やっと学校に行けた日。
今週、うちの末っ子長男(小学校2年生)は3日間学校を休んだ。
三連休明けの火曜日、朝制服をきがえていると、「行きたくない!」とごねた。「あ~、これは長丁場になるなぁ」と思い、「わかった!行かなくていいよ。でも、ママは仕事に行ってくるね」と言い残し、仕事に出た。
もしかしたら、おだてて、制服着せたら、学校へ行ったのかな~と考えつつ、機嫌を取りながら、登校させることに正直嫌気もさしていた。
夏休みが明けてからは、制服を着せて、ボタンを留めて、歯ブラシ渡して、なんとか登校する毎日だった。
ここまでしないと学校に行けない理由って何だろうと考えた。
息子は学校が嫌いではない。好きかと言われると好きではないのかもしれないが、運動会が楽しみで、家でもダンスの練習をしていたくらいだ。
彼が2年生になった春に、私自身が転勤をし、仕事が忙しくなった。慣れない環境、人間関係で、精神的にも体力的にもボロボロになった。長女と次女は母の事情を理解してくれていたのか、自分たちのことは自分でやっていた。
自由奔放な彼は、宿題はしない、時間割はしない、制服には着替えないことから、常にわたしから、「早くしない、早くしなさい」と言われ続けた。
くたくたで仕事から帰って、宿題もせずYouTubeにかじりつく姿を見て、何度怒鳴ったことか。習い事のスイミングも無断で休むと、人格否定と言わんばかりに怒り、取っ組み合いのけんかもした。振り返ってみると、彼にとっては、怒られることしかなかった1学期だった。
保育園時代は、クラスのリーダーで、運動会でもみんなを引っ張る立場だった。その日あった出来事を、保育園からの帰り道、「そうなん、素敵やね」と褒めながら、話していたことを思い出す。
ところが、小学生になった途端、宿題ができていない、明日の用意ができていないと、褒められるどころか、否定される毎日で、息子自身が自分に対する自信をなくしてしまっていたのだ。
ふとした瞬間に、「俺って、保育園のとき、リーダーやったよな?」と聞いてくることもあり、今とのギャップを感じているのかなぁと、彼の心の内が推測できた。
今週、学校を休んだ1日目、友だちが書いてくれた連絡帳を見て、何も言われずに、自分から宿題をし、時間割をした。明日は行こうと思っているようだった。
ところが、朝になると、またごねた。起きる時に、きっと甘やかしてもらえると思ったようなのだが、ほっといたのだ。怒って、壁をどんどん蹴り、ふとんをリビングに放り投げ、ギャーギャー叫んだ。声には出さないが、「俺に構ってくれ~!」と言わんばかりに暴れた。
いつもなら、「やめなさい」と声をかけたり、止めるのだが、今回は何も言わなかった。「学校に行くも行かないも自分で決めさせよう」と夫と話し合っていたのだ。いつまでも声をかけ、手を差し伸べることが、「行かない」の原因になっていると考えたのだ。
自分で考え、自分で決めるからこそ、自分の判断に責任が持てる。彼の意志決定を見守ることが親としてできることだと夫婦で決めたのだ。
結局、その日も休んだ。甘え気質の彼にとっては、ほっとかれることが何よりも面白くない。近所に住む祖父母にも、彼に手を差し伸べることはやめてほしいと伝え、仕事に向かった。
帰宅しても、怒ることはせず、たんたんと家族で夕食を取り、テレビを見た。そうしていると、また、息子は宿題を始めた。時間割もした。今までは、何度言ってもやらなかった宿題を、あっという間に一人でこなす。夫が子どもたちに、「明日の朝は一度だけ起こすから、自分で起きて、学校に行きなさい。学校へ行きたくないなら、行かなくてもいいから、自分で決めなさい」と伝えた。
朝、一度だけ起こしたが、起きず、もう一度だけ起こした。息子も自分で起き、「今日は学校へ行く」と言い、朝ごはんを食べ、制服を着替えようとした。その姿を見て、安心し、仕事に出た。
ところが、着信履歴に、小学校と祖父からの連絡が残っていた。
「おっと…結局行かんかったんやな」と慌てて、小学校へ電話したのだった。祖父に聞いてみると、制服には着替えたが、何かが気に食わなくて、「行かない」となったそうだ。制服まで着て、行かない何かってなんだろうと一日中考えながら、仕事をした。
担任の先生からも電話があり、「小学校2年生の子どもたちは、自分の心の内を話すことはまだまだ難しいですよ。」と言われた。彼自身が自分の言葉で自分の気持ちを話すのは難しい。それなのに、学校や習い事を休むと「理由は何?」と今まで、何度も聞いてきた。そして、「なんで言わんの?」と怒ってきた自分に気づいた。
息子は生まれた時から、誰かがそばにいないと眠れない赤ちゃんだった。長女や次女がワイワイしているとその声に安心して、バウンサーの上でよく眠っていた。ところが、夜になり、ベビーベッドに置くと、大きな声で泣くのだ。長女や次女がいる布団に置くと、よく眠った。そばに誰かがいる安心感が彼には必要だった。
サッカーの試合の後、私が買い物に行ってくるというと、家に帰れば、一人で自由にYouTubeが見れるはずなのに、「じーの家に帰る」という。一人で誰もいない家に帰ることを嫌がった。
学校を休んで、一人で自由にYouTubeを見れて、彼は幸せなのだと勝手に思っていたが、もしかしたら、孤独や不安を感じていたのかもしれないと感じた。生まれた瞬間から、一人がきらいな末っ子長男。不安だとか、寂しいとか、まだまだ言葉に表せないから、その代わりに、ごねるという行動で自分の気持ちを表しているのかもしれないと気づいた。
学校に行く前に、「早くしなさい」「ママはもう仕事行くよ」という言葉は彼にとって、孤独と不安がよぎる原因となっていたのだ。
3日間休んだ翌朝、朝ごはんを食べ、自分で着替えた彼に、「早くしなさい。」の代わりに、「ママ、待ってるからね」と伝えた。2学期で初めて、甘やかさずに、学校へ行くことができた。
この「待っているからね」の言葉もいつまで続くのかわからない。
彼が自信を取り戻すために親としてできることは何だろうと悩みながら、少しずつ前に進んでいけたらと思う日々である。
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