日米韓が連携していても台頭する中国や北朝鮮を抑え込む事はそう簡単には出来ないだろう。でも、てんでバラバラよりかははるかにマシである事も指摘すべきだろう。そして日本とインドも連携した動きを取れるかどうかで、対中関係は大分変わる。我が国の存立危機事態をも少し、煮詰めないとダメだ。
文系科目のやる事は暗記だけと思ってるアンチが多すぎる。文系理系二重スパイたるオイラが見聞した分では現代文や英語長文読解では題意を把握する構想力なるものが必要であると見る。それは立体的にも平面的にも拡げる分析力だ。でも独りよがりの妄想とは全く違う事も付言しておく。出題者の意図による
ウクライナ危機の根本的な原因はNATOの進出拡大とロシアの欧州進出の衝突である事は既に指摘されている処。一方中国や北朝鮮も専制国家としての骨格維持を止めようとしない。今国際関係を学び直すとするのなら、もう一度中露北の動向を俯瞰せねば。
VIVANT。面白そうだ。贅沢なロケと豪華なCASTで、テ○組織への高額送金が誰によって為されたか、銀行内に潜む真犯人を公安警察官と共に暴き出す。バルカ共和国探しちゃったじゃないか、地図出してさ。
岸田総理長男の翔太郎君へのお怒りのご意見が多い。何が悪い?とまでは言わないが、目くじらを立てる程でもないというのが、私の思いだ。国損ものであれば糾弾されるべきなんだろうが、今の処そういう話もない。小西議員のサル発言もそれだけだったら、問題ないが法的措置などメディアを脅すから問題。
ウクライナ戦争。家族によると俺はウクライナがすぐに降参する、と言っていたらしい。でも実際西側諸国の懸命な支援、ロシアの杜撰さ等様々な要因でここまでウクライナが持ちこたえている。これは戦争の一国独立主義に拘っている人は見誤る情勢の一例だなと反省してる。世界を広く見なくてはダメだ。
大学で好きな科目ばかり取って、卒業要件満たせず留年する人は一定数いる。因みに私は教養科目が好きでなかったから、苦労した。大抵教養は朝早く始まるものが多く、朝早いのがキツい自分にとって気の進むものじゃなかった。期末試験は今でも覚えてるが、細かい場合分けをし、すぐ答案が埋まった。
鈴木貫太郎のブルーバックス、『大学入試数学 不朽の名問』面白い。数学としての理屈に触れられる泥臭い論証が、イマイチモチベ高まらぬ読者の知的マインドを揺り起こす。確かにレビューの通り、記号のミスなどあるが、数学のダイナミズムを知るにはお薦め致す。
法大の入試問題の難しさがイマイチ受験生に伝わっていないというか。技巧派の極みのような問題が正答を邪魔する。英語も数学も解くに中々択を迫る強烈な問題が多い。。
体力回復しないと続かない。こんなに気力体力消耗してたとは。活字も見れないくらいにボーっとしてたけど、ようやく元に戻りつつある。3月から一気に駆け抜けてきて、少しは休めたかな。ここから再スタートや。
オーストラリアはその中央の砂漠から石油とか資源取れたりしないのか?あれだけ広大な砂漠があるなら、何らか資源が埋まってる気がするんだが。ロシアに一方的にLNGを頼るその危険性は、今回のウクライナ危機で十分解ったはずだ。
苦しい時期に聴く音楽に何度救われた事か。B'z、m-flo、マンウィズ、髭男、LUNA SEA、色んなミュージシャンを聴いてきたけど、何か叫ぶには理由がある。漱石枕流で苦戦を強いられてるけど、肝心の勝負どころでは、一閃かましたいな。
学歴で判断されるのはヤダという御意見。特に私大の方がそう云う事を口にする場合がある。本当にエンタメ燃料として、好奇心で聞いてくる人もいるが何故就活やイベントで聞いてくるかといえば、貴方が知られてないから。服装や身だしなみチェックのようなもの、だから深く気に病む事もないかな。
