
選挙になんて、行きたくない!
衆議院議員選挙が始まって1週間、もう、今度の日曜日は投票日。早っ。あたふたと選挙になってしまい、ちょうど仕事がしゃがしゃ時期と重なり、選挙を遠くからみつめている。
って、正直なところ、私は野党を応援しながらも、肝心の野党共闘がうまく運ばなくて、「安保法制反対を貫かないで何が野党じゃ?」とか、いろいろ思って、悔しくなって、悲しくなって、やる気なくし、遠くに見ていたというのもある。
有権者は簡単にしらけるし、イヤになるのですよ、ほんと、ほんと。だから、「選挙になんて行きたくない」とか、「面倒、何それ?」「バカみたい」「なんで行かなきゃならん?」という気持ち、わかる。だいたい私も以前はバイトとか忙しくて選挙なんて二の次だったよ~~。だってお金稼がなきゃならないよね~、選挙選挙なんて言って騒いでられる人っちは上級国民だよねえ~みたいに思ってた。
そもそも、そういう気持ちを、理解しようとしてるだろうか? 選挙に行く側は。行きたくないと思うその気持ちは、社会からの疎外感なのか? あきらめなのか? 自分のチカラなんてないと思う自己卑下なのか? そんな一切を考えたこともないからなのか?
選挙に行く人と、行かない人が、話ができる機会とかあればいいのになぁ。難しいだろうけど。うん。。。
そして今日、「神奈川新聞」さんが、私が3年前に書いて、今月、新たに文庫になった本からの文を引用して、一面の「照明灯」という欄で、私たち有権者も、「不断の努力を惜しんではいけない」ということを書いてくれ、ハッとした。自分の本に自分が教えられた。『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』という本だ。
コロナ禍になってバイトもクビになり、売れないフリーライターの私は生活が詰んでしまい、これって私のせい?と、いきなり国会議員に聞きに行った話。それまで相撲とか音楽のことを書くライターで、政治の「せ」の字も分からず、いざ質問する段になり、何を質問したらいいか分からない。最初に私が言ったのは「何が分からないかもわかりません」という言葉だった。
そこから私は勉強をして、政治がいかに大事か、選挙に行くのはその基本のキだと、ヒシッと感じていくことになる。
なので、その、「神奈川新聞」さんが引用してくれた部分あたり……実は「おわりに」なんだけど、自分の本からそこを引用して、noteに載せてみることにした。だから何?と思われるかもしれないけど、でも、書いておきます。話に登場する国会議員は小川淳也さんです。
『おわりに』
本を作っていると、スタート時とゴール時で、だいぶ違うものになることがある。最初はこう思って作り始めたのに、でき上がったら、ぜんぜん違うものになることは珍しくない。これもそういう本だ。だって最初、何も分からなかったんだもの。コロナ禍という絶望的な時間の中で、見えない明日を闇やみ雲くもに知りたいばかりだった。
そこから私はすり足で、腰を低く落とし、足の裏は地面につけたまま、ずりっずりっと進んできた。相撲は引いたら、たいてい負けだ。前へ前へ行くしかない。
毎日、真夜中過ぎまでひたすら本を読み、厚生労働省や財務省、国土交通省などのホームページを初めて開いた。官僚の人たちが作った難しい言い回しの資料はちんぷんかんぷんで、目がシバシバして、朝起きると目が開けられないほど痛かった。初めて政治の問題を一つ一つ真剣に考え、今まで自分が政治を自分ごととして考えてなかったことを思い知らされ、知ることの大事さをつくづく感じた。
面談は最初のうち、本当に緊張の塊で、友達の美穂子さんに「小川さんがでっかい怪物みたいに思える」とメールしたのを覚えている。緊張で何も聞き返せず、そこに座ってるだけ。やっと何か言えるようになった頃、面談は終わった。
疲れと緊張から胃腸の調子を崩し、念のためと区民健診を受けたら見事、再検査になった。「胃カメラと大腸内視鏡、いっぺんにやっちゃいましょう」。初めて会う胃腸科クリニックのドクターに言われ、早く終えなきゃおちおち原稿も書けやしないと、承諾した。 しかし、私の友達なら分かるだろう。かつて、苦しさにパニックを起こし、胃カメラを自ら引き抜いて、病院を上へ下への大騒ぎにさせた女だ、私は。それを両方って、あんた、大丈夫か?
