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#日本史がすき

日本史がすきだと感じたエピソード、学習の記録、勉強法など、日本史にまつわる投稿を募集します!

急上昇の記事一覧

福岡で国をめぐり古代の謎に挑む3選

 都道府県47本勝負 九州カオスモス編、いよいよ最後の福岡県です。福岡と言えば修羅の国のイメージがありますが、日本古代史の中心地でもありました。福岡の旅写真を依り代にして、古代の謎に挑みます。 ①伊都国(糸島市)  伊都国とは魏志倭人伝に見られる国の名前で、糸島市三雲を中心地とする説が有力です。伊都国には卑弥呼が任命したとされる一大率(いちだいそつ)という役人がいて、北部九州の軍事掌握や中国に発送する文書の検閲を行っていたとされています。  伊都国から邪馬台国までの距離

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【汚れ仕事とは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第16回

道兼の哀れさに不覚にも涙腺が緩みそうになった回でした。道長の一言で父の呪いから解き放たれ、生き直そうとしている道兼。内大臣の言動を真っ当な諌め方をしているのに、それを「叔父上は何か良いことを成したのでしょうか」と、過去をほじくり返されて反論されてしまいます。 更生しようとしているのに、過去の罪をまたあげつらわれてしまうことは、今の社会にもあるのです。何らかの罪を犯し、刑期を終えてやり直そうと思う元受刑者に対し、果たして今の社会は寛容なのか。彼らに対する「犯罪者」というレッテ

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【歴史小説】流れぬ彗星(4)「鼓動、波音」

この小説について  この小説は、畠山次郎、という一人の若者の運命を描いています。  彼は時の最高権力者、武家管領の嫡男です。  しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。  彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益と巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。  敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。  全ては、野心家の魔人・細川政元により不当に貶められた主君・足利義材を救うため。  そして自分自身

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【徒然】僕の中身は時々入れ替わる

政治や歴史の話題ってどうしても左右に引っ張られ忌避されがちだけど 世界史日本史、とにかく歴史と政治って面白いんだぜ 【書いてみたいテーマ】 ・本当の戦後史は「朝鮮戦争」後から始まった ・世界の戦争と「ケシの花(阿片)」の秘密 ・世界の神話の共通点は中田敦彦のYouTubeを見て覚えろ ・鉄とタンパク質の歴史(兵器と人体、注射針とウィルス) ・現代とはモダンのヴェールを纏った中世の階級社会である ・平和と戦争と、そして芸術家 ・戦後という巨大ビジネスの闇 ・「テロとの戦い」と

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本能寺の変1582 重要 ◎第50話③ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎第50話③ 8光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親 ←はじめに ←目次 ←  →重要 ◎目次 重要 ◎目次小  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →その一因  →見えてきたもの 目次  *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済   50 ◎  *以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。  *加筆修正  【シリーズ】信長の甲斐侵攻  長宗我部元親が、安土へ、使者を派した。  使者は、弟、香宗我

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山口デンデラ野

 遠野の郷にも、棄老伝説があります。いわゆる姥捨て伝説です。  この棄老とは、昔、口減らしのために、老人を山中などに捨てたという習俗のことです。  その棄老の場がデンデラ野です。 「遠野物語」のデンデラ野 この棄老について、「遠野物語」に記述があります。  「遠野物語」第111話に出てくる蓮台野(「れんだいの」と読みます)がデンデラ野です。遠野では、デンデラ野とかデンデーラ野といいます。  物語での表記がデンデラ野でないことについては、柳田國男の当て字ではないかと言われ

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【自分用】軍艦マーチ、戦艦大和

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JW577 淡い塩

【伊勢遷宮編】エピソード36 淡い塩 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前4年、皇紀657年(垂仁天皇26)。 天照大神(以下、アマ)の御杖代、倭姫(以下、ワッコ)は、御膳御贄の処を定め、伊勢神宮への帰路に就いた。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)たち家族が同行し、大神主の大若子(以下、ワクワク)と、舎人の乙若子(以下、乙若)が付き従う中、伊波戸という場所に差し掛かった時、ワッコは、唐突に宣言するのであった。  ワッコ「よし! 決めたぞ! 戸嶋、志波

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【連載】かくれ念仏/No.20~かくれ念仏 語呂合わせ~

●かくれ念仏 語呂合わせ 鹿児島藩の真宗禁制について、現存する記録上の禁止年は1597(慶長2)年である。語呂合わせで覚えるなら「以後(15)、苦難(97)の真宗禁制」。 解禁年は1876(明治9)年5月9日で、「人(1)や(8)っと南無(76)阿弥陀仏をとなえらる、極(5/9)楽浄土の信教自由」。 大谷派は同年11月1日、松原町大門口近くの料亭 春風を借りて、東本願寺仮掛所の看板を掲げて開業式を行った。語呂で覚えるなら「一夜(18)難路(76)の冬をこえ、今日この善い

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高野山の桜🌸と『廿日大師ご開帳』

年に何度も通う高野山なのですが、今年は初めての訪問。 なんとか桜に間に合いました! 高野山は、大好きなしだれ桜が美しい場所。 平地より数週間見頃が遅いので、お花見をする時間がない時は高野山に行けば見れる、と毎年心強く思っています。 【廿日大師ご開帳】毎年4月20日は、『廿日大師』ご開帳の日。 清浄心院さんに宿泊した時に知り、ぜひ伺いたいと思ってきました。 平日だとなかなか難しい・・と思っていたところ、今年は土曜日!と気づき、急遽行くことにしました。 3月に宮島・弥山に行