何故大学に行くんだって言ったら、そこの学科の研究に関心があって~みたいな志を掲げる人は今や少数派なのかもしれない。寧ろもっとドライに、学士がないと取れない資格・入れない企業があるからですと言った現実論が通用力ある理由になってきてるのかも。もっと先の目的と研究機関の大学のミスマッチ
独学の知恵って色んなテキストを通して得られる共通益みたいなものが物をいうもんで。独学が何故非効率かといえば、共通益を知らぬ存ぜぬ事を指す事が多いから。勝ちに行く、受かりに行くには、ある意味誰かが通った先人の道に連なるとこを通っていくのがお得とはされる。それプラスα自分の知も。
僕は学習が奏功するには、過去問題集が肝だと思うよ。過去に出たのはもう出ないと考えるのは勿体ない。考え方や癖、問題配置等志望先の分析は検討の価値有る。何故なら過去に作問された中身は解き方のパターンがあるので。高橋洋一先生も教わった『川を登り、海を渡れ』使える考え方だと確信する。
WBC日本優勝。おめでとうございます!!個人的には山田哲人選手を応援していた。村上様も本塁打打ててよかたね。栗山監督の情熱と選手の熱意が上手く合致して、大きなうねりを生み出し、王者に輝いた。これって奇跡ではなく、必然であったんじゃないか。日本の野球の強さはより輝きを増した。
経済の動態を鋭く射貫く作家である真山仁さんの超人気小説・『ハゲタカ』シリーズを読んで、経済学部に憧れを抱いた事もありけり。ファンドマネージャー・鷲津政彦の切れ味鋭い人間観察と分析力に舌を巻いて、思わず該当シーンを何度も読み返したのも記憶に新しい。資本主義の焼け野原を見に行こうか。
平岳大の学歴が凄い・・・っ。普通に理系トップのレベルの大学、しかもアメリカの。彼のお母上様が役者になるのを強硬に反対したのも理解するキャリアではないか。俺の友人の多くも同じく院に進学してるが、学部でのそこまでの成果は。平岳大さんの探究心、相当に深みがありそうだ。
結局何も変えられなかった・・。という受験生よ、まだまだこれからぁあ。運命に殴られても痛くも痒くもないと、道路をひた走れよ。俺は受験で傷ついたとき、いつも得意科目のテキストを読んで、自信つけてた。それくらい受験で根気のいる作業ゲーなんだって。まだまだ本番これからの人も、閃け!!
国家権力による法解釈は立法事実により大きく変わる恣意的なものになる恐れも多分にある。別に法の司祭が中立中庸で合理的に解釈するわけでないので、自己の権利の精緻さを確保したうえで、しっかり唱える事が求められる。弁護士や裁判官、検事は大きな流れに従い載っている、闘士であると思う。
エガちゃんねる。ロースかつカレー食べ比べの江頭さんの忌憚ない評価。忌憚なさすぎではないかというくらいなのだが。江頭さんの舌は肥えてる。流石に不味いは言い過ぎでないかと思ったが、YouTubeではそこは軽々と流しちゃうのかな。
私学への特別背任罪適用可能の件。恐らくだが、文科省も日大の一連の問題を重く見てるのだろう。改革案こそ挙がってるが、理事会を監視する機関の設定は多くの私学関係者からの反対で骨抜きになった。教育機関は聖域だったが、今となっては多くの学費弁済者の声を聞かねば成り立たぬ透明性を必要とする
大学になんて行きたくないと高校生に言われたら、どうすんだ?未だ結論の出ない問いだが、自分なりに説得する義務というのはあるのではないか、そう思ってる。小学生や中学生ならいい。まだ時間的ゆとりがあるから、説得に窮する事もなさそう。でも高校三年とかでそれ言われたら、どう説得するのか?