数日後、大量の下剤を早朝から飲んで全身すっきり。クリニックへ向かった。いよいよ検査となる直前、「そう言えば、麻酔すると度たび々たび動悸しがちなんですが」と言ったら、ドクターがエッ?って顔をして、「それはアレルギーだから、麻酔は1種類だけにしましょう」と言い、1種類だけの麻酔が点滴で注入……されているらしいが、効いてる感覚がない。あのぉ〜、効いてる感じがないんですが〜、と言う間もなく、検査が始まってしまった。まずは大腸。
カメラと共に送りこまれる空気でお腹が膨張し、「カメラここにいます」もはっきり分かる。「苦しい、苦しい」。地獄の底からのうめき声みたいなのが私の口からこぼれ落ち続け、看護師さんが「がんばりましょうね」と、遠慮がちに(なにせコロナ禍である)、それしかないんだ。めちゃ実感する。『日本改革原案』の最初に、政治家と私たち主権者が「両者の新たな信頼の絆を結ぶことはできるのか」とあったが、それを結ぶことができた。
とはいえ、最初、どうやったら私を信頼してもらえるだろう?と考え、それは私がこの本を作ることに生存を懸けてることを分かってもらうほかはないと、その様さまを全力で見せた。ひたすら考え、質問を立て、それを聞いて対話した。前にも書いたが、一切の無駄口などなく、ただただ問題と政策を話し合うことに全力を注いだ。それは小川さんに伝わり、私が何も言ってないのに「和田さん、命を注ぐ仕事だね」と何度も言った。
小川さんは私に向けて様々な政治的課題を嚙かみ砕いて話してくれたが、それでも難しそれが何かよく分かってなかったけど、学ぶうちにその輪郭がどんどんあらわになり、それはまさに「日本の不安」だった。塊はそこに相変わらず今もいるんだけど、その正体がどんなものか分かると、私は塊があっても動けるようになった。とはいえ、やっぱり邪魔だ。なんとかしなきゃいけない。「なにをエラソーに!」って言われたとしても、だって日本をなんとかするのは、私たち主権者でしょう? だから当然の思いでしょう? 私を嗤わらう人は、民主主義を嗤ってる。そうでしょう?――そう言いたい。これ、私が学んだ大きなことだ。
そうして私は、自分の生存をかけた本を作り、私の不安、すなわち日本の不安を小川さんと考えて解決しようと必死だった。それで苦しい検査もどうにか耐えたのに、えっ? やだ。ドクターが何やら暗い顔をしている。腸や胃に、色々あったらしい。
「とにかく、月末に結果を聞きに来てください」
ガーン。重い病気なのだろうか? ずっと死にたい死にたいと口癖のように言ってきて、生きることに本気になった途端に病気なの? 何それ? 私の人生悲しすぎる。そう思った。でも、同時に、もし大変な病気だとしても、お願いします、神さま、この本だけは完成させてくださいと祈りに祈った。
そして、なんとか本が書けた。私は今、使命を果たし、自らの実存さえ証明した気でいる。おもいっきり、鼻ふくらんでるよ! ちなみに病気はとりあえずセーフ!
書き上げた原稿を小川さんに読んでもらうと、「これは和田さんの成長物語」だと言った。政治を語ることが、私の物語になった。同時に『日本改革原案』を共に作った友人から、「小川さんも成長させてもらってますよ」と言われ、ハッと気づいたんだそう。その通りだって。そして、「これが民主主義だね」と言う。そう、これが民主主義なんだ。
小川さんとは、対話を重ねるなかで徐々に信頼を築いたと思う。それはコラムにも書いた通りだけど、私は信頼を築いていく過程にこそ、今回最も意義を感じている。それは国の代表者と主権者がいかに信頼を築いていくか、ということだ。民主主義社会を築くためには不断の努力をするべしと言うが、まさにそれしかなかった。本当にそれしかないんだ。めちゃ実感する。『日本改革原案』の最初に、政治家と私たち主権者が「両者の新たな信頼の絆を結ぶことはできるのか」とあったが、それを結ぶことができた。
とはいえ、最初、どうやったら私を信頼してもらえるだろう?と考え、それは私がこの本を作ることに生存を懸けてることを分かってもらうほかはないと、その様さまを全力で見せた。ひたすら考え、質問を立て、それを聞いて対話した。前にも書いたが、一切の無駄口などなく、ただただ問題と政策を話し合うことに全力を注いだ。それは小川さんに伝わり、私が何も言ってないのに「和田さん、命を注ぐ仕事だね」と何度も言った。
小川さんは私に向けて様々な政治的課題を嚙かみ砕いて話してくれたが、それでも難しい場面はいっぱいあった。特に財政はちんぷんかんぷんな話も多くて、私が虚うつろな目になっていたのは前にも書いた。それでも文字通り汗だくで2時間、私にまるで講義をするように語った。その、伝えよう!とする熱意に圧倒された。
最も印象に残っているのは、住宅問題について対話したとき、「自分の勉強が手て薄うすでした、ごめんなさい」と私に謝ったことだ。政治家が「分からない」と言い、謝る。すごい場面に出くわした!と思った。
最後に「幸福」について対話したのも忘れられない。こういう話を政治家ともっと重ねられたら? 政治は大きく変わる気がする。
私はこの面談で重ねた対話ひとつひとつに、本当に意義を感じている。今、民主主義の危機が言われ、日本は政治不信という言葉が日々躍る社会だ。代表者たる政治家と主権者たる私たちの分断はすさまじい。そうした中にあり、こうして対話を重ねることで信頼を築けると証明できたこと、誇りに思う。(以下略)
以上です。これは3年前に私が書いた本で、今回文庫化されました。追加の原稿なども書きました。
何も分からなかった私は本を読み、学び、徐々に政治を学び、これって私のせいじゃないじゃなくて社会構造のせいじゃないか!と気がついて、そういう社会を変えるために不断の努力を惜しんではならぬ、と思った。仕事して稼いで生活しなきゃ!と必死になる私こそ、選挙に行くべきって。そうなんだ。やる気なくして遠くを見てるときじゃなかった。やれることを必死にやろう。
もし今、自分が戦地に生きていて――実際に今そこに生きる人は大勢いる――選挙が行われるなら、必ず行くだろう。
選挙に行きましょう。期日前投票もできます。あの、家に届く、紙、は持ってなくても大丈夫です。


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