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過去の思い出 1996年 第56回 桜花賞

(この記事は「羽柴の隠れ家」内の競馬コラムで2020年4月に掲載したものです)

 

過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
今回は1996年に行われた桜花賞を振り返る。
 
この年の桜花賞は前哨戦のチューリップ賞を制し、1人気確実と言われたエアグルーヴが直前で熱発により出走回避。途端に大混戦ムードになり、3連勝で4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)を制したリトールオードリーが押し出されるように1人気。チューリップ賞でエアグルーヴの2着、さらに前年度の阪神3歳牝馬Sを制したビワハイジが続く人気となっていた。その他にもフェアリーSを制し、この時点で連対率100%だったマックスロゼ、クイーンC勝ちの実績と前年度の阪神3歳牝馬Sで3着のイブキパーシヴ、前走フラワーC2着で岡部騎手が乗るメイショウヤエガキらが人気となっていた。

この時の個人的本命馬は復帰したばかりの南井騎手鞍上の◎イブキパーシヴ。主戦の武豊騎手がクラシック戦線のパートナーにエアグルーヴを指名した為、急遽南井騎手にお鉢が回ってきた感じ。この時は鞍上重視でイブキパーシヴを本命にしたのは確かだが、この馬自身の桜花賞までの戦績を見ても申し分なし。人気も4~5人気(最終的には4人気)であり、いろんな意味で期待値が高かった。
 
25年近く前の話なので相手候補をどこまで取り上げたかは詳しく覚えていないが、4~5人気が軸なので人気どころにそこそこ手広く流したと記憶している。なにせ大混戦だったので、馬連の1人気でも(ただし当時は3連複すら無かった)15倍程度はあったように思える。
 
レースは序盤からそこそこ流れる展開。◎イブキパーシヴは好位集団やや後ろのインという絶好の位置取りで追走。当時よく言われた「魔の桜花賞ペース、先行集団の後ろのポケット」という願ってもない位置をゲット。しかも終始手応え抜群で4角から進出し(実は4角まで掛かり通しだっただけ)、直線入口で直線外目に持ち出した時は勝利を確信したものだった。
 
直線激アツだったのが最内のラチ沿いからノースサンデー(結果は3着)がスルスルと上がってきた事。当時の私の競馬の師匠から「サンデー産駒は一応買っとけ」という助言通りにすべてのサンデーサイレンス産駒は相手として押えていたので、この時点でイブキパーシヴ、ノースサンデーの的中が頭に浮かんだ。
 
ただそうは甘くなかった。終始◎イブキパーシヴの直後を追走していた田原騎手鞍上のファイトガリバーが残り100m付近から外から豪快に伸びてきて、アッサリとイブキを捉えて差し切り勝ち。田原騎手は前年度のワンダーパフュームに続いて桜花賞連覇。終わった直後は完全に「してやられた」感が強く非常に悔しい思い出がある。
 
個人的に◎イブキパーシヴだった事もあって、レース中はほとんどこの馬しか見ていなかった。だから感じた事でもあるんだけど、イブキパーシヴ自体のこの時のレースは結構強い内容を示していた様に思える。前述のように勝負所まで手応え抜群だったが、実際には掛かっていて鞍上が抑えるのに苦労していた感すらあった。にも拘らず直線に入った直後の反応は若干鈍かったが、半ばからはシッカリ伸びていた。特に最後の坂を上ってからファイトガリバーが迫ってきても、さらにもうひと伸びを見せた感じすらあった。結果半馬身及ばずの2着だが、この内容で1.34.5のタイムも当時としては立派な数字だと思えた。
 
そのイブキパーシヴ自身のハイライトはやはりこのレース。この後は秋の秋華賞はぶっつけ本番で挑んで15着大敗した後、スプリント重賞を中心に進むが目立った結果を残せずに翌年に引退。繁殖牝馬としても活躍馬を送り出すことは出来ずに思わっている。
 
そのイブキパーシヴを降したファイトガリバーは続くオークスでも2着と存在感を見せつけたが、この馬もハイライトと言えるのは4歳(現3歳)の春までだったと言える。3着に入ったノースサンデーもその後試行錯誤しながら様々な距離を走ったが結果を残せず。しかも続くオークスでは直線で大斜行をやらかして人々の記憶に残ることになる。
 
この年の出走メンバーのその後は成績を残せずに終わる馬がほとんど。1人気だったリトルオードリーはオークスで人気急落も3着と好走。ただ秋華賞大敗後に引退。2人気ビワハイジはこの後果敢にダービーに挑戦も13着大敗。その後今一つの結果が続くが2年度の京都牝馬Sを制したのちに引退繁殖入り。ただ繁殖入りしてからは大成功で、アドマイヤオーラ(重賞3勝、アドマイヤジャパン(ディープインパクトのライバル)、ショワドヴィーヴル(阪神JF)、ブエナビスタ(G1を6勝)などを輩出することになる。
 
その後に意外な展開を見せるのがこのレースで12着と大敗したタニノシスター。その後1200mの路線に進むも下級条件で好走凡走を繰り返した後1998年に引退して繁殖入り。後にダービーを制するウォッカ(G1通算7勝)を輩出することになる。
 
 

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