何か勘違いをしているかもしれないが、勉強の出来る出来ないは生涯に亘って意味を成すのは一瞬だよ?と言われた。そうなのか?自問した。僕が打っちゃり稽古をしてきたのは、彼らにとっては一瞬だったのか?だとしたら、何かに真剣に取り組んだという事実は消えまい。そう思うと意外と悪くないのでは?
昔は討論番組とか好きだったけど、改めて見ると良い討論と悪い討論とあって、データを基に相手をとっちめる討論こそ至高と思っている人が思った以上に視聴者層に多いなと思ってる。相手の不満を受け止め、共に解決策を見出そうとする解決型の討論もあっても良いなと思う。少なくともスカっとはしないが
Quizknockの活動は元々YouTubeメインかと思っていたが、配信活動はふくらPさんの提案だったようだ。伊沢さんを中心に執筆活動や講演活動、そしてテレビ出演等多様な活動をされる中で、配信でアウトリーチするというのは、時代の要請だったかもしれない。
人に乞われてする助言を、何を履き違えたか相手より上の立場で上段構えにて説法するのは、何とも言えない空気感にしてしまう事は自戒しておきたい。取り敢えず相談されている時点でどこまで踏み込めるか経験則働かせ、謙抑的に添えるくらいしか、助言は出来ないはずだ。
ときどさんのシンガポール遠征。カヤトースト、美味しそう。シンガポールのカヤジャムは頂いた事はあるのだが、ソースにディップして食べるのは美味しそう。このダークソイソース、どんな味だろうか?オラもシンガポール満喫したいだよ。
好きな大河ドラマで個人的上位に挙がるのは、やはり『功名が辻』だなと思ってる。仲間由紀恵さんと上川隆也さんの豪華2トップは当時から話題だった。山内一豊の生涯を描くという当時としては傍流であった武将をフィーチャーしたのも斬新だった。信長、秀吉、家康に仕えてきた一豊の律義さたるや。
大学で相手を説得する学問を考えたとき、法学部というのが候補に挙げられるのが少し時代の潮流から外れてる気がする。経済学部のような数式モデルに基づいた立証過程や、社会学部のような統計を基に社会事象のムーヴメントを数値で裏付けるといったやり方が古典的手法としてあるのに関わらずだ。
鼻をほじったり、歯を磨かなかったりすると大病を患う。アルツハイマーや糖尿病になると警告する記事を拝見。歯科学とは医学と別の流派を組む派で、割と注目されるものと存ずるが、今以上に歯の健康は尊ぶべきものなのかもしれないね。特に歯垢が溜まると人体への影響は凄まじくあるというし。
最近呟き忘れる程怒涛の日々を送る。というか、今まで激戦で漸くそこから出たとこだったのだが、今になって常在戦場であった事に気づく。帰ったら寝る、起きる、勤める、寝るの連続はオラの心技体のバランスを壊そうとするわけで。明日も出かけて、机見て、嘆息してというルーティンを繰り返すだろう。
日米韓会談。少し古いトピックだけど、三か国の軍事訓練も実現し、東アジアの平和と安定の為の足掛かりになったのではと期待してる。全ては韓国の尹大統領の手腕のおかげだと思ってる。今までもアメリカは日韓にもっと連携して欲しかったけど、韓国の反日感情が妨げになって、中々動けなかったから。
な、何で俺がnoteのメンバーだと解った??お後がよろしいようで。
ストレートに解法を見出せる人は公式を導出出来る人。解説が長すぎたり、意味不明瞭だったりすると、途端にその問題集に萎えたりする。そんなこんなで物理勉強してたけど、学部入試に効いたのは、過去問だったね・・。
学力偏重が叫ばれながらも、逆に重厚な学力が求められる矛盾。大学なんて行ったって意味ないとも言われるのだが。実際学士があってもその恩恵を受ける大卒は一握りであるのも既に知られている。私は大卒の恩恵に与れたが、実際自分の望んだ通りとは程遠い現実。大学と社会の距離は乖離する一方だ。
仮にひろゆきさんの言う通り、全科目問われるリスクを問うのであれば、学生側としても楽になるかといえば、実際問題違うような気がする。得意なステータスに全振りすれば良い、というがそれは極めて例外的な条件であって、皆が皆そういう縁を持てる訳ではない事は指摘しておかなければならない。
ひろゆきさんの思う日本の大学入試の問題点について。戦士に賢さを求め、魔法使いに力を求めるその矛盾こそ、人々の上級職への道を閉ざしていると言われる。確かにバランスの取れた成績を修める人のその能力を活かせる場って中々ないように思われる。が、全体的に平均以上という力こそ、大器ではないか
ロンブー淳さんのコメントが良く判らない。ストレートに日大理事長が学生の立場より己の立場を優先するのが赦せないと言えば、済む話。
金銭的な事情で高校を通えない人々への支援を国が実践しなければ、ますます教育格差が広がる一方である事は言いたい。小中高一貫した教育を実践していくには、教育国債を発行し、子供達への丁寧で迅速な対応を取らねばならないのに、財政支出への嫌悪感から、肝心の国が及び腰であっては時機を失う。
諦めちゃいけないけど、追いつかない闘いをずっと強いられるのもメンタルに響く。自分の中でどこまでで止めるかは、自己責任で区切るしかない。そういった勝負の連続の中で段々自分の能力をメタ認知出来るようになる。というより、そう信じるのが楽なのだと思ってる。
ひたすら机にかじりついて勉強するのは、孤独だし辛い。だから、今の受験生の気持ちも痛い程解る。それでも受かりたいという気持ちも大事だが、どんな問題が来るか、という気構えもある程度は必要だろうと。この問題の意図はひょっとして?といった解釈が演習時点で出来ていれば強みになるだろう。
大学入試、クソみたいな問題出す学校は赦せない!って憤る人おるけど、それがええんやないか!マニア系のディープな捨て問や、かなりの応用問があるから、大学の個性が問えるのだよ、という。大事なのは合格点に達する事さね。
AUKUSとクアッド。共に対中対ロを意識した太平洋を中心にした同盟構想であるが、社会科学ではまだあまり功績がないから注目されてない。集団的自衛権の最たるものはEUで、ある国が一国を攻めると、一国の同盟国全員がある国を攻めるという、かなりの実効性のある自衛権だ。日本も混ぜちくり。
今年の流行語大賞は『法的措置』、ズバリこれしかないでしょうね。
サイゼリヤのパスタを食べて、ドリバとアイスで腹を潤しつつ、明日は何を食べようか考える。あの名政治家であられ、且つ自称・憲法学者でもあられる小西洋之大先生に法的措置を取られると恫喝された産経の大橋記者も、小西ネタがある頃は良かったなと思う時が来るかもしれない。
思わぬ事態に。急に用事言い渡され、遠出する事になったん。と言いつつ電車で移動するんで、そこまで汗だくにはならないとは思うのだが。シャワー浴びてソッコーでかましてくるわい。オフに何さしてんと昔は思うたが。
論理とか知性という言葉に尻込みしそうになるのだが、誰だって言いたい事は溜まるもので、理屈を並べる事こそ生存本能足る事は言えるのではないか。気合入れて論理的とかいうそういう言葉をなるべく振りかざさないよう自戒し警戒すん。言論の在り方は一通りではないし、定義も整えないと通用しない。
オリジネーター・プロファイルの技術をネットに組み込もうとする動きがある。それも既に27法人も参加を表明している。簡単に言えばニュース記事に出典元の判子を表示しようというお話なのだが、実際M新聞だって不埒なニュースを流す中、情報元の信頼性の担保がどこまで効果を見込めるかは未知数。