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今日も静岡茶屋でお待ちしています vol.5 瀬戸谷のめぐみ茶

「ナビの指示通りなんだけどな」

 萌は、車のハンドルを握りながら、不安に襲われた。目的地は、藤枝市山間部の瀬戸ノ谷地区の茶畑だ。しかし、インターを降りてから、車はもう数十分も曲がりくねった細い山道を走り続けている。

 薫に借りたノートの藤枝のページには、つぎのような説明があった。

静岡県藤枝市瀬戸ノ谷は、山間で古くから茶の栽培がおこなわれてきた地域。江戸時代中期に茶の栽培がされていた記録が残る。1970 年後半から、杵塚敏明氏が中心となって発足した「人と自然をつなぐ会」が無農薬無化学肥料で茶を栽培する。独自の販売ルートを開拓。新規就農者の育成にも力を入れている。

 ジャングルのような山道を通り抜け、ようやく目的地に到着すると、道路の脇に立って背の高い男性が手を振っている。薫だ。約束の時間を少し過ぎてしまっていた。
「おはようございます。遅くなってすみません。慣れない山道で……」
「山道? あ、それは、きっと道を間違えましたね」
 瀬戸ノ谷は、山道を使わなくても、藤枝の市街地から瀬戸川に沿って走る県道32号を北上すればよいのだという。車から降りた萌は、ミラーに挟まった木の枝を抜き、激しくこすったバンパーをさすった。ボーナスが修理代に消えるな……。薫に気がつかれないように小さくため息をついた。
「それなら、同じ車で来ればよかったですね」
 薫は屈託なく笑った。そうですよ、そうですよ、ずっとその言葉を待っていたんですよ。萌は、咽喉まで出かかった言葉を呑み込みんだ。
「いえ、わたしが方向音痴なのと、ナビを疑わなかったことが悪いんです」
 店の外で薫に会える機会に恵まれたのだ。車のバンパーのひとつやふたつ、問題ではない。

「こんにちは!」
 背後から女性の声がした。振り返ると女性が立っていた。
「瀬戸谷のめぐみ茶園のめぐみさんです」
 萌は、めぐみと挨拶を交わした。
「めぐみさんは、『人と自然をつなぐ会』の杵塚さんのところで修業されて、3年前からご自分の茶園でお茶を栽培されています」
 『人と自然をつなぐ会』。萌は、ノートに記載してあった有機茶を栽培するグループの名前を思い出した。
「めぐみさんは神奈川県から、軽トラを買って、単身、静岡に引っ越してきちゃった、パワフルな人なんです」
 薫の言葉を引きうけるように、めぐみは、話しはじめた。目の前の茶畑には萌黄色の茶畑が広がる。

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「東京のフェアトレード関連の会社に勤めていましたが、東日本大震災後に、山口県の農業法人に転職しました。そこで迎えたお茶の季節に、黄緑色の新芽がさざ波のようにきらきら輝いている茶畑に出会いました。それがあまりにも美しくて。すごくエネルギーを感じたんです」

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 萌は、めぐみの目線の先に広がる茶畑をみた。広々とした青空の下、急な斜面に植えられた茶の木は、かまぼこ状に緩やかなカーブを描く。どの木も、大地にりっぱな根を張り、たくましい枝から萌黄色の若葉を繁らせている。風が、若葉を揺らす。揺らされた若葉は、太陽の光の中で輝いている。冬にエネルギーをため込み、春先に暖かくなるのを待ってようやく伸びはじめた命の塊。めぐみの言葉どおり、萌の目にも、地球のエネルギーが放出しているようにみえた。

「それからです。春になると、茶畑にいなくちゃって思うようになりました」
「それで静岡にこられたんですか?」
「はい。自分でお茶を作りたかったのです。それも作るなら、無農薬のお茶でないと意味がないと考えていました。無農薬でお茶を作っている農家さんを探しているとき、ご紹介いただいたのが杵塚さんだったのです。杵塚さんはご自分で工場を持ち、販売ルートも確立しています。杵塚さんと繋がりながらであれば、やっていけるんじゃないかと思ったんです」