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「光る君へ」16話感想

光る君へ16話「華の影」視聴しました。 今週も見どころが多い!! 1.香炉峰の雪 序盤は一条天皇と定子のサロンのシーン。 藤原斉信は越前の鏡を定子に、藤原行成は古今和歌集の写しを一条帝に献上します。 「麗しい文字」と感動する定子。 それはそうでしょう、あの行成殿の御手ですからね! 一条帝に「今日は何をして遊びましょうか」と問う定子。 「定子にまかせる」と返す一条帝。 この日は雪が積もっていました。 定子は雪遊びを提案します。 そして… 「小納言よ、香炉峰の雪はいかがで

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本能寺の変1582 重要 ◎第50話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎第50話② 8光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親 ←はじめに ←目次 ←  →重要 ◎目次 重要 ◎目次小  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →その一因  →見えてきたもの 目次  *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済   50 ◎  *以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。  *加筆修正  【シリーズ】信長の甲斐侵攻  ここで、状況が一変した。  天正八年1580。  織田軍の厳

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先祖は根無し草のホームレス⁉︎ 家系図を辿って発覚した衝撃の真実

~前回までのあらすじ~ いい歳(27歳)して家族と会話をしない四ツ谷氏は、家族の絆を取り戻すため、否、永遠と思われる思春期を終わらせるため、知られざる先祖を探す旅に出るのであった。 案内人:北山 四ツ谷:「前回までのあらすじ」が気に食わないけど、まあいいか。 この前は除籍謄本を取り寄せて簡単な家系図を作ったわけだけど、次はなにをする必要があるんだ? 北山:このシリーズにおいて、君は俺には逆らえないぜ……。 次にやることは、言ってしまえば「勉強」だね。 四ツ谷:随分と簡単

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30年日本史00844【建武期】山崎の戦い

 さらに新田軍は挑発を続けます。  大渡には橋がかかっていたのですが、新田軍は足利軍の攻撃を防ぐため、あらかじめ橋板を全て外していました。新田軍は、その骨組みだけの橋を 「十分渡れるだろう。渡って来い」 と言って挑発したのです。  これを聞いた足利軍の野木頼玄(のぎらいげん)という武士が、幅の狭い橋に足をかけて渡り始めました。新田軍が次々と矢を射かけますが、頼玄は足場の狭い橋の上で飛び跳ねて矢をよけたり、刀で矢を落としたりして見事に橋を渡り切りました。  橋の向こうには新田軍

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やせたガールの日常[青ブラ文学部]

#青ブラ文学部 #やせたガールの日常 #募集要項#優谷美和さん #Seiji_Lakefieldさん #三羽烏さん #ひいろさん #らぎらぎさん #百舌さん #青ブラ文学部 #祈りの雨#春永睦月さん #ドラマイラスト #日本史がすき #吉高由里子さん #のつもり #イラスト

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本能寺の変1582 重要 ◎第50話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎第50話① 8光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親 ←はじめに ←目次 ←  →重要 ◎目次 重要 ◎目次小  →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次  →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次  →その一因  →見えてきたもの 目次  *◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済   50 ◎  *以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。  *加筆修正  【シリーズ】信長の甲斐侵攻  光秀の悩みは、尽きず。  否、そればかりではなかった。  正

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30年日本史00845【建武期】結城親光戦死

 大渡と山崎で新田軍が敗れたと聞き、朝廷は慌てふためきます。  建武3(1336)年1月10日、朝廷の面々は京を明け渡して近江に逃げることとなり、後醍醐天皇も急いで比叡山に避難することとなりました。しかし天皇の護衛に割ける人員がおらず、天皇はなんと徒歩で比叡山に登ることになりました。後伏見法皇、花園法皇、光厳上皇といった持明院統の面々も比叡山に連れて行かれてしまいました。  その日の夜、足利軍が都になだれ込んで来ました。一旦は坂本(滋賀県大津市)まで逃れていた名和長年は、 「

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二条城~江戸幕府の誕生と終焉を見届けた城

 京都の人気観光地の一つである二条城は、歴史上も重要な役割を果たした城です。 武家政権の長が城を構えた二条 現在の二条城ができる前にも、二条には城郭ないし武家屋敷といえる建築がありました。足利義輝の邸宅は二条古城、織田信長の京での宿所は二条新御所、豊臣秀吉の邸宅は妙顕寺城と、それぞれ別名を持ちます。二条新御所は、本能寺の変の際に織田信忠が討ち死にした場所です。  上記は、いずれも今の二条城から少しずれた場所にあり、現在は石碑が残るのみです。  現在の二条城を築いたのは、関

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JW576 伝説の海女

【伊勢遷宮編】エピソード35 伝説の海女 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前4年、皇紀657年(垂仁天皇26)。 天照大神(以下、アマ)の御杖代、倭姫(以下、ワッコ)は、垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)たち家族と共に、御膳御贄の処を定める船旅に出た。 大神主の大若子(以下、ワクワク)と、舎人の乙若子(以下、乙若)が付き従う中、一行は、潜き女の「お弁」と遭遇したのであった。  ワッコ「弁よ・・・。私は、この地の潜き女たちを、湯貴の潜き女に定めたいと思

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両親とすらまともに喋れないアラサー男が、家系図を辿って家族のルーツを調べてみた

北山:俺の「ファミリーヒストリー入門」の記事に感銘を受けて、ルーツ調査に挑戦する人を紹介するよ。 四ツ谷:どうも。 北山:お前か。家族とか興味ないと思ってたよ。弟とさえ数年口をきいてなかったんでしょ? 四ツ谷:そうなんだよ。うちの家族って、本当に親戚関係に関心がないみたいで。祖父の葬式にも、ぜんぜん親戚が来なかったんだ。問題児だったんじゃないかってくらい。叔父がいたってことも、叔父が死んで初めて知った。本当に謎のベールに包まれている。 北山:なかなかだな。昔は「血縁」

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