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#1 「働く」の、これからを。“働きごこち研究所”が立ち上がるまでの軌跡


2007年から「働きごこち研究所」という会社を経営している、藤野貴教(ふじのたかのり)と申します。人・組織の働きごこちを研究して、大企業や経営者向けの研修や、採用コンサルティングをしています。今回は、「働きごこち研究所」が立ち上がるまでの軌跡をお伝えできればと思っています。テクノロジーを生かした“これからの働きかた”に興味がある人、大企業で働きづらさを感じている人、どうせ働くなら楽しく働きたい人に、ぜひ読んでいただけましたら嬉しいです。


就職ミスマッチを経て「採用・人事畑」へ

簡単に自己紹介をすると、2002年に新卒でアクセンチュアに入社。ちょうど就職氷河期の終わりかけで、熾烈な戦いをくぐり抜けての入社に意気揚々としていたのですが、なんと1年足らずで退社をしました。その理由は、ミスマッチを感じてしまったからでした。

僕はコンサルティングには興味があったけれど、プログラミングが苦手で、ITシステムにはさっぱり興味が持てなかったんです。筑波大学の教育学部だった学生時代には、「日本の就職活動のミスマッチはなぜ起こるのか」っていうテーマで卒業論文を書いたんですけど、自分がまさにミスマッチを起こすとは(笑)。ただ、それは後につながる、大事な原体験になりました。

その後、採用に興味をもった僕は、採用コンサルティング事業をしている会社に転職。その後は、採用周りをまるっと担当し、縁のあった先輩に声をかけられて、インターネット求人広告会社に「人事」として転職。

当時、東証マザーズに上場したばかりのなか、200人だった社員数を600人まで増やし、一気に増えた内定者のフォロー・教育プログラム・社内の組織活性化の取り組みまで、幅広く担当しました。

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どんどん新しいことに挑戦させてもらえて、社内評価は上がり、仕事はさらに面白くなっていきました。当時は「働き方改革」なんていう言葉はありませんから、終電でも当たり前に帰れず、六本木からタクシーで帰る毎日。結婚したばかりの奥さんはすでに寝ていて、ひとりフライパンで肉を焼いてビールを飲む、なんてことも。

会社のなかでのポジションはどんどん上がっていき、順調に進んでいるように見えました。でも、なぜだか心が乾いていくんです。仕事の成果と引き換えに、自分が消費されているような感覚。ハードな働き方と、プライベートの犠牲が重なって、僕はどんどん疲弊していったのです。一体何をやっているんだろう——そう思いながら毎日タクシーで帰っていたのを覚えています。

東京を「卒業」し田舎へ移住。

僕の奥さんは、海まで徒歩でいけるような、愛知県西尾市のド田舎出身でした。夏を目前とした6月のある日、僕は名古屋支社への出張が決まり、奥さんの実家に数日泊まることに。周りは田んぼだらけで、夜はカエルの鳴き声がうるさいくらい、自然に囲まれた場所でした。

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「最高に心地がいいな。本当はこういうところで生きたい!」——その時、ずっと閉ざしていた感性というか、直感がビリビリと走ったんです。まあ、よっぽど心が疲れていたんでしょう(笑)。それからすぐに東京を卒業すると決め、独立を視野に入れて、副社長に相談しに行きました。「愛知に転機させてもらうか、もしくは会社を辞めるかというところまで気持ちが追い込まれている」と正直に伝えたのです。すると2週間後には、無事僕の転勤は決まり、愛知県へ。

そりゃあもう、東京時代の友達は「なぜだ」「どうやって生きていくんだ」と、理由やロジック、戦略を聞いてきましたよ。でも、そんなもんない。カエルの声を聴いてビリビリっと決めちゃっただけなんです。ロジックはいつだって後からついてくるものだと思うんです。

もし仮にAIならば、過去のデータの蓄積から考えて、収入の安定したキャリアになる「東京に残れ」と言ったはず。でも、僕は人間ですし、一見は非合理的に見える“自分の幸せにおける直感”を大事にしたんです。

そしてその後、お客さんに求められるままに、働きごこち研究所を立ち上げました。採用コンサルティングをはじめとして、大企業や経営者へのリーダー教育、「人とテクノロジーの協働」というテーマでの講演・研修を行うことに。直感に基づいて、意思決定をしていなかったら、働きごこち研究所は生まれていなかったと思います。


テクノロジーの進化は、働き方を変えた

ちなみに、「働きごこち研究所」は、2007年設立当初からオフィスを持っていません。なぜなら、オフィスは顧客価値をダイレクトには生まないから。僕はお客さんのところに訪問する仕事なので、別にオフィスがなくても困らないんです。もちろん、名古屋駅前にバーチャルオフィスを契約して、郵便やFAX、電話は代わりにとってもらっているのですが。

それに、創業時から社員をひとりも雇ってはいません。従業員という雇用の仕方ではなく、プロジェクトごとにフリーランスのかたや、経営者に声をかけて、チームを作って業務委託で進めています。こうした働き方をしているので、基本的には電話やファックスは使わず、リモートワークでの仕事も結構あります。

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僕は東京から愛知に移住しましたが、「距離は関係ない」を実感するばかりなんです。今やSNSがあれば、遠く離れた友達の近況を簡単に知ることができますから。テクノロジーの発展は、本当にありがたいですね。

「働き方改革」が注目を浴びて久しくなりますが、働くうえで大切なのは、働くこと、生きること自体が楽しい状態であることだと僕は思っています。単に「早く帰れる」「残業が少ない」とかだけじゃないはず。今の時代に合う、“働きごこち”を僕は探っていきたいなと思います。それは永遠に正解がない・変化し続けるものかもしれないですが、僕自身実験台になりながら、追求していく予定です。

これから数回にわたって、「これからの働きごこち」にまつわる情報をいくつか配信をしていくので、よろしければぜひフォローのうえ、次回もご覧いただけますと嬉しいです。


▶︎働きごこち研究所についてはこちら
http://www.hatarakigokochi.jp/
▶︎藤野貴教の書籍 『2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方』は、おかげさまで中国・台湾・韓国で翻訳されました。
https://www.amazon.co.jp/2020年人工知能時代-僕たちの幸せな働き方-藤野-貴教/dp/4761272546

藤野貴教 Fujino Takanori
株式会社働きごこち研究所 代表取締役 ワークスタイルクリエイター

2007年、株式会社働きごこち研究所を設立。「働くって楽しい!」と感じられる働きごこちのよい組織づくりの支援する傍、2015年より「テクノロジーの進化と人間の働き方の進化」をメイン研究領域としている。日本のビジネスパーソンのテクノロジーリテラシーを高め、人工知能時代のビジネスリーダーを育てることが志。グロービス経営大学院MBA取得。『2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方(かんき出版)』を上梓。
執筆アシスタント : 水玉綾 Aya Mizutama
フリーランスの編集者・ライター
株式会社CRAZYにて人事担当として、2016年10月に採用広報を目的としたオウンドメディア「CRAZY MAGAZINE」を立ち上げ、2018年7月に独立。現在は外部広報として「CRAZY MAGAZINE」の編集長をする傍、DeNAの採用メディア「フルスイング」で企画編集や、「新R25」「未来を変えるプロジェクト」等のメディアにて働きかた・組織論を中心としたインタビュー・記事制作を担当。


2冊目の本書いていて、たまにやる気出すためのNote書きます。