2019年9月4日~不安に覆われてる

 不安に覆われて寝れなくて起きてしまった。午前3時過ぎから。やれやれ。もう、そのまま起き上がり、原稿のチェックをして送った。でも不安だから、今も起きてます。

 不安の原因はお金がないこと。じゃ、働けよ? 全くその通りで、今やってるバイトだけでは生活できないので、もう一つバイトを掛け持ちしようと受けてる最中です。さらにはライターなのだから企画なども考えたいのですが、中々今のウエブ「ビュー数あげなきゃ」の世界でいい企画が思いつけない、というか、そんなの言い訳だね自分、なのですが、ええ。もっと真剣に鼻歌を歌い、散歩して、のんびり考えます。ええ、企画なんて、そうやって考えないと思いつけないものです。今、不安できりきりしてると、そんなときは「お金ない私のリアル生活の話」とか、そんなビンボーくさい、誰も読みたくないものしか思いつけないものです。

 しかし、ライター業、みなさん同じことを思ってると思いますが、原稿料は下がる一方で、このままだと日本から確実にライターという職業の人は減り続け、趣味でやっています、という人以外は立ち行かないのは必須で、私のように一人暮らしでライター中高年は壊滅すること間違いなしで、これは本業を別に作らないと確実に死んじゃうな、と思うと目も覚める午前3時です。

 でも、それはライターだけじゃないだろうなぁ。10月からは消費税も上がり、どんどん経済悪化で、このままだと壊滅確実に死んじゃうなの方々は大勢いて、午前3時に日本のあちこちで私のように目を血走らせているんじゃないか?と想像する。

 私たち、どうしたらいいの? まずは選挙行け、だよね。選挙に全員ちゃんと行って、経済立て直したいと真剣に思ってたら消費税上げない党に投票して、消費税は上がってなかったろう。確実に。

 さらに望めば、みんなでデモしよう、だよね。どうしてこんなにひどい世の中にされてんのにおとなしくメエメエ泣いてるばかりで怒らないのか、オレたちよ?だよね。香港の子供たちが授業休んでデモしてるのを見て、ぼんやりしてるなんて、本当にどうかしてる。

 ああ、日本よ。ああ、私よ。

 なんて嘆いていると、林芙美子の「放浪記」を思い出す。あれは林芙美子の貧乏どん底物語だと、ご存知ですか? 貧乏すぎて頭破裂しそうになり、地球なんてぶっ壊れちまえ!とか叫んでるのが「放浪記」で、人生ずっと貧乏な私のバイブルです。でも、芙美子はその本で売れて大金持ちになったから、すごいな~。貧乏からの成り上がり。私はここでせこせこ書いて嘆いてるばかりで、ちぇっ。。。全然桁が違うぜ。

 明日元気があったら自転車漕いで、林芙美子の住んだ家にでも行ってくるか? 芙美子は貧乏だが元気溌剌で、その後も書き続けていたけど、心筋梗塞で47歳で急に死んだ。性格悪くて、お葬式で、えっと、誰だっけ? 葬儀委員長務めた、あ、そうそう、川端康成(今、ググって調べた)に「故人は自分の文学生命を保つため、他に対しては時にはひどいこともしたのでありますが」とか言われてる。すごいなぁ。私もこんなこと言われたい。そんなこと言われるぐらい、文学に命がけだった芙美子、すごい。ああ、そうか。だからこそ、芙美子は大金持ちになれたんだ。文学で成功したんだ。

 私にはそんな覚悟もなくて、誰かに嫌われないように、ビュー数上がるようにとかビビってっから、いつまでも、こうして真夜中明け方に目を血走らせてんだな、と気づくわ。

 オレ~、悪い奴になりますわ。違う気がするけど。

   追記
 それで、家で悲しみに沈んでいても仕方ないので自転車をぐいぐい漕いで、林芙美子記念館に行って来た。いや、まぁ、裏道を使うと、そうそう遠くはない。まぁ、近くもないが。行けない距離ではまったくなく。ええ、行ってきました。朝1から。お客さんは1、2人ぐらいしかおらず、すごくのんびり見られました。入場料150円。前は80円ぐらいだった気もするが、まぁ、いいや。資料室みたいのもオープンしてて、昔の映像なども見ることが出来た。芙美子が住んだ家がそのまま記念館になっているのだけど、昭和16年にできた家は手入れされて、今でも住めそうで、奥から、芙美子が出てきそうだ。そして資料映像で知ったのだけど、芙美子は心臓が悪かったんだね、元々。それでも仕事をがっつりやって疲労を重ねて亡くなったらしい。そして、文豪川端にはディスられていたが、葬儀には家のあった中井の近隣の人たちが大勢集まり、近所のおばちゃんたちにはすごく好かれていたようで、なんだ、じゃ、悪い奴じゃないじゃん!と分かった。芙美子、やっぱり好きだ。でも、だからか。いまどきは芙美子の本といえば「放浪記」ぐらいしか読まれないのに、平成になってからも次々、芙美子に関する本は出版されていて、本人の本よりも、芙美子に関して書いたものの方が売れてる感じで、不思議な気がした。

 そして庭のベンチみたいのに座って煎餅だの魚肉ソーセージだの、持って来たおやつをこそこそ食べた。芙美子も庭でなんか食べたりしたのかなぁ? 樹木に囲まれて、そこにいると、そこだけ昭和のような芙美子の家。こんなところに住んで、たくさんの小説を書いて、稼いで、でも夫とは不仲だったようだけど、子どももいて、ご飯を作り。芙美子の人生を思った。資料室では来た人が書き込むノートがあって、世界中から色々な人が訪れているのにびっくりした。芙美子の家だから来てるのか、古い昭和家屋だから来てるのか? ハングル、中国語、英語、イタリア語らしき、スペイン語らしき、色々な言葉があった。


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