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「妥協」を見つめなおしてみる。

畑で一人もくもくと草取りをしていると、近所のおばあさん(85歳くらい)が通りかかり、話しかけてくれました。何か注意されるかな?と気構えてしまいましたが(笑)「本当にこの(農業)仕事が好きなのね。身体壊さないように気を付けて、ぼちぼちやってね」と言ってくれました。

お嫁さんだから頑張ってるねとか、そういうのではなく、「農業が好きなんだね」と言ってもらえたことがすごく嬉しくて、ああ、好きなことをしているんだなーと思えました。きっとそのおばあさんはそこまで深く考えてないと思うのですが、「嫁」という肩書ではなく私の行動を見てくれていて、認めてくれたのかなという気がしました。

いま、自家消費用の畑を一部自由に使わせてもらい、自分の植えたい野菜をつくっています。もともと畑や田んぼが好きで、学生時代は日本だけでなく海外の農村まで行ってファームステイをしていました。自分の手で暮らしを作るというのが何よりも面白く、ワクワクするからです。先日も、自分が植えたレタスがきれいに育ってくれて、おいしいサラダに変身したとき、何とも言えない幸せを感じました。
まだまだ全然畑のことは初心者なので勉強中ですが、まずはやってみる!という一歩を踏み出すまでに色々な葛藤がありました。


完璧にやろうとすると、逆に「妥協」が生まれる・・・?

蓮根農家ですが、自家用の野菜はほぼ作っていて畑もあったので、結婚してすぐに畑仕事にも挑戦していました。しかし、毎日休みなく畑仕事を頑張っている義家族と同じように働くことは体力的にもかなりしんどくなりました。また、美味しい野菜を作るためには、種まきして収穫する以外に膨大な手間ひまと知識がいることも学びました。結果、私にはまだ畑は管理できないと、挑戦することを諦めました。義家族の手前、下手に手を出しても迷惑をかけるだけだと思い、畑仕事をすることが怖くなりました。今は蓮根の仕事も忙しいし、畑仕事は完璧にこなすことはできないから仕方ないか…と。「妥協」って「折り合いをつける」という意味なので、完璧主義な人ほど妥協しないというイメージがあります。ですが、個人的には、完璧にやろうとするほど、やりたかったことをやらなくて済むように折り合いをつけて、妥協してしまうのではないかと思うのです。

タイミングというものもあるし、まだ自分の体力的にも畑をやるのは厳しかった。組織の体制としても整っていなかったので、蓮根の仕事と両立するのはたしかに難しかったなと思います。ですが、事あるごとに、「畑やってみたかったなあ…」という想いが湧き出て、それを「仕方ない」と打ち消している日々が辛かったです。


自分の「好き」を認めて、完璧でなくてもいいからやってみる。

しかし、今年の2月ごろ、どうにもこうにも「畑をやってみたい!」という想いが抑えられず、義家族に畑をやってみたいと相談してみました。
すると、「畑の前に、まずはちゃんと蓮根の仕事をこなせるようになってからじゃないの?」というご意見や、「最初、畑を一緒にやっていたとき、全然手伝ってくれなかったよね。本当に管理できるんですか?」というご意見を頂きました…(汗)ごもっともすぎて、ぐうの音も出ませんでした。でも、なぜ理解してもらえないんだろう?なぜ、応援してもらえないのだろう…?という風に考えてしまいました。相手に理解を求めるのは難しいしエゴだとわかっているけれど、その時は行き場の無い気持ちを抑えられず大げんかに発展…。今思うと、心配してもらっていたのだろうと思います。ですが、最初から完璧を求められるのは、ものすごいハードルになるし、すべての「やりたい」気持ちを吹き飛ばす威力があるなと思いました。

好きなことを自分で認めてあげて、かつ周りの人からもそれを否定されず認めてもらえる環境があると、やっと一歩踏み出せます。今回、近所のおばあさんに言われてすごく嬉しかったのは、自分の「好き」を認めてもらえたおかげなのかなともいました。
まだ全然、畑の管理は完璧に出来ないですし、野菜の葉っぱは虫に食べられるし、これからもっと勉強していきたいと思っていますが、こうして一歩踏み出せただけでも大きな収穫だと思っています。

というわけで、今日植えたのは「かりもり」(一番上の写真)です。愛知県の伝統野菜ですが、漬物にぴったりな瓜の仲間です。愛知県では「かりもり粕漬」がポピュラーです。私も愛知に来て初めて食べました。
自家製のかりもりで、大好きな愛知のみりん粕で究極の粕漬を作りたい!という野望があります。そんな感じで、畑の仕事と合わせて、手仕事も学んでいきたいし、それを伝えていけたらと思っています!


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