「茶畑に魅力があっても、知らない土地で就農するって簡単なことではないでしょう」
 農業法人に入るのでもなく、農家のお嫁さんとしてでもなく、就農しためぐみのバイタリティは、萌の想像を超えていた。
「たしかに大変といえば大変ですけど、都会で電車に乗って、日中ずっと建物の中で過ごす生活より、今の方がずっと自分には合っていると思うんです」
 めぐみはそういったあとで、言葉を継いだ。
「茶の収穫や剪定は2、3人で行う必要があります。必ず誰かに頼まなくてはいけません。お茶の仕上げも、別の方にお願いしています。一人では完結せず、常に誰かの力を借りています。もしも仮にパートナーが農業をやっていたとしても、わたしはわたしのお茶を作りたいんです」

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 よかったら、とめぐみはお茶を差し出した。
「今年作った、釜炒り茶です」
 釜炒り茶は、日本のお茶で一般的な煎茶法ではなく、収穫後の茶葉を萎凋(いちょう、しおれさせる)させた後、鉄釜で炒り、揉んで、乾燥させたお茶なのだと薫が説明した。製茶は、牧之原で釜炒り茶を作っている「釜炒り茶 柴本」さんにお願いしたという。

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「わたしにとって、いいお茶とは、オリジナルであることです。さっぱりした奥にうま味のある、日常的に飲みやすいお茶を目指しています」 
 燃えるような若葉でつくったお茶は、澄んだ薄い緑色をしていた。
 ひと口、口に含んでみる。
「ああ! さっぱりしていて、美味しい。こういうお茶なら、中華料理にも洋食にも合いますね」
 萌は、もうひと口、茶を飲みながら、考える。
 茶の栽培は、土地とともに「家族」が承継してきた。いま、別の土地からきた女性が、仲間と行う。ここで、あたらしい形のお茶作りが始まっているんだ。

 萌は、気になっていたニュースを話題に出した。
「お茶の値段が下がり、生産者さんは厳しいとききました。どうしたらいいんでしょう」
 隣でお茶を飲んでいた薫は、少し考えて、答えた。
「需要を増やすこと。供給を減らすこと。生産性を高めること。この三つのどれかしかないでしょうね」
「でも、供給を減らしたら、茶畑も減ってしまいませんか。茶畑が減ってしまうのは寂しいし、茶畑がどこまでも続く風景は静岡県の観光資産ですよ」
 萌は思わず、言い返した。茶畑は地球のエネルギーを放出している場所なのだ、なくしてはいけない気がした。
「生産者は景観で食べてはいけません。景観を守るのは、行政の仕事でしょう。生産者は、お茶の専業でなくてもいいと思うんです。他に収益性の高い作物もあるでしょうし。静岡は交通の便もいいし」
 薫は物事を腑分けして、いろんなものを簡単に切り捨てられてしまう人なのだろうか。誰かのために、何か大切だと思うもののために、熱くなったり、人生を賭けて飛び込んだりしないんだろうか。結局、一緒に茶畑に来れたことが嬉しかったのは自分だけだったのだろうか。萌の頭は、ごちゃまぜになった。
「……薫さんって、クールなんですね。茶畑をどうにか守りたいとは思わないんですか」
 薫は萌をまっすぐにとらえ、少し語調を強めていった。
「みんな、どうにかしたいと考えているんです。僕だって、ずっとどうしたらいいか考えているんです。でも、結局、消費者が選んでいることなんです。消費者ひとりひとりが食の安全や農業の将来を考えて選択してくれない限り、供給を減らさざるを得ない」
 薫の言葉に、萌は黙るしかなかった。


 ――結局は、消費者が選んでいる。
 ――それなら、わたしにもやれることは、あるんじゃないのか。

「わたし、めぐみさんのお茶、もっと多くの方に知ってもらいたいです。茶畑のエネルギーが詰まった、安心して飲める美味しいお茶を多くの消費者に選んでもらいたいです」
 

イラスト/yukiko
取材協力/瀬戸谷のめぐみ茶園

瀬戸谷のめぐみ茶園
神奈川県出身、2018年から藤枝に移住し仲間と瀬戸谷のめぐみ茶園を始めました。瀬戸谷の豊かな自然環境の中で無農薬、無化学肥料で栽培しています。今回ご紹介した釜炒り茶はこちらから購入できます。

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