暑くて思い出した母の野望が破れた話
最近、暑いですが毎朝の白湯は続けています♪
白湯を飲みながら小一時間note巡りをするのが朝の1人時間の最近のスタイルとなっております😄
たまに朝ドラでnote巡りを中断するのが嫌だな、と思うまで白湯とnoteの時間は私の生活にはなくてはならないものとなっています。
ただこの中断がないと仕事や家事へ切り替えられないので、朝ドラってリズムの切り替えに必要な存在なのかもしれません😳
1歳代でオモチャの日本刀を飲み(記憶無し)
2歳代で10円玉を飲み(記憶有り)
と妙なものばかり飲み込む私は、ものすごい偏食な幼児でした。
好んで食べるのはキュウリくらいで、
10円玉事件で入院してからは重湯や粥がなんとか食べられるくらいと、親にとっては心配ばかりかけている子どもだったのです。
食べ物を食べない性質だったため、母はアイスクリームは3歳を過ぎるまで食べさせない、と決めていました。
冷たいものを食べていては余計に食欲が出ませんからね。
自分の料理を食べてくれることに生きがいを感じる祖母もこの考えには同感だったようで、大人達は私が見ていないところでアイスを楽しんでいました。
子どもに食べさせないから我々も我慢する、という発想はなかったようです。
10円玉を飲み込んで手術までしたのだから、口当たりの良いアイスをと、すすめた親切な方もいらっしゃったようですが、それは丁重にお断りをしていました。
私は目の前で同年齢の子どもがアイスを食べていても平気な感覚を持つよう育てられたのです。
母は「このままアイスを嫌いになれば健康的な大人に」とも考え、自分の子育てテーマとなった「アイスを好まない品のある子」が完成しつつあるとほくそ笑んでいたのですが。
物事には必ず終焉が訪れるものであり、母の計画もその運命を逃れることはできなかったのです。
いつものように、私以外の人々でアイスを家の前で食べていた時のことでした。すると母の思惑を知らない親切な方が可哀想に思ったのでしょう。
「食べられないのは可哀想よねぇ」とサっとアイスを私の口元へと近づけたのです。
止める間もなかった、と母が悔しそうに語っていました。
勢いに押されて口を開けた私は極上の喜びと出会ってしまったのです。
私の記念すべきアイスデビューと母の野望が崩れ落ちた瞬間でした。
それでもアイスデビューは遅かったため、小学生の頃は溶けないうちに食べ切られない・冷たくて口が痛いといった状態が続きました。
それを見る度に母は、
「私が繊細な口に仕立てあげたから」
と自慢していましたが、
アイスが痛いって繊細なのか?
と今も不思議に思っております。
ただ、今ではすっかりアイスOKの口になりました。
親の思惑通りに子育てはできないものだな、としみじみ思います。
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