタマ社会と一体化した邪悪との戦いという点に特徴がありました。十二人の一角ジャスティスと親密な付き合いがあり、自身もアマクダリの法務担当として活躍していたヴァニティは、社会と一体化した邪悪・殺すことのできぬエイトヘッズドラゴンとしてのアマクダリの系譜にある人物だと思います。

都市の悪の側面を象徴するヘンチマンと、社会と一体化した邪悪としてのアマクダリの後継であるヴァニティを押さえたことで、チバは次代の裏社会の帝王として自立することが出来たのではないでしょうか。


ついで挙げたいのが都市の悪魔フィルギア。長い時を生き、はるか昔に家族をなくし、仲の良いシマナガシの連中のなかでも追随者として独特の立ち位置で振舞うフィルギアは、誰にとっても他人であるんですが、そーゆーやつらが流れ込んで出来上がってるのが都市というものでもあります。

そんなフィルギアの最後の登場シーンは、予想を超えた規模で流れ込んできたネオサイタマ市民がハイデッカーに殺到するのを目にしてなんか楽しくなってきちゃってるあいつの姿でした。

そしてそこには忍殺Tシャツを被った市民の姿もありました。忍殺Tシャツ回リボルヴァー・アンド・ヌンチャクジェイク絡みのカオス回に連なるヤバレカバレな人間のエネルギーが描かれたエピソードの系譜にある話だと思いますが、その流れの第三部における終着点がとりあえずあそこだったのだと思います。

そしてまた、フィルギアの最後の登場シーンとなった暴動の描写の末尾に描かれたのは、太古の昔の土地の記憶としてのぶつかり合うニンジャめいた影たちでした。

容易に制御し難く、善とも悪ともつかない活力の流入しやすい地理的条件にある場所としての都市の描きがそこにはあったのではないだろうかと思うのですが、皆さんはどうお考えになりますでしょうか?


さて、物語の主人公であるニンジャスレイヤーもまた、都市のイメージを背負った存在であったと思います。

そもそもニンジャスレイヤーに宿るナラク・ニンジャの力の源はギンカク・テンプルに集まった虐げられた無数のモータルの魂です。

さてまた、第二部において、ニンジャスレイヤーは都市の生命力の善悪両側面であるガンドーとデスドレインをさらに代表してロード・オブ・ザイバツを打倒しました。第三部の最終決戦においてもニンジャスレイヤーはガンドーとデスドレインの力を遠くヴァレイ・オブ・センジンの戦場より引き寄せて使っており、第三部においてもニンジャスレイヤーは都市の生命力を代表し象徴する存在として扱われていたと思います。

そしてそれを迎え撃ったアガメムノンもまた、電力という都市の生命力を振るう存在であったところが面白い点でありますね。

そのニンジャスレイヤーとアガメムノンとの戦いを目撃していたのがコヨイ・シノノメでした。彼女はとくに第一部においてニンジャの暴虐の犠牲となったモータルを代表する存在であったフユコのリフレインであり、ネオサイタマの未来を巡るニンジャスレイヤーとアガメムノンとの戦いは、同時にコヨイを失ったフジキド・ケンジとシバタ・ソウジロウというふたりの男の因縁の対決でもありました。その存在をめぐって争われる対象として、コヨイもまたネオサイタマという都市とそこに生きる市民を背負った存在であったと思います。

しかしながら、フジキドとアガメムノンとの決戦においては、彼らの個人的な因縁がクローズアップされることはありませんでした。描かれたのは流星と化して戦うフジキドとアガメムノンのスペクタクル光景を地上で見て微かに笑うコヨイの姿でした。このようなフジキドの戦いとネオサイタマという都市との微妙な距離感のあり方は、序盤の名作エピソードであるフー・キルド・ニンジャスレイヤー?サツバツ・ナイト・バイ・ナイト等にもあらわれており、第三部の特徴であったと思います。

フジキドもまた、都市の生命力の象徴であったナラクを最終的に失うことになります。ニンジャスレイヤーは都市の生命力を象徴する存在でありうるけれどフジキド・ケンジ自身はそうではなく、だからこそ都市の有り様に対してフジキドがどう関わっていくか、どう関わっていくと決めるかが第三部における最も重要な部分でありました。


さて、最後に触れたいのがエーリアス・ディクタスです。

アマクダリは過去ばかりみて馬鹿げた夢を膨らませた連中でしたけれど、フジキドやニチョームの人々がたっとんでいる美徳も時代遅れな代物ではありますし、第三部が最終的にたどり着いた光景であるオーボン・フェスもまた、マッポーの時代を前につかのま共有された一夜の優しい幻に過ぎないとは言えます。ネヴァーダイズはともに時代遅れの夢と幻が都市の未来を巡って激突した話でした。

また、バスター・テツオが関わっているローニン・リーグの発足、ハッタリだけでニンジャを撃退したTシャツ回など、ネヴァーダイズの前段となっている第三部終盤のエピソードのいくつかにも、ネヴァーダイズと共通したある種の空虚さが存在していると思います。

第三部はロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリを筆頭として、ネオサイタマという都市におけるいまこの時代を描くことが大きなテーマとなっていたと思いますが、時間軸上の因果と空間軸上の事情が交わったところにあるいまこの時代、無数の他人が集まって出来た都市というもの、そしてそこに生きている奴らが浮かべた時代遅れの夢や幻、そうした儚いものすべてをひっくるめて肯定し祝福しているのが、エーリアスなのではないでしょうか。

エーリアスなんてやつはほんとうはどこにもいなくて、見かけ上でだけ成立している存在に過ぎないんですが、だから意味や価値がないかって言えば断固としてそんなわけないですからね。


以上です。自分としてはそんなふうに思われました。あまり信用しないでくださいね!

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