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TEDと浜松と家族と友達

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八王子から浜松に家族でむかう、目的はTEDに登壇するためだ。
大きなスーツケースに全員の荷物を入れてぼくがはこび、妻は両手をフリーにして息子をはこぶ。なかなか大変だけど、サングラスをして優雅にお菓子を食べる息子に期待するしかない。

八王子駅からは特急あずさに乗って東京駅からは新幹線に乗った。ぼくにとってはわりと日常的な移動だけど、息子にはすべてはじめてだ。妻も新幹線に乗るのは5年ぶりなので京都にむかうだろう外国人だらけの車両にすこし驚いている。

家族で街中を歩いていても、電車を乗っていても、駅のような混雑するところにいてもネットにあるような嫌がらせをしてくる人には、ぼくはまだ会ったことがない。

ぼくはいつでも土下座する準備は整ってるけど、オスの親熊がいるのに子熊にわざわざ嫌がらせをしないのだろうということも考えられるが、圧倒的に親子ともども親切にされることのほうがおおい。

子どもと歩いていると、知らない人からの親切を受けることがおおいので、ぼくも小さい子どもをつれている人に親切にすることがふえた。社会は子どもを育ててる親には厳しめだけど、子どもには優しいのだとおもう。

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浜松駅に到着した、息子がさっそく車とピアノに興味をしめした。ピアノを弾いていた息子が、このピアノのがほしいといいだした。ぼくは甘い親なので息子のほしいものを否定しない。「お父さんもほしいけど、おうちにおく場所がないからまたここに一緒に来ようか。」というと「またこよ〜。」と笑っていた。

ダメ!のひとことじゃダメなんだよね、またひとつ勉強になった。

夜はハンバーグ専門店の屋号とはおもえない“さわやか”にいった。
鹿がさばけるぐらいのナイフとフォークが用意された。これで食うのかよ、えぐいハンバーグ屋だとおもったら店員さんがハンバーグを半分にして鉄板にギュってするするためのナイフだった。

20年以上前に撮影されたであろうポスターや、きっとずっとかわらないレイアウトで、子どもの頃に家族できて、青春時代は友人や恋人ときて、大人になって家族ができてまたくるような、ぼくにははじめてのお店だけど地元の人に愛され続けるお店なんだとおもう、ハンバーグ美味しかった。

東京ではびっくりドンキーとかが似てるのかな。ちなみに写真業界ではすし屋さんのことを“シースー”というように、びっくりドンキーのことを“くりびつキンドー”ってよぶ。

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今日はTEDの本番だ、緊張する。お父さんの緊張とは対照的に息子はリラックスしている。いろんな人に遊んでもらっている。人見知りしない子になったなぁ。なぜか妻もリラックスしている、君はなぜ緊張しないんだ、夫が失敗して世界配信されるという不安はないのか?

TEDは原稿を書く能力、原稿を記憶する能力、それを表現する能力が求められる。それぞれがハードルがたかい。原稿はぼくが書くから、小栗旬あたりのイケメンがやってくれないかなってなんどもおもった。

リハーサルではなんども失敗をした。原稿の言葉を記憶していても、ワープして飛んでしまうのだ。でも伝える内容にウソをいれず、おもっていることだけをいれたので、不思議と緊張の度合いは少ない。きっとウソが自信のなさを呼んで緊張する。

ちなみに写真業界でびっくりドンキーのことを“くりびつキンドー”とよぶ。ってのはウソですよ、聞いたことない。

そして友人たちの顔をみたり、リラックスしきった息子と妻をみていると、緊張がほどける、というかいい意味で力が抜ける。いままでだってなんとか全部できてきた、きっと大丈夫。そう自分にアドバイスをする。

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「チャックをチェック」というダジャレがステージに立った瞬間に浮かんだ。お客さんが目の前にいる状態だ。ステージに立つ直前、トイレにいったのだけど、あれっ?いまチャック開いてないかな、大丈夫かな?という疑問に襲われた。

でももうチャックをチェックできない、チャックが開いてても直すことはできない。それが配信されると変な反響がおきそうだ。

息子が生まれる数年まえ、中央線で大自然の高尾駅から大都会の新宿駅に移動していた。高尾駅は始発駅なので確実に新宿駅まで座っていける。

あと数駅で新宿駅というあたりで、ぼくの前に立っていた女性がぼくの股間あたりとずっとジロジロとみていることに気がついた。なにこの人?っておもったけど向かいに座ってるおっさんまでジロジロみている。

あぁチャック開いてるよこれ、と一瞬で悟ったけどやっぱりジロジロみられてる状況では直せない。なぜなら電車でチャック全開くんがあわてて直したという恥の上塗り状態になるからだ。

ぼくは新宿駅で人が車内が行き来するタイミングで、目線も落とさずにチャックを直そうとした、スマートだ。しかしチャックはしまっている、YKKの手触りでわかる。

あれっ、しまってんじゃん?とおもわず目線を下ろすと、ぼくのチャックのすぐ横にカマキリがとまっていた。股間にカマキリくんだ、そりゃジロジロみる。きっとジロジロみていた人は自分に飛んでこないか、警戒して監視していたのだとおもう。

なぜかそんなことまで思い出してしまった、きっとこれが走馬灯なんだろう。ぼくのはじめての走馬灯はカマキリだった。


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ともあれなんとか原稿を飛ばすことなく、やりきることができた。会場のお客さんの反応も、YouTubeでライブ中継を見たかたの反応もよかった。

1ヶ月か2ヶ月ぐらいでYouTubeで字幕付きで公開されます、英語はもちろん世界各国の言葉の字幕がつくそうです。どんな反響があるんだろう。

無事に終わってホッとした。もうたぶんどんな仕事でも緊張しないんじゃないかな。とてもおおきな経験になったとおもう。

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いちばんホッとしたのはTED側のぼくの担当者だろう。直前まで原稿はなかなか送らないわ、スライドは送らないわ、暗記も練習も全然してないわだ。

彼女から一緒に記念写真を撮りましょうとお願いされた。会場にカメラマンはたくさんいたけど、ぼくが撮ったほうがいいだろうとおもった。写真は関係性がうつる。彼女が笑顔ということは、きっとぼくもそういう顔なのだ。

写真というのは撮影者と被写体の記念写真でもある。プロだろうがアマチュアだろうがそういう関係性がうつる写真がぼくは好きだ。

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お客さんも壇上にあがって集合写真を撮って、打ち上げ。
はじめて鏡開きを体験した。

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翌日、かなり疲れていたけど浜松市内をすこし観光した。

中田島砂丘にいった、サラサラの砂に足がとられるからよけいに疲れる。
息子と妻はたのしそうに走り出す。元気で健康っていいことだ。

病気になったばかりの頃は、妻と息子の写真を撮るのがつらかった。なんだかぼくがいない世界をうつしているような、孤独感を感じるような感覚におそわれた。
涙をカメラで隠して写真を撮っていたこともあった、アングルを変えるふりをしてふたりから距離をとって涙を拭いていた。カメラというのは涙を隠せるので便利だ。

いまは「いいねぇ。」とおもいながら妻と息子を撮っている。写真にはやっぱり関係性がうつるのだ、直接写真にうつっていないけどぼくがいて3人の家族写真なのだ。そしてぼくがいないけど、ぼくのいない世界でたのしそうに生きているようにも感じて、ホッとする。

でも、これを書いているいま、ちょっと涙がでてくる。
今日は息子の運動会、今日も写真を撮ろう。